いらない、とは?
重度鬱病を患っています。存在価値が分からなくなってしまいました。長文乱文すみません。
鬱病療養の為、今は無職です。
ですがこれ以上家族に迷惑をかけたくなかった為、就活や資格取得の勉強を開始しました。
その矢先に「新型ウイルス」が出てきました。
「家族を感染から守りたい。その為には情報を知らなければ対策を立てられない」
『情報=命綱』と感じたので自身の就活や勉強は後回しにして情報収集と共有に励みました。
国内外のニュースやSNSの確認。海外情報は翻訳&要約。それをノートに書き記したり、印刷していました。
これらをまとめて『対策ノート』を作りました。いつでも・誰でも・何度でも見ることが出来るように。
※SNSやネットニュース、また海外ニュースやレポートは、情報が速いので積極的に目を通していました。
家族はネットや外国語が苦手なので、私がカバー出来ればと思い、チェックしていました。
※収集した情報を基に、必要物資の買い出し等も行っていました(費用は自分の貯蓄を切り崩して捻出)
このように防疫に努めていましたが、昨日家族から「もう情報いらない」とバッサリ言われました。更に「買い物も勝手にされると迷惑」という趣旨の話もされました。
独自に作成したノートについては「ありがたいし感謝してる。でももういらない」との事。
家族は私がノートに記した内容は目を通してくれていたようで、日常生活で注意すべき点は気を付けているようです。忙しい中ノートを読んでくれた事は感謝しています。
ですが「いらない」という言葉がグサリと刺さりました。
私が鬱病を発症した原因は学校と会社でのイジメとパワハラです。
その時「(私の存在が)いらない」と何度も言われ、無視されたり馬鹿にされたりしました。
なので「いらない」という言葉は私にとって重苦しいものになってしまいました。
今回家族から「いらない」という言葉を聞いて、どう接すれば良いか全く分からなくなりました。
鬱病を患ってから頭の回転が鈍くなりました(文字を読む、要約するといった作業が困難)
でも少しでも防疫に役立てればと思い必死に取り組んだつもりでした。
だが家族には迷惑でしかなかった。何の役にも立てない私に存在価値はあるのだろうか。
鬱病の症状だと思うのですが『消えたい』と強く感じています。
私はもう「いらない」存在なのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分で情報を集めるから、もぅいいよって意味だと思うわ。
あなたが、「いらない」という意味ではないわ。そんなはずが、ない。
家族のために、いろいろ情報を集めてくれて、凄く助かったと思うわよ。
ただ、長引いてきて、みんな情報疲れがあると思うの。
また、政府が発表する情報にも、内容が変更されていく。厳しさが増していく。
そうなると、見るほうもしんどくなってきたのではないかしら。
自分のペースで情報を集めるから、もぅいいよって意味だと思うのよ。
また買い物も、三密.接触を考えると、あなたのことを心配して。感染拡大の速度があまりにも早く、あなたには強めにもういいから、家から出ないでとの意味だと思うわ。
精神的に、今は、みんなが影響を受け、追い込まれている最中ですから。
ピリピリしているのかもしれないね。
決して悪意はないと思うわよ。
家族のために、ありがとうね(﹡´◡`﹡ )
この世には無駄などは御座いません。
初めまして、お早う御座います。
この世には無駄な事も、無駄な命も一切御座いません。私たち一人ひとりに、生きる意味があります。この身体には、幾度もの困難と言う嵐を乗り越えて来たご先祖様や先人方の生き抜いた証でもあり、さらに父母の願いや想いが込められて様々な命との繋がりがあるのです。そして、私たちも先人方と同じように託された想いを、未来に引き渡す役目や、それぞれに与えて頂いた課題があるのです。
亡き彼女が、私に残してくれた言葉があります。過去でもない、訪れていない未来をふと・・考えてしまうと、それらが不安や心配となってしまう。未来でもない、二度とないこの瞬間を自分らしく生きて!と伝え続けました。
私たちには乗り越える力などがあります。そして、自分自身は誰かが守ってくれるのではありません。自分で継がれた命を守るのです。この人生の困難の嵐も乗り越えられます。この出来事で多くの御霊が空に舞っていきました。失った出来事は大きいです。それ以上の多くの気付きを与えて頂けたと私は思っております。
無駄な命も、無駄な出来事も一切ないのです。あなたには、あなただけしかない良さがあるのです。必ず、この世に生まれる時に良さと仏心を備えて生を受けるのです。それらは育った環境などにより薄れてしまったりしますが、人生と言う冒険旅行で、人生も運命も自分自身もいくらでも変えられます。その中で、気付きを与えて頂いて取り戻す事が出来ます。人生は思うようにいかないから、工夫をして失敗をしながらそれらをプラスに転換して自分のものにしていくのです。善き事ばかりで悪き事が少なければ・・自分勝手な世の中になってしまいます。思うようにいかない中で、ひょっこり善き事が訪れるから有り難い=ありがとうと感謝をしたり思いやる心が生まれるのです。そして、あなたを必要としている人が居て、あなたも誰かを必要としてこの瞬間を生きているのです。
