霊感について聞いてください
いつも有り難う御座います。お坊さんの回答、楽しみにしています。目に止めて頂き嬉しいです!お坊さんは幽霊を信じますか? 私が今まで体験したのは、小さい頃に母親を見つめる女性が現れたり、髪の毛を引っ張られたり、頭を撫でられたり、夜中に起こされて女性が叫んでる姿を見せられたり。こんなものです。不思議な体験をしている時は、時間が止まってるかのように、会話がなかったり、体が動かなかったり、「あー」と思ってる間に終わってしまうものです。ある時、全然知らない人に「会ったばかりでこんなこと言うのも悪いんだけど、憑かれやすいから塩を持ち歩いた方がいいよ」と言われると同時に、私の性格も当てられました。その人は霊感が強いみたいで、気を付けなよと言われました。最近では、よくデジャブ?が起こります。「あれ、このシチュエーション前もなかった?」というのが2度はあります。動作や、時間、場所なども全く同じです。笑ってしまうほどです。パッと時計を見るとゾロ目?ということも何度もあります。携帯で調べると霊感が強くなってきてるのかも知れないとありました、因みに私の母親は霊感が強いです。対処法などありますか?やっぱり塩を持ち歩いたりですか?乱文ですみません!
家族と上手な関係がとれない。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
普回向
ひなた様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
霊や魂の存在については、仏教的に申しますと「無記」(議論しない)となりますが、それでも実際に見えてしまっているもの、聞こえてしまっているものまで否定することはできません。
信じる、信じないかと申しますと、そうですね・・有りうることは有りうるでしょうが、拙生には分からないという感じでございます。
まあ、完全に「無い」とも言えないが、「有る」とも言えない・・仮に有りうるとしても、「縁起」的な存在(色々な原因や条件に応じて現れているもの)と言えるかと思います。
あと、しいて述べさせて頂くとなれば、肉体から離れたる意識が、「意成身」というカタチをとるとも言われております。その「意成身」が、もしかすると私たちでも見えたりすることもあるのかとも思われますが・・
いずれにしても、霊、意成身たちもそのほとんどは、私たちと同様に輪廻(迷い苦しみ)の中で、彷徨い続けております。
やがて、全ての皆が共に悟りへと至れますようとして、功徳(善き行い)を回向(全てのものたちに、その功徳を回り向かわしめる)していくことが大切となります。
普回向
「願わくは此の功徳を以て、普く一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜんことを。」
「ねがわくはこのくどくをもって、あまねくいっさいにおよぼし、われらとしゅじょうと、みなともにぶつどうをじょうぜんことを。」
塩云々よりも、もし見えてしまいましたら、その者へも向けた、上記の「普回向」(ふえこう)をお唱えして頂けましたらと存じます。もちろん、平素において積みたる功徳(善い行い、簡単には、優しさによる行い)も大切となりますので、少しお心掛けして頂いて、何かなさられておいて下さいませ。
川口英俊 合掌
過去を思い 未来をここへひきよせて 今現在をとこやみにする
これは幽霊の道歌なのだそうです。
幽霊というものの正体は後ほど。
幽霊は髪の毛を引きずっているでしょう。
それは過ぎた過去を引きずっているのです。
手を垂らしつつ遠くを見ています。
それは未来を憂いている姿です。
地面に足がついていません。
それは今現在をちゃんと生きていない姿です。
思いの世界に旅立ってしまっていて、目前のことをちゃんと生活していない様子を言います。
これを未成仏といい、念が残るから残念とも言います。(^<^)
幽霊というのは、自分の思いの迷いの事なのです。
過去を後悔したり、ネガティブループしたり、
未来を憂いたり、心配して夜も眠れなかったり、
決して、仮想・架空の事ではないのです。
そういう霊感に強くなってみてください。
理知的でない霊感は空想力、想像力が過ぎるだけのことです。夢を壊してごめんね。
ですが、そこをハッキリ見破らないとあなたもやがて自分の幽霊(過去を後悔し、未来を憂う)思いに憑りつかれて、この世に生きながら成仏できない生き方をするようになるからです。
そういう思いのかげも❝ひなた❞に照らして、真実を見極めてください。
霊というは 自らが思いの影なり 覚元