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永眠についての不安

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昨日、父親に死について質問してみたら、死んだら無になると返ってきました。
僕は、死んだら無になることは誰にも変えられないと思い仕方ないと思いましたが、永眠と言う言葉について不安をいだきました。
死んだら何も考えられなくなり子孫のようすを見たり先に亡くなった親しい人と再会したりできるのでしょうか。
とても不安です。何回も質問していますが、回答よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

死んで無にはなりません。

玄ピーさん、こんにちは。
このhasunohaという環境では人の発言を否定しにくいので、本当は言うべきではないかもしれませんが、大切なことなのであえて発言してみます。

死んだら無になるというのは仏教ではありえない考え方です。断見という考え方で、お釈迦様が強く否定された考え方です。逆に常見という考えがあり、この考え方は魂に繋がります。こちらもお釈迦様は強く否定されました。諸法無我といいます。
中道という教えが言われますが、実態としては理解し難い境地です。それを私たちでも受け止めることができるように説かれたのが、極楽浄土という世界です。死んでからは、極楽浄土で仏となって、残されたものを幸せにするために働きます。これが紡ぎとしての命のあり様をあらわしています。
ここまで書いて、玄ピーさんの過去の質問を見てみました。死んだら無になると言ったのはお坊さんではない方だったんですかね。質問と回答には見当たらなかったので。
少し安心しました。
命は繋がっています。ただそれだけです。いいも悪いもありません。
人は死ぬし、病気にもなります。そこにいいも悪いもありません。しかし、大切なことは、今いかに多くのご縁とご恩をいただいて、この身が成り立っているか。それを考え、思いを馳せることです。なかなかできないことですが、そんな方向性の中にある命だと受け止めています。
ご参考までに。

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輪廻を正確に知ろう

 世間では転生して○○になって活躍!なんてお話が、漫画やライトノベルにあふれています。
 仏教では、もう簡単に、六道輪廻と言います。悟るまで輪廻が終わらないので、何度でも生まれ変わると言ってもいいです。
 生まれ変わる生命の境涯が地獄、畜生、餓鬼、アシュラ、人間、天人の六段階あり、人間以外は、各境涯の中でも生き方が分かれます。暑くて泣き叫ぶ阿鼻叫喚の阿鼻地獄とか、もうちょっとマシな糞尿地獄とか、畜生にもミミズや象などいろいろいます。
 ただし、餓鬼(幽霊)と天人だけ、パッと化けて生まれるからか直前の一生を覚えていますが、他の生命は、生まれる時に、忘れてしまうみたいです。畜生と人間は細胞一個から必死に始めるので忘れるとか、地獄は過去を思い出す暇もなく「熱い痛い熱い痛い」と感じるばかりで思い出す暇もないそうです。ちなみに、人間の私は直前の一生を覚えていません。
 そういうわけで、自分の生まれる前を知らないからか、生まれる前はなかったと思っている人が多いです。そこから推測して、死後もないだろうと思っている人が多いです。
 死後のことは、誰も確かめて戻ってきて教えてくれてはいません。だから、未知です。
 生まれる前は、忘れているだけかもしれないので、あったのかなかったのか、これも未知です。
 どちらも「ない」と断定できません。
 「ある」とも断定できません。ただ、お釈迦様がはっきりおっしゃっていますので、それを信頼したほうがより確かではないかと思います。
 それで、死んでも天人に生まれたら、直前の家族のところに来ることができるかも、餓鬼に生まれたら、直前の恨めしい人のところに化けて出るかも、とも考えられます。
 スマナサーラ長老の『死後はどうなるの?』が、角川文庫から出ています。

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初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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