心をとらわれたり、奪われたりせず、執着をする心を思考を変えて視野を広げて見てください。時に辛い事も言われてしまうけれど・・あなたを必死に育ててくれたかけがえない家族です。受け流す事や時に許す勇気も必要です。困難の嵐で皆んな不安の中を過ごし心が窮屈になって自分を見失いかけている方が多いです。辛い時だからこそしかめっ面ではなく、笑顔で家族と過ごして欲しいです。
合掌
人生捨てない。
おはようございます。
ご質問文拝見しました。
現在の状況は住みやすいわけでなく、行き辛い面もあるかと思いますが、
風の子さまのはたらきは
十分家族の役にたってますよ。
人生捨ててはいけません。
ご家族の言葉。
私は不安が安心に変わった目安として捉えるべきだと思います。
寒いときはストーブを使っていたが春になり、使わなくなった。
料理をつくるときに鍋を使ったが、食事を終えたので次の食事まで使わない。
野球の試合でバットを用意したが守備に回るから使わない。
例えが適切かどうかの自信はありませんが、時と場合、個人と集団の中での優先順位が変動したからといって存在そのものを否定する考えは卒業する方向に進む方が生き易いです。
風の子ご自身より病気がそうさせている部分が大きいですが、いらないという言葉が耳に入ったからといって、人生捨てることにはならないです。
いらない=捨てるは間違いです。
まずは、ご自身の身を守ってくださることを念じます。
しっかりと生きておられますね
こんにちは。
「何の役にも立てない私に存在価値はあるのだろうか」との問いに黙って通り過ぎることが出来ませんでした。
私も学生時代・社会人時代は落ちこぼれで出来る人を見ては自分を責めていたように思います。
人にいらないと言われることも辛いですが、本当に辛いことは自分で自分の事をいらないと思う事ではないでしょうか。
そうすると段々と生きることが嫌になります。その思いの底には善(知力・経済力など)であることをもって自分の生きる根拠にしようという我儘で勝手な思想があると思います。
何の役にも立たない人間をして、役に立たなければ駄目だという思いから解放していのちを与えてきたのが仏教ではないでしょうか。
豊臣秀吉というお百姓さんから天下人まで出世した人がいますが、辞世の句で「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢」と語られています。
欲しいものは何でも手に入れたけれど、本当に大切なことを見失っていたという告白です。
大いに学ぶべきことがあるのではないでしょうか。
質問者からのお礼
永寛様
はじめまして。
この度はお忙しい中、私の質問にご回答を頂きましてどうもありがとうございました。
永寛様の暖かい文章の中に「今の私が見失っているもの」「忘れてはいけない事」が明確に記されておりました。回答を拝読して、ハッとしました。
>この世には無駄な事も、無駄な命も一切御座いません。
>この身体には、幾度もの困難と言う嵐を乗り越えて来たご先祖様や先人方の生き抜いた証でもあり、さらに父母の願いや想いが込められて様々な命との繋がりがあるのです。
>私たちも先人方と同じように託された想いを、未来に引き渡す役目や、それぞれに与えて頂いた課題があるのです。
私の命は、夜中に「消えてしまいたい」と思っていた命は、多くの人々が繋いでくれたものだった。
そして私も未来に繋いでいかなければならない。
鬱病が悪化すると(無意識に)悲観的な方向へ進んでしまうのですが、もっと視野を広げなければいけないと感じました。
>あなたを必死に育ててくれたかけがえない家族です。
この一文で涙が溢れました。
はい。私にとってかけがえのない、愛する家族です。
(鬱病の原因になった)多くの他人からのイジメやパワハラで苦しんでいた時も、一番側で寄り添い、励まし、助けて下さったのは、紛れもなく私の家族でした。
私を育てる為に必死に働き、沢山の愛情を注いで下さり、厳しかったけれど躾の大切さを教えて下さったのは、紛れもなく尊敬する両親です。
時にはケンカもするけれど、お互いの不足分を補いながら、助け合いながら、笑いあって一緒に大きくなったのは、紛れもなく私の愛する妹です。
今はもう空の上にいってしまったけれど、私の成長を喜び、共に楽しい時間を分かち合った祖父母や伯母もいます。
(肉体はもうありませんが、きっとどこかで見てくれているのかもしれません)
皆、かけがえのない家族です。
鬱病で見失っていた、一番大切で大きな存在をご教示して下さりありがとうございました。
この新型ウイルス禍に負けず、鬱病を乗り越え、皆が笑顔で過ごせるように、今日からまた頑張っていこうと思います。
(※幸いにも、家族とは無事に笑顔で和解できました)
永寛様。この度はご回答を頂きまして本当にありがとうございました。
新型ウイルス問題が気掛かりな状況ですが、どうかお体ご自愛下さいませ。
どうもありがとうございました。
泰庵様
はじめまして。
この度は私の質問にご回答を頂きまして、どうもありがとうございました。
