hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
家から匿名・オンラインでお坊さんと話せる!hasunohaオンライン個別相談
そらノート 亡くなった人やペットに思いを伝えよう hasunoha姉妹サイト登場

今を楽しく生きたいのですが...

回答数回答 2
有り難し有り難し 18

こんばんは。
老後の不安が次から次へ出てきてしまいます。

結婚しましたが、子もなく、万が一自分が一人になってしまったらどうしよう、老人ホームのシステムは?など、調べて一人で苦しくなる始末です。

今考えても仕方のない事ではあるのですが、
何をやっていても浮かんできてしまいます。

花が今を一生懸命に咲き誇っているように、目の前のことに集中し、今、気持ちを楽に過ごしたいのです。

先のことを考えなくても良い方法を教えて下さい。宜しくお願い致します。

2020年4月19日 21:29

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

刹那主義的な今・ここ主義には絶望が待つ

ご相談拝読しました。

今を楽しく…そういう言葉はよく耳にします。しかしその価値観は必ず破られます。人が生まれたからにはやがて必ず老い、病み、そして死すのは避けられない事実であるからです。

つまり、だんだん思う様に楽しめなくなるということです。その時に「今を楽しく」という価値観であるならば、「(老いや病によって)楽しめない自分」が「ダメな自分」になってしまい、死が差し迫った自分の人生は絶望になってしまいます。

過去は過ぎ去り、未来は未だ来ていないとは言うものの、過去と未来から分断された今もあり得ないのです。未来はどう来るかはわかならないが必ず来るのです。

今を大切にするということは、考えるべきものを考えないようにし、見えるものに目を伏せて、事実をごまかしながら生きることではありません。

楽に生きるというのも、楽の反対は不楽、つまり不快であったり苦しいものであったりするわけですがそういうものを排除しきって楽のみが残るようにするということではありません。いや、そうできたらいいのですがそんなことは無理です。

では、「今を楽しく楽にいきる」ということが成り立つとしたらそれはどういうものか。
それは過去と未来を包摂した今を受け入れ、苦しいことや不快なことも自分の課題として引き受けて生きるということでしょう。

それはどんな未来がくるかわからないものをあれこれ想像し、老人ホーム暮らしでも受け入れる!孤独死も受け入れる!老々介護も受け入れる!と無理して頑張ることではないでしょう。

どんな未来をも受け入れるというのは、どうなるかわからないが、どうとでもなる(どんなことでも起き得るが、なる様にしかならない)という事実を受け入れることでしょう。

人である以上は先のことを考える能力があるのですから、考えないようになることもできません。見たくないものを見ないようにするのでなく、自分の事実として見定める。そして同時にその事実はどんな形で自分に起こってくるかはわからないという事実をも明らかに知る。

その厳しい事実は私たちに不安や悩みをもたらしますが、それは排除すべきものではなくむしろ大切な感覚なのです。それらから逃げようとすると余計に大きくなって襲いかかるのでしょう。

2020年4月20日 10:04
{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


はじめまして。 北海道の道南地区にある若松という農村のお寺に所属しており...

過去でもない、未来でもない、この瞬間を自分らしく。

初めまして、お早う御座います。

私は、出家前に順風満帆な人生から絶望に嘆き苦しむどん底に這い上がっては突き落とされていた日々を過ごしていました。その姿や子ども達を純粋に思っていてくれていた方を震災で失いました。その彼女が良く、私に問い掛けていた言葉です。

過去でもない、訪れていない未来をふと・・考えてしまうからそれが不安や心配になってしまう。それらを思うよりも、二度とないこの瞬間を自分らしく生きる事が大切だよ。

その言葉は、私だけでなく時空を超えて色々な方の心に響いています。今、人生の中で困難という嵐の中に私たちは生かされています。この身体には、何前年という困難を幾度となく乗り越えて来た先人たちと、父母の願いや想いだけでなく生き抜いた証であります。私たちにもその力があり様々にそれぞれ自分に与えられた試練は乗り越えられるのです。

大切な心を惑わされたり、奪われたりせずに・・思考を変えて見てください。しかめっ面をして不平や不満ばかり言っているのでなく、奇跡という人として産まれて比較的に恵まれた国に産まれてこうして平凡な毎日を送れる事こそが、仕合せなのです。仕合せは目の前にあるのです。人生も運命も自分自身、それらはくらでも変えられます。不平や不満より、有難うという言葉を増やして行くと、自ずと人生が好転していき目の前に映る全てのものが有難く映り素直に有難うという気持ちになります。

