自分が背負ってきた過去の意味
悪いことが重なる人生を送っている人達はよく、「前世でよっぽど悪いことをしたんだ」と言って自分を宥めます。
不幸が前世の行いによるものならそう言ってもらえたほうが楽です。
私にとっての不幸は、未就学児にしてレイプされたこと、いじめられたこと、父親がアルコール依存症だったこと、家庭が相対的貧困だったこと、自殺未遂をしたこと、自傷行為をしたこと、です。
これらのことが、自分は恵まれている方だと理解していても、どうしても頭から離れず、危機的な状況から脱しているのを理解していても、心が休まりません。
いつまでも自分を許せなくて、恥じています。なんとか、自分を人間として認めてもらえるように生きようとしてますが、難しいです。
今も、自分は何歳まで生きる、あと何日しか生きられないからもっとまともに生きようという奮い立たせ方しかできないでいます。それは実際に自分の寿命を自分自身で勝手に決めて、その歳になって生きていたら死のうと決めているような感じです。
誰かを愛したり、好きになったり、心を開いたり、はっちゃけたりするような、人間的な要素が消えてしまったように思います。それか育たなかった。
いつも効率重視で、無駄がないように誰かの時間を奪わないようにと頭で考えてます。
こんな人生を恥じています。
誰かのために生きたいと願うけど、それは感謝されたいという不純な動機からですし、過去の精算をしなければと必死です。
毎日、過去の出来事が蘇ってきては、自分を恥じます。生まれてきたことを後悔、ではなく、申し訳なく思います。こんな娘でなければ、こんな人生でなければ、関わる人を苦しめることはなかったはず。
この、お荷物にしかならない過去の意味を教えて欲しいです。
お坊さんからの回答 1件
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生きる意味は求めなくても自ずと現れます
初めまして、お早う御座います。
沢山の辛い事、それらに絶望された事だと思います。生きる意味は此方から求め追いかけなくても自ずと現れてきます。
私も、順風満帆な人生を過ごし・・それらを”当たり前”と思って過ごしていましたがそれらが一瞬で崩れ、神も仏もない!と絶望の日々を過ごし生きて見たい!と思ったり、もう駄目だ・・・と嘆いては過去を追って過ごして、追い込まれて自殺をしました。幸いに発見して頂けて、蘇生され憎んだ仏の弟子となり今があります。
私たちは、ご先祖様方が幾度となく困難を乗り越えて、そして父母の想いと願い、繋がる命の証として今、ここにいるのです。無駄な事、無駄な命など一切ないのです。引き継がれてきた想いや願い。それらを私たちも未来の懸け橋となって引き渡す事がそれぞれ一人ひとりに役割があるのです。
人生とは冒険旅行と私は良くお伝えしています。自由に人生を描いて主人公を演じて・・人生も運命も自分自身も、いくらでも変えられリスタートが出来る事、それぞれが自分らしく、自分のペースで人生を歩む事が出来る事に気付きました。嘆いて下を向いて悲しんでいても、時は留まらず動いています。それと一緒で、困難な出来事も動き出すのです。人として生まれて、比較的に仕合せな国に産まれ、五体満足で、暮らす家もあり、綺麗な服を着て、おいしいご飯が食べられる事・・目の前にこんなに仕合せがあったんだ!と思考や視野を広げると見るもの全てが変わりました。過去でもない、訪れていない出来事を思うから不安になり心配になる。それよりも、二度とないこの瞬間を自分らしく生きる。震災で失った彼女が残してくれた言葉です。人生は復習も予習も出来ず一度だけです。自分のペースで焦らずに結果をすぐに求めずに、自分らしく笑顔と自分らしさを取り戻して行きませんか?かつて、嘆き苦しんでいた私も禍を転じて乗り越えたように、必ず乗り越えられます。人生の主人公のもう一人の自分と困難の嵐が訪れた時は立ち止まって、苦しい時はヘルプを出して躊躇せず甘え、周りに合わせようとせずにリスタートをして見てください。あなたが誰かを求めて生きているように・・誰かがあなたを必要として生きているのです。そして、あなたにしかない良さがあります。ゆっくり自分を取り戻して、二度とないこの奇跡の瞬間と人生と言う冒険旅行をあなたらしく仕合せに歩めますように。合掌