>風の子さまのはたらきは
十分家族の役にたってますよ。
このお言葉を目にした時、涙が出るほど嬉しかったです。
鬱病で、こんな私でも、誰かの役に立てていたのかと少しでも感じられて…本当にありがとうございました。
また、泰庵様が提示された『比喩(ストーブ・鍋・バット)』は大変分かりやすかったです。
今までモヤモヤしていた何かがストンと消えたような感覚がしました。
同時に「考え方を、もっと柔軟に・臨機応変に変えていけるようにしないといけないなぁ」と反省しました。
>人生捨ててはいけません。
>風の子ご自身より病気がそうさせている部分が大きいですが、いらないという言葉が耳に入ったからといって、人生捨てることにはならないです。
いらない=捨てるは間違いです。
まずは、ご自身の身を守ってくださることを念じます。
上記の泰庵様のお言葉は、鬱病の私にとって大変ありがたいものでした。
私のような重度鬱病になると、無意識に「自己否定・自己批判」の思考回路に陥りがちになってしまいます。
思考だけでなく、鬱症状が強まると自己を傷付ける行動(自傷や希死念慮)を無意識にとってしまいます…。
何とか日々治療に励んでいるのですが、一進一退。
症状が好転したかと思うと、些細な出来事で転落。この繰り返しです。
ですが泰庵様の仰るように「人生を捨ててはいけません」ね。
何とか生き抜いて鬱病を克服するように努めます。カツを入れて下さりありがとうございました。
泰庵様。この度はお忙しい中、ご回答下さりありがとうございました。
新型ウイルスが気掛かりな日々が続いています。どうか泰庵様もお体ご自愛下さいませ。
どうもありがとうございました。
中田三恵様
はじめまして。
この度は私の質問にお答えを頂きまして、どうもありがとうございました。
まるで母のように、優しく語りかけるような文書が暖かくて、一言一言がとても胸に染み入りました。
>家族のために、ありがとうね(﹡´◡`﹡ )
ここまで読み終わった時、涙が出ました。
ご回答を頂いた後、気持ちを整理をしてから家族と話をしました。
中田さまが仰った通りでした。
全く悪意はなく、ただ私が心配だったから「(これ以上根を詰めすぎると私が体調を崩しそうだから、無理をしてはいけないから)いらない」という事でした。
※自覚していなかったのですが、じっくり鏡を見たら肌も髪も(毎日洗っているのに)ボロボロでパサパサ…。
頬がこけていたので体重計にも久々に乗ったら5㎏程減っていました。鬱病の影響で食欲不振になっていたのですが、ここまでだったとは…。
もしかしたら家族は私のこの姿を見て、あの言葉を発したのかもしれません。
そして「家族の為に、ここまでしてくれてありがとう」と言われました。
中田様に励まして頂けた事で、一歩踏み出せました。
お陰さまで笑顔でまた家族と向き合うことが出来ました。
本当にありがとうございました。
鬱病は厄介なもので「良くなってきたかな」と思った矢先に、ほんの些細な出来事で「パニック」「気分の転落が続く・転落の仕方が凄まじい」という事が多々あります…。
なかなかコントロールが難しい病ですが、何とか自己を制御して、また前向きに頑張ろうと思います。
中田様、この度は暖かなご回答をありがとうございました。
新型ウイルスが気掛かりな日々が続いていますので、どうか中田様もお体ご自愛下さいませ。
どうもありがとうございました。
桃川英明様
はじめまして。
この度はお忙しい中 私の質問にお答え頂きまして、どうもありがとうございました。
>人にいらないと言われることも辛いですが、本当に辛いことは自分で自分の事をいらないと思う事ではないでしょうか。
まさに仰る通りです。
現在通院している心療内科の医師からも「自己否定はしないように。自分を傷付けてはいけない」と言われていたのを思い出しました。
学生時代も 社会人として働いていた頃も、多くの他人からイジメやパワハラをされました。
何度も「お前はいらない」と言われ、人格否定をされたり、無視をされたりしました。
今思い出しても動悸・呼吸困難・頭痛・手足の痙攣などがします…。このような環境(学校・会社)におりました。
そのような環境に長年浸っていた為、私自身も自己批判や自己否定を無意識にするようになってしまいました。
そうでもしなければ、あの環境の中で生き抜けなかった。
時にはそれが大きな反骨心になって、何とか生きる原動力になってくれた時もありました。
でも、最終結果をみれば『重度鬱病』…私が招いた結果です。
これは誰のせいでもなく、私自身の『悪習・悪癖』でした。
今回、桃川様のアドバイスを受け、改めてこれ迄の自分の生き方を反省しました。
自己を傷つけないよう、そして他人様も傷つけないよう、改めて生き直す所存です。
>「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢」
豊臣秀吉さんの辞世の句、とても勉強になりました。
『本当に大切な事』を見失わないよう、気を付けます。
桃川様。この度はお忙しい中、ご回答下さりありがとうございました。
新型ウイルス問題が気掛かりな状況ですね。どうか桃川様も、お体ご自愛下さいませ。
どうもありがとうございました。