hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

永眠についての不安

回答数回答 2
有り難し有り難し 8

昨日、父親に死について質問してみたら、死んだら無になると返ってきました。
僕は、死んだら無になることは誰にも変えられないと思い仕方ないと思いましたが、永眠と言う言葉について不安をいだきました。
死んだら何も考えられなくなり子孫のようすを見たり先に亡くなった親しい人と再会したりできるのでしょうか。
とても不安です。何回も質問していますが、回答よろしくお願いします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

死んで無にはなりません。

玄ピーさん、こんにちは。
このhasunohaという環境では人の発言を否定しにくいので、本当は言うべきではないかもしれませんが、大切なことなのであえて発言してみます。

死んだら無になるというのは仏教ではありえない考え方です。断見という考え方で、お釈迦様が強く否定された考え方です。逆に常見という考えがあり、この考え方は魂に繋がります。こちらもお釈迦様は強く否定されました。諸法無我といいます。
中道という教えが言われますが、実態としては理解し難い境地です。それを私たちでも受け止めることができるように説かれたのが、極楽浄土という世界です。死んでからは、極楽浄土で仏となって、残されたものを幸せにするために働きます。これが紡ぎとしての命のあり様をあらわしています。
ここまで書いて、玄ピーさんの過去の質問を見てみました。死んだら無になると言ったのはお坊さんではない方だったんですかね。質問と回答には見当たらなかったので。
少し安心しました。
命は繋がっています。ただそれだけです。いいも悪いもありません。
人は死ぬし、病気にもなります。そこにいいも悪いもありません。しかし、大切なことは、今いかに多くのご縁とご恩をいただいて、この身が成り立っているか。それを考え、思いを馳せることです。なかなかできないことですが、そんな方向性の中にある命だと受け止めています。
ご参考までに。

{{count}}
有り難し
おきもち

輪廻を正確に知ろう

 世間では転生して○○になって活躍!なんてお話が、漫画やライトノベルにあふれています。
 仏教では、もう簡単に、六道輪廻と言います。悟るまで輪廻が終わらないので、何度でも生まれ変わると言ってもいいです。
 生まれ変わる生命の境涯が地獄、畜生、餓鬼、アシュラ、人間、天人の六段階あり、人間以外は、各境涯の中でも生き方が分かれます。暑くて泣き叫ぶ阿鼻叫喚の阿鼻地獄とか、もうちょっとマシな糞尿地獄とか、畜生にもミミズや象などいろいろいます。
 ただし、餓鬼(幽霊)と天人だけ、パッと化けて生まれるからか直前の一生を覚えていますが、他の生命は、生まれる時に、忘れてしまうみたいです。畜生と人間は細胞一個から必死に始めるので忘れるとか、地獄は過去を思い出す暇もなく「熱い痛い熱い痛い」と感じるばかりで思い出す暇もないそうです。ちなみに、人間の私は直前の一生を覚えていません。
 そういうわけで、自分の生まれる前を知らないからか、生まれる前はなかったと思っている人が多いです。そこから推測して、死後もないだろうと思っている人が多いです。
 死後のことは、誰も確かめて戻ってきて教えてくれてはいません。だから、未知です。
 生まれる前は、忘れているだけかもしれないので、あったのかなかったのか、これも未知です。
 どちらも「ない」と断定できません。
 「ある」とも断定できません。ただ、お釈迦様がはっきりおっしゃっていますので、それを信頼したほうがより確かではないかと思います。
 それで、死んでも天人に生まれたら、直前の家族のところに来ることができるかも、餓鬼に生まれたら、直前の恨めしい人のところに化けて出るかも、とも考えられます。
 スマナサーラ長老の『死後はどうなるの?』が、角川文庫から出ています。

{{count}}
有り難し
おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
このお坊さんを応援する