大切な気づきを与えて頂けたのです。その事をプラスに変えて人生の冒険旅行に活かして苦しかったり辛い時こそ”笑顔で”過ごす事が大切です。辛い事が多い中で時々ふと現れる善き事があるから、有難い=有難うになるのです。人生思うようにいかないから良くしていこうと努力をするのです。それらが自分を育てる肥やしになるのです。暖かなご飯が食べられ、雨風しのげる暮らす場所があり、綺麗な服を着れて生活が出来るこの環境、五体満足ある身体、与えられた人生・・黙っていても時は留まらずに動いています。困難な問題も留まらず動き出すのです。与えて頂けた人生を枠にはまらず、無理に作り笑顔をして合わせようとせずに、あなたには、あなただけにしかない良さがあります。結果を急いで求めよう!頑張ろう!とせず、ほどほどにこの瞬間を自分らしく笑顔で過ごされる事をねがっております。あなたらしく人生という冒険旅行を仕合せに歩めますように。合掌

2020年4月20日 8:04
{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


永寛
皆様、初めまして。ストレスの多い現代・・お寺とはご葬儀や法事のみではなく、...

質問者からのお礼

永寛様
はじめまして。
ご回答いただき、ありがとうございます。
思えば悪い事ばかりが襲うような感覚になっていたのかもしれません。
苦しい中にも幸せはたくさんあり、生きている事自体が幸せなのだと教えて頂きありがとうございます。
これからは、今ご縁のある方々と一緒に笑顔になれるよう少しずつ歩み出そうと思います。
ありがとうございました。

吉武文法様
はじめまして。
ご回答いただき、ありがとうございます。
人はそれぞれの苦悩と付き合いながら生きていること、教えていただき
ありがとうございます。
思い通りにならなくても、
今出来ることを少しずつやり、苦しいときは現実として受け止め、また立ち止まって考えてみようと思います。
ありがとうございました。

「老い・老後」問答一覧

老害

私は対人恐怖や社交不安による病気の側面もあること念頭に、聞いてください。 普段街中を歩いてるといわゆる、団塊世代の60代過ぎのおっさんの行動が気になります。 手をポケットに突っ込んで、余裕かまして周囲を見渡す感じが見ていてイラつきます。 自分はこんな安っぽい心のこんなやつの様にはなりたくないです。万が一見た目通りじゃない方としてもそれを詮索する我が心の余裕はゼロ。 引き寄せの法則で且つこんな安っぽい老害に虚勢を張ってる自分がいます。時間の無駄、情けないです。 あーこんな奴まともに相手するだけ、意識するだけ損だ!と理屈でわかってても抵抗しないと納得出来ません。つまりわかっていません。 このままだと、自分もこいつらみたいに老害と言われかねません、残りの人生穏やかに、来世も人間として産まれたい。 明らかに理不尽な事、またはされたと想像したら直接相手に物申したい。しかし場合によっては何をされるか分からないこのご時世。 チキンな私は泰然自若になれません。 お坊さんなら、もし身近に不本意な不利益な状況が降りかかってきたら、どう対処してますか? アドバイス下さい。 アンガーマネジメント意識するも、先頭態勢入ると、何処かプッツンしてしまいます。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

老いに対する恐怖

こんにちは。現在中学3年生の者です。 タイトル通り、自分は老いが怖いです。 よく、老いることと一緒に質問される「死」についてはあまり怖くありません。 もし生まれ変わりというものがあるならば、そのまま悪行を行わないようにして、また生まれ変わり、一方でもしないのであればそれを認識する術もないわけですから、特に恐怖というものは出てきません。 しかし、老いることだけはどうしても怖いんです。 僕は2004年生まれなので、もし80歳まで生きれるとしたら その時は2084年です。僕はその時、おそらくこの時代の中学生や高校生の「若さ」を羨望するでしょう。 一つ目の質問ですが、皆さんは10年前,20年前の自分、もしくはその年齢の人を「若さ」で羨むことはあるのでしょうか。 そして、二つ目の質問に関してですが、1年前、国語の授業で 「無常観」について習いました。 自然を対象とした無常観というのは、非常に美しく素晴らしい考え方だと思いました。しかし、人間関係や自分の老いに関する無常観は「儚い」という一言で表せると思ったのですが、 その「儚い」が怖いんです。 例えば、今は両親や祖父母が生きていますが、いずれ、どの順番かはわかりませんが、亡くなり、お別れが来ます。 また、今自分は「若い」という部類に入り、体力もある時期なので基本いろんなことができます。しかし、そんな自分もいつかは衰え、できることが少なくなると思うとどうしてもなんともいえない気持ちになります。 二つ目の質問なのですが、皆さんはこの「老い」についてどう思いますか、またはどう考えますか。そして、もし仏教にそれに関する教えがあるのでしたら、教えてくださると幸いです。  

有り難し有り難し 26
回答数回答 2

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る