お金がない場合の百か日や一回忌にすること
毎度似た質問ですが教えていただければと思います。
先日百か日をむかえたのですがお金や親戚を呼べる場所がなく軽く仏壇を綺麗にしてお花を変えて家族で般若心経を唱えました。
身内の百か日や一回忌など参加した事があるのですがするべきことが何かわかりません。
例えばご焼香のような『これは、しなくちゃいけない』こととかございますでしょうか?
百か日のみならず一回忌三回忌などのことも教えていただければありがたいです。
身内の何かの時に行った記憶ですがご焼香をしました。
それは、何の時にしたか覚えませんが出来るなら自宅で家族だけでもした方がいいでしょうか?
毎度似た質問で申し訳ないのですがよろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
純粋な祈りこそ大切です。
お早う御座います。
ご供養・・お金を掛けて行う事ではありません。お仏壇も100円ショップのもので作る事が出来ます。私のお寺は立派な仏具は一切ありません。全て、僅かなお金から大切にホームセンターで集めて購入させて頂いた品物で作り上げました。
他のお坊さまに怒られてしまいますが・・
ご供養は、ご自分で真心を込めて見返り無い心で手をただ合わすだけでも回向は手向けられるのです。100円ショップで購入した般若心経をお唱えして、お線香を灯して上げてください。
純粋な祈りは時空を超えて、ご先祖様にも届くのです。お仏壇は此岸と彼岸と繋ぐ電話と同じです。手を合せれば、愛した人や家族などが隣にスッと表れて・・その祈りを微笑んで応えてくれるのです。
一周忌なども同様です。ご自宅でご自身で心を込めて大好きだった食べ物をお供えされてお庭に咲いているお花を飾られて、手を合せてお経をお唱えされてからお供えされたお供物を頂いてください。
ご供養はそれだけではありません。
此岸(この世)に残された私たちが、笑顔で過去でもない、未来でもない、二度とないこの瞬間を自分らしく過ごされる事、時々思い出して上げる事もご供養なのです。
念前年と生きた先人。ご先祖様は様々な困難を乗り越えて未来に繋げてくれました。そして、父母の想いと願いが重なりその証が私たちなのです。
ありがとうと言う言葉を自然と増やして、笑顔であなたらしく人生という冒険旅行を仕合せに歩めますように、お祈り致しております。
合掌
法事とは
100ヶ日や一周忌でお金をかけなくても、全く問題ありません。
何故法事(葬儀、通夜、年忌法要等)をするのか? それは、亡き方々をご縁に仏法との仏縁を育む(はぐくむ)為です。読経も、法事に参列する参加者に聞かしているのです。
我々は、法事を通じてお釈迦様の教えに出逢い、また領解(りょうげ)して行く歩みを続けて行く事なのです。法事ではお坊さんと仏教や読まれた経典について是非Q&Aをして下さい。それが僧侶の役割です。こうやってhasunohaを通じてお坊さんから仏教についてのQ&Aをして仏教理解を深めるのも広い意味での「法事」でしょう。伝統形式や経済性に囚われる事無く、貴方が仏教理解を深めれば、それは亡くなった方々はお浄土で最高に喜んでいらっしゃる事と思います。 合掌
御立派です!
ご質問拝読いたしました。
愚僧でさえ、
有り難い法要だと
思わず念仏させていただいたくらい
でございます。
御先祖さまは、
大層御喜びのことと思います。
有り難い法要でございます。
お経さまを唱えるのは、
お釈迦さまがお説きになった、
み教えを御先祖さまと、
ご一緒に味あわせていただくこと、
でございます。
唱えることが有り難いのです。
御供養とはおもてなしです。
お相手、御先祖さまのことを、
思いながら、
精一杯のお迎えをされました。
何よりの御供養かと存じます。
愚僧は、
皆々さまのご多幸を
祈念させていただきます。
どうぞお幸せに。
質問者からのお礼
大変ありがたいお言葉をいただいているのに遅くなり申し訳ございません。
ありがとうございます。
もうすぐ初盆になりますので親戚の方々に手を合わせていただこうと思います。
生きている私の般若心経を唱える事が故人様の供養になってることを祈ります。