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今を楽しく生きたいのですが...

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有り難し有り難し 28

こんばんは。
老後の不安が次から次へ出てきてしまいます。

結婚しましたが、子もなく、万が一自分が一人になってしまったらどうしよう、老人ホームのシステムは?など、調べて一人で苦しくなる始末です。

今考えても仕方のない事ではあるのですが、
何をやっていても浮かんできてしまいます。

花が今を一生懸命に咲き誇っているように、目の前のことに集中し、今、気持ちを楽に過ごしたいのです。

先のことを考えなくても良い方法を教えて下さい。宜しくお願い致します。

2020年4月19日 21:29

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

刹那主義的な今・ここ主義には絶望が待つ

ご相談拝読しました。

今を楽しく…そういう言葉はよく耳にします。しかしその価値観は必ず破られます。人が生まれたからにはやがて必ず老い、病み、そして死すのは避けられない事実であるからです。

つまり、だんだん思う様に楽しめなくなるということです。その時に「今を楽しく」という価値観であるならば、「(老いや病によって)楽しめない自分」が「ダメな自分」になってしまい、死が差し迫った自分の人生は絶望になってしまいます。

過去は過ぎ去り、未来は未だ来ていないとは言うものの、過去と未来から分断された今もあり得ないのです。未来はどう来るかはわかならないが必ず来るのです。

今を大切にするということは、考えるべきものを考えないようにし、見えるものに目を伏せて、事実をごまかしながら生きることではありません。

楽に生きるというのも、楽の反対は不楽、つまり不快であったり苦しいものであったりするわけですがそういうものを排除しきって楽のみが残るようにするということではありません。いや、そうできたらいいのですがそんなことは無理です。

では、「今を楽しく楽にいきる」ということが成り立つとしたらそれはどういうものか。
それは過去と未来を包摂した今を受け入れ、苦しいことや不快なことも自分の課題として引き受けて生きるということでしょう。

それはどんな未来がくるかわからないものをあれこれ想像し、老人ホーム暮らしでも受け入れる!孤独死も受け入れる!老々介護も受け入れる!と無理して頑張ることではないでしょう。

どんな未来をも受け入れるというのは、どうなるかわからないが、どうとでもなる(どんなことでも起き得るが、なる様にしかならない)という事実を受け入れることでしょう。

人である以上は先のことを考える能力があるのですから、考えないようになることもできません。見たくないものを見ないようにするのでなく、自分の事実として見定める。そして同時にその事実はどんな形で自分に起こってくるかはわからないという事実をも明らかに知る。

その厳しい事実は私たちに不安や悩みをもたらしますが、それは排除すべきものではなくむしろ大切な感覚なのです。それらから逃げようとすると余計に大きくなって襲いかかるのでしょう。

2020年4月20日 10:04
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はじめまして。 北海道の道南地区にある若松という農村のお寺に所属しており...
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過去でもない、未来でもない、この瞬間を自分らしく。

初めまして、お早う御座います。

私は、出家前に順風満帆な人生から絶望に嘆き苦しむどん底に這い上がっては突き落とされていた日々を過ごしていました。その姿や子ども達を純粋に思っていてくれていた方を震災で失いました。その彼女が良く、私に問い掛けていた言葉です。

過去でもない、訪れていない未来をふと・・考えてしまうからそれが不安や心配になってしまう。それらを思うよりも、二度とないこの瞬間を自分らしく生きる事が大切だよ。

その言葉は、私だけでなく時空を超えて色々な方の心に響いています。今、人生の中で困難という嵐の中に私たちは生かされています。この身体には、何前年という困難を幾度となく乗り越えて来た先人たちと、父母の願いや想いだけでなく生き抜いた証であります。私たちにもその力があり様々にそれぞれ自分に与えられた試練は乗り越えられるのです。

大切な心を惑わされたり、奪われたりせずに・・思考を変えて見てください。しかめっ面をして不平や不満ばかり言っているのでなく、奇跡という人として産まれて比較的に恵まれた国に産まれてこうして平凡な毎日を送れる事こそが、仕合せなのです。仕合せは目の前にあるのです。人生も運命も自分自身、それらはくらでも変えられます。不平や不満より、有難うという言葉を増やして行くと、自ずと人生が好転していき目の前に映る全てのものが有難く映り素直に有難うという気持ちになります。

