食べ物を食べることに罪悪感が…
また、死にたいと思うようになりました。
今回は食べ物を食べる事も罪悪感が有ります。
さっき、食事を作る気力が無く、余ってる野菜スティックとチーズだけ食べました。
罪悪を感じました。
このまま食べずに飢えて死にたい。
そう思うのですが、死ねずに食べてしまいます。
万が一死にきれず、救急車で運ばれたら、親はいずれ怒ります。
「こんな事の為に一人暮らしさせてるんじゃない!!」と…。
でも、食べたくないです。
でも、食べてしまいます。
このまま飢えて死にたい、楽になりたい…そう思います。
世の中は外出自粛…外に出るのも怖いです。
だから、飢えて死にたいです。
何ならコロナに罹って死のうかとも考えますが、それは病院が関わり、まだまだコロナで死に切れない40歳です。
兎に角、飢えて死にたいです。
こんな世の中生きて行けません。
外にさえ出るな…なら、飢えて死のうと思います。
死ねばどんなに楽だろうか、人生が終われば伝説になるんじゃないかとも感じます。
多分、こんな事を書いたら、「生きろ」的な事を書かれるかも知れませんが、今は兎に角死にたいです。
外出自粛、怖いです。
買い物に行くのも怖いです。
飢えて死んだら楽だと思います。
でも、冷蔵庫の中身を食べそうです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分を守るために死ぬ?
死にたい理由は、「自分」を守るためではないでしょうか。
だとすれば、逆に「自分」が傷ついてもべつに良いじゃないかと思えれば、平気で生きていけるかもしれませんね。
仏教では、実は「自分」は幻だと考えます。
ろうそくの炎は、同じ炎がずっと燃えているように見えますが、本当は、瞬間ごとに新しい火(光と熱)なのです。
名門野球チームは、毎年甲子園に出場しているように見えますが、実は、毎年選手が世代交代し、2年前と今年とでは別人たちです。ただ、チーム名を相続しているだけ。
あなたという人間も、本当は瞬間瞬間ごとに新しい人間です。
あなたが死んでまで守ろうとしている「自分」、傷つきたくないと、傷つけまいとしている「チーム名」は、概念上の幻にすぎないのです。
本当は、餓え死にしてまで守るべきものは、無いのです。
死ぬまで生きれば良いだけです。
過去や未来を妄想すると、幻の「自分」を意識して辛くなりますが、「今・ここ」の瞬間だけを見てみましょう。
息を吸って息を吐く、細胞の集団がワイワイ騒いでいるだけ。
細胞の団体が、ちょっとこの世を旅行している。
せっかくの地球旅行だから、旅の思い出に美味しい食事でもいかがですか、添乗員さん?
質問者からのお礼
願誉浄史さん
ありがとうございます。
「自分」は幻想ですか。
野球チームの例えも分かり易かったです。