「死について」問答一覧

死別シングルマザー

夫と死別し、半年経ちました。 死後の手続きなどでバタバタと、忙しくしていましたが、この頃PTSDの症状がでて、とうとう仕事にいくこともできなくなりました。 一ヶ月の休職ですが、休んでる間に収入の不安、子どもたちのこと…色々と考え過ぎてよけいに具合が悪くなっている気がします。 職場からは、また笑顔で戻ってくることを待ってますと温かい言葉を掛けてもらっているのですが、夫を看取った病院が職場の直ぐ側であることや、救急車が頻繁に通ることなどから、正直一ヶ月休んだところで復帰する元気があるかわかりません。何も前に進めない自分に自己嫌悪の毎日です。お金の不安と、パートナーを失くしたことから『風俗』で働いて少しでもお金を…と浅はかな考えも拭えません。時間が長く感じます。こんな姿を夫が見たらなんて思うだろう。夫じゃなくて、不器用な私が先に亡くなればよかったのにとまで考え込んでしまいます。周りには自分のように30代で配偶者を亡くした人はおらず、まるで腫れ物のように感じます。他の家庭を見ると、赤ちゃんが生まれた…家を建てる…夫婦仲良く子育てできてて自分にないものばかり目に映り、生きづらいです。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

「周りの人間の死」への向き合い方

「周りの人間の死」への向き合い方が分からず、恐らく変な方向に価値観が向かってしまい、常に一定の苦しみを抱えてしまっています。 無理やり挙げるとすれば、恐らく一番大きなきっかけは、2年前に母の母である祖母が急死されたことだと思います。大きな病気やケガもなく元気に畑で過ごしていた祖母の急死に頭が追い付かず、又様々な状況を理由にしばらく会えなかったことや、恩返しなども出来なかったと感じたことによる後悔と主に、「人は急に死ぬこともある」といった至極当然のことに恐怖を覚える様になりました。 その"急死"は脳内で"事故死"等に変換されたようで、現在は「自分が何か人に頼むことで事故死するかも」といった恐怖をもってしまっています。私が親に頼んだ買い物の道中で死ぬかも、私が選んだ待合場所のせいで、指定した時間のせいで友人が死ぬかも、と思うと、所謂"普通の価値観"で人に頼る事、あまつさえ意見や提案事の提示も難しくなってしまいました。 正直自分の死は大して怖くはありません。ただ、もしそういった状況で知人が亡くなってしまえば、仮に明らかに自分のせいではなくとも「自分がこの人を殺した」と思ってしまうに違いないと感じています。又そういった気持ちを抱えてその後の人生を全うできるとは到底思えません。 バタフライエフェクトのレベルで「人の死に関与したくない」といった気持ちが大きくなってしまい、生き苦しさを感じてしまっています。 この価値観が、俗にいう「変・ずれている・間違っている・過剰」ということは頭では理解できているつもりです。ただ、どうにも心がこういった考えを除いてくれません。 もし仏教などを用いて少しでも楽に生きることが出来るのであれば、と思い、相談させていただいている次第であります。ご意見をお伺いできますと幸いです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

病気になって死を考えるようになった

現在,一人暮らしをしている中年男性です。 先日から病気をしています。病気になって,一人暮らしなので,闘病しながら食事,洗濯の家事をしないといけません。また,食事のための買い出しも必要で,誰か助けてくれないかと,常に考えています。 知り合いに食事を作って持ってきてください,といった厚かましいお願いはできないもので,そういったお願いができる知り合いがいるわけではありません。 闘病を続けながら,食欲もなく,痩せていくし,気力も失ってきています。 また,コロナ禍で,一人亡くなっていった方もこのようなつらい状況であっただろうと想像し,そのため可能であれば入院させていただいて,看病していただけないかと,勝手な思いが巡ります。 そして,こんなに苦しい状況なのに,これを乗り越えて「生きる理由」はあるのだろうかという考えが頭をよぎっています。 ある程度の人生は送ってきました。これから先もいろいろと楽しみもあると思いますが,生老病死は,四苦なので,病気を克服するのも,その後,克服した後に生きていくのも苦しいのだろうと,勝手に解釈をしたりします。 だったら,もうここでいいや,と思ったときは,死ぬことができたらいいなぁ,眠るときにこのまま目覚めなければいいな,と考えるようになっています。 自死については,以前は否定的ではありましたが,闘病の中で,それは個人個人の自由でいいのではないかと思うようになりました。 自死していった方は,苦しい中,生きることに耐えられなかったのだろうなと,共感できる心持になっています。 病気をして,手厚く看病してくれる人がいる状況であれば,それはそれで,心配してくれる人のために生きる理由があっていいのですが,そうでない私は,一人で非常に苦しい,不安です。そんな私が,命尽きるまで闘病するかもしれないという選択をして,生きる理由はなんでしょうか。 誰も助けてくれる人もいない,ただ病気と闘って,死を待つだけかもしれない。 最後は,一人,孤独死を