大切な気づきを与えて頂けたのです。その事をプラスに変えて人生の冒険旅行に活かして苦しかったり辛い時こそ”笑顔で”過ごす事が大切です。辛い事が多い中で時々ふと現れる善き事があるから、有難い=有難うになるのです。人生思うようにいかないから良くしていこうと努力をするのです。それらが自分を育てる肥やしになるのです。暖かなご飯が食べられ、雨風しのげる暮らす場所があり、綺麗な服を着れて生活が出来るこの環境、五体満足ある身体、与えられた人生・・黙っていても時は留まらずに動いています。困難な問題も留まらず動き出すのです。与えて頂けた人生を枠にはまらず、無理に作り笑顔をして合わせようとせずに、あなたには、あなただけにしかない良さがあります。結果を急いで求めよう!頑張ろう!とせず、ほどほどにこの瞬間を自分らしく笑顔で過ごされる事をねがっております。あなたらしく人生という冒険旅行を仕合せに歩めますように。合掌

2020年4月20日 8:04
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おきもち


永寛
皆様、初めまして。ストレスの多い現代・・お寺とはご葬儀や法事のみではなく、...
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質問者からのお礼

永寛様
はじめまして。
ご回答いただき、ありがとうございます。
思えば悪い事ばかりが襲うような感覚になっていたのかもしれません。
苦しい中にも幸せはたくさんあり、生きている事自体が幸せなのだと教えて頂きありがとうございます。
これからは、今ご縁のある方々と一緒に笑顔になれるよう少しずつ歩み出そうと思います。
ありがとうございました。

吉武文法様
はじめまして。
ご回答いただき、ありがとうございます。
人はそれぞれの苦悩と付き合いながら生きていること、教えていただき
ありがとうございます。
思い通りにならなくても、
今出来ることを少しずつやり、苦しいときは現実として受け止め、また立ち止まって考えてみようと思います。
ありがとうございました。

「老い・老後」問答一覧

老苦、死苦は未来人にも通用するか?

こんにちは。こちらは私の知的好奇心からの質問になります。少しSFチックになってしまうのですが、このような疑問を他にどこでぶつけていいかわからず、ここに投稿させて頂きました。 近代、人類は科学技術を大幅に発展させています。近未来の人類には、「不老不死」の可能性があると考えられます。 ある研究では、若いマウスの細胞を老いたマウスのものと接続したところ、老マウスの体に一定の若返りが見られたとの結果が出たそうです。 また、AI技術の発達により、故人の人格を「再出現」させる実験も一定の成功を収めたように思います。例えば、AI手塚治虫が描く新作漫画や、AIレンブラントが描く新作油画が発表されました。 私はその道に明るくないので確かなことは言えないのですが、今後の人類の未来に「不老不死」の選択肢が出現することは大いに考えられるものだと思います。細胞技術で、老いない体を手に入れるかも知れませんし、AIに自分の人格を託して、機械の体で生き延びるかも知れません。 そこで疑問に思うのが、「お釈迦様の説かれた老苦・死苦は未来人にも通用するのか」ということです。四苦八苦というと、お釈迦様が定義された、人間誰しも被る苦しみのように思います。 しかし、「老」と「死」に大変革がもたらされつつある今、老苦・死苦の未来についてhasunohaのお坊様方は思うところはお有りでしょうか? 未来人に老苦・死苦を免れる可能性はあるのでしょうか。それとも、お釈迦様の説かれた普遍の真理の通り、いつの時代でも人間は老苦・死苦からは逃れられないのでしょうか。 (誤解などありましたら未熟な私をお許し下さい。)

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天涯孤独な老後が心配、死後両親と会える?

天涯孤独な老後が心配です。 心を許せる友人も恋人もいません。そしてなにより、両親が大好きです。 結婚はおろか付き合いたいと思ったことすらありませんが、いずれ結婚して子供を産んで、と漠然と思っていました。 しかし出会いもなくネットやアプリは怖い、となれば今更結婚できる気も、体調的に子供を産める気もしません。 また、大好きな両親がいなくなってしまった時のことを考えると昼は何も手につかず夜も眠れないほど辛いです。 辛い時に支えてくれる人もなく誰にも頼ることのできない、天涯孤独の老後が心配で仕方ありません。 両親は私の心の支えです。 特に母は面白く明るい性格のため、母がいるとその場が明るくなります。太陽のような存在です。同じゲームもしています。 母がいない部屋がどれだけ静かになってしまうのか、想像しただけで寂しいです。 また両親に結婚相手を紹介したり孫に会うという世間一般での普通の経験をさせてあげられないことが申し訳ないです。 今のところ老後の支えは、死後両親に会って今のように楽しく過ごしたい、ということだけです。 死後なので過ごす、という表現は違うかもしれませんが、両親にお迎えされ同じ場所へ行き一緒にいたいのです。 そこでお尋ねしたいことは、 1、死後両親と再会し共にいられますか? 恐らく私は孤独死してしまうと思うのですが、それでも両親に会って一緒にいられるでしょうか? 2、色々調べている中で未練があると成仏できないとありましたが、もし両親か私がお互いが心配で成仏できていなかった場合、私の死後両親と会って共に成仏?再会し一緒にいられるでしょうか? 3、もし両親や私が認知症になってしまって生前お互いを認知できなくなってしまっていた場合、死後お互いを認知できますか?両親と再会し一緒にいられますか? 私はとにかく死後も大好きな両親と一緒にいたい、それだけです。 会える、一緒にいられるのなら天涯孤独で寂しくてもそれを楽しみに生きていけるような気がします。 若いうちから今後や老後の心配して今を楽しめていない自分も辛く、勝手にうつになりそうです。 どうか今の私を救ってください。よろしくお願いいたします。

