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師匠関係を解消したいと思うのは我儘?

回答数回答 2
有り難し有り難し 19

いつも、お坊さんたちのお悩み回答を拝見し、励まされています。ありがとうございます。今回は、自分のことを相談させてください。宜しくお願いします。

私には本業がありますが、とある業界で将来独立したい思いがあり、その勉強をしたいと思っていました。昨年末、たまたまご縁をいただいた60代半ばの男性の人間性に感銘を受け「この人の元でなら、無給でもお仕事を教わりたい!」と思い、弟子入りをしましたが、数ヶ月が経った現在、「師弟関係」という言葉を安易に使ってしまったことを後悔しています。今ではもう、師と仰げない、仰ぎたくなくなってしまったのです。

師匠にとっては、私の本業の分野の情報は喉から手が出るほど欲しいものでしたので、お互いの仕事を教えあう、ということで話がまとまりました。師匠と弟子ではありますが、対等な部分もある、というのが共通認識としてありました。

相互理解も深まり、お互いの信頼関係も生まれ、相性も良いと思っていたのですが、その頃から、師匠が些細なことで感情的になり、言いがかりともいえるような理不尽な内容で私を非難するように変化しました。今まで問題なかったことを問題にし、理不尽な自分ルールを掲げ、それに従え、と私を怒鳴り、支配しようとする感じです。

自分にも至らない点があるのでは、と色々反省もし、関係を改善しようと努力しましたが、知り合いに相談すると「DVにハマる女性と同じ思考回路」と言われ、ハッとしました。

知り合った当初は知りませんでしたが、時間を共にするうちに、師匠はいくつかの訴訟を抱えており、人間関係のトラブルが多いことも発覚しました。

・最初は「理想的だ。winwinの相手だ」と思ったけれど、その後、見えていなかった問題点が判明した場合、この方とのご縁はなかったと、きっぱり縁を切っても良いのでしょうか? 

・自分から紡いだご縁を「やっぱり違った」と切るのは良くないことでしょうか?自分から相手に近付いたのだから最後まで添い遂げなければなりませんか?

・「せっかくいただいたご縁だから」と、相手の理不尽な要求を負担と思わず、寄り添い、今後も付き合っていくのが仏教としては正解なのでしょうか? 「もうついて行けない」と思ったりせず、相手を変えようとせず、師匠のやり方に従って、この関係を続けることが修行でしょうか? 

ご指導いただけましたら幸いです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「仏教として正解」というのはあなたの事実を離れてはない

ご相談拝読しました。

そう難しく考える必要はないでしょう。仏教にあわせようと生きるのが仏教でなく、生きる事実を明らかにするのが仏教です。

「寄り添う」とは聞こえのいい言葉ですが、まあ中々どうして人間には難しいことです。
相手にそこまで問題があるのがあなただけの思い違いや偏見ではなく事実ならば、このまま関係を結んだままでいるのは難しいでしょう。

相手を変えるというより関係を変える。関係とは人と人を結ぶあり方ですから具体的には行動です。相手の問題行動がなくならないのであれば、関係を解消するという方法も仕方ありません。

感銘を受けたというまでの相手の人間性が、理不尽と表現されるまでに変わったのは、相手が変わったというよりは見えなかった部分が見えてきたのか、あなた自身も変わったのか…色々あるとは思いますが、離れてそれぞれに時間をかけて今回のご縁を見つめる中でまた感じる部分もあることでしょう。

我儘な関係解消なのかどうかはあなた自身のこれからが決めることです。解消それ自体が問題だとは思いません。

事情がよくわかりませんが、完全解消の前にしばらく休むとか?そういうのもありかもしれませんし、あなたが思う通りにされてみていいのではないでしょうか。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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師弟関係にはないです。

ご質問拝読しました。
初めから師弟関係には、
ないと思います。

利害関係にあるものを、
師弟とはいいませんよ。
師とは一方的に与えるものです。
弟子は一方的に奉仕するものです。

相互に補完する関係には
ありません。
ですから最初から
師弟関係にはないのです。

お悩みになることはないかと、
思いますよ。

師匠はまさに師なのです。
人格的な魅力を持ち合わせて
いなくてはならいと思います。
聖人君主とまではいかないまでも
やる気がでる、
魅了されるものがある。

時には罵倒されることも、
あるでしょう。
強かに打ちのめされることも
あるかと思います。

しかし、
後で省みた時に、
これは自分のためになんだと、
頷けるものでなくては、
なりません。

自分の感情の吐口など、
とんでもないことだと思いますね。

違うと思えば、
離れたらいいのです。

何も敢えて意思表示は
入りませんよ。

自然と離れていったらいいのです。

新しい御縁がありますよ。

じっくりと構えたらよろしい。

どうかお元気で!

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有り難し
おきもち

浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
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質問者からのお礼

吉武文法さま

お忙しい中、とてもご丁寧に回答をいただき、ありがとうございます。
全ての言葉が身にしみました。

「仏教にあわせようと生きるのが仏教でなく、生きる事実を明らかにするのが仏教です。」というお言葉に、モヤモヤしていた気持ちが穏やかになりました。

自分では正解がわからない時、私はつい、何か指標が欲しくて「仏教ではこのような時、どう考えるのだろう?」と思ってきました。

文字数の制限がある中で、詳しい情報を書けなかったのですが、それでも、本質をご理解いただき、アドバイスをくださり、本当にありがとうございます。

相手を変えるのではく、関係を変える・・・確かに、それが一番良いように思います。

見えなかった相手の本質が見えてきたのももちろんですが、私も師匠も変わった部分もあると思います。

まずは、しばらく距離を置いてみて、お互いに少し冷静になり、今回のご縁を見つめて決めていきたいと思います。

「生きる事実を明らかにするのが仏教」…私にはまだ難しすぎますが、自分だけの視点ではなく、師匠の気持ちも、もう少し考えてみたいと思います。

ありがとうございました。

花山雲吉さま
お忙しい中、胸がスカッとするような回答をいただき、誠にありがとうございます。

そもそも師弟関係にないと言われ、目から鱗です。
確かに、言われてみれば その通りで、「師弟関係」という言葉に縛られすぎていたのかもしれません。

「師とは一方的に与えるものです。
弟子は一方的に奉仕するものです。」

と言われ、自分自身を省みました。私は、弟子と言いながら、奉仕の精神を持ち続けることができていませんでした。

師弟関係にあらず、と言われ、とても腑に落ちました。ありがとうございます。

後で省みて、「あれは自分のために行ってくださっていたのだな」と思えるまでは
しばらく距離を置いてみようと思います。

花山雲吉さまのおっしゃるように、じっくり構えて、元気に過ごしたいと思います。

ありがとうございました。

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