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歳を重ねることへの不安があります

久しぶりに相談させて頂きます。 私は30代前半の女性ですが、歳を重ねることに恐怖や不安ばかり感じます。 きっかけは、自分の体型に関することでした。 30歳になって半年経った頃から、明らかに太りやすくなったのです。 私は甘い物を食べる事が大好きで、今まではどれだけ食べても普通体型でいられたのに、運動しても食べる物に気をつけても中々痩せず、ひたすらダイエット食品とサプリを買い漁りました。 体型が変わっていくことが耐えられず、定期的に断食する日を作る始末で、今でもそれは変わっていません。 これは歳をとったのだから仕方のないことだと頭では分かるのですが、中々その事を気持ちの上で受け入れられないのです。 相談したいのはここからです。 30代になってすぐにこれで、これから先歳を重ねてもっと色々と変化を迎えるにあたり、どのような心構えをしておくべきかアドバイスを頂きたいのです。 身近な人には言えませんが、体型が維持できないというだけで、時には死にたいとまで思ってしまい、このままさらに歳を重ねることに不安が絶えません。 変化を受け入れるには、どのような考え方をすればいいのでしょうか。

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五十代からの老病死のとらえかた

こちらではいつもお世話になっております。五十代半ばの男性です。ここ何年か題名の通り、老病死を強く意識するようになりました。それまでは頭にはあったもののほとんど気にしないで生きて来ました。 (老)に関しては、平均寿命から残り何年いきられるか?とか実感するようになったり、いつの間にか回りやテレビで活躍する人達がみんな年下で、二回りも下もいたり。またあと数年で還暦というと愕然とします。なにもできないまま年だけとったように、そんなはずではなかったのに等と考えてしまいます。ケアはするようにしていますが体力も目に見えて衰えて来ました。白髪も増え、目も悪くなって来ました。 (病)(死)に関しては今のところ大きな健康問題はないのですが、両親を内臓系の悪性腫瘍で亡くしているので、毎年の人間ドックが異常に不安です。食生活に気を配り、毎日ウォーキングをしたり等てできる限りの事はしていますが、両親の闘病から亡くなるまでのつらい経験が恐怖を増しているのかもしれません。 老病死という誰もが避けられない苦が急に身近というか、現実見をおびてきた感じでしょうか。 普通に結婚して子供に恵まれ、企業の管理職として並みの生活、人生なのかもしれません。ただなぜか急に老病死が受け入れ難いのです。 これからの余生の心構えについて是非アドバイスを頂けますと深甚に存じます。

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老化ですか?

社会人もうすぐ10年目になりますが、最近物事に興味がわきません。 私は小さい頃からアニメやゲームが好きで、学生時代は寝食を忘れるほど熱中していました。 また、なんでもない景色や人の発言から空想したり、イラストを描くことも好きでした。 自分が空想の世界に惹かれ、世間知らずなところがあると思っていたので、就職が決まったときは「これからは地に足をつけた社会人になりたい」という気持ちがありました。 今の仕事は感情労働特有のしんどさこそありますが、ブラックな労働環境でもなく人間関係も悪くありません。 楽しいこともあるし、勉強になることもあります。 ただ、社会に出る前に感じていたような好奇心とかワクワク感とか想像力とか、そういう生きてる感覚が最近あまり感じられません。 好きだったゲームやアニメにも惰性的に触れている状態になってしまっています。 仕事や生活といった現実的なことで頭がいっぱいで、空想する元気がありません。 かといって新しい趣味も見付からず、最近は何を食べたいのかもよく分からなくなってきました。 時折無性に寂しさや焦りのようなものを感じます。 これらの気持ちとの付き合い方のようなものがあれば、ご教示いただけますと幸いです。よろしくお願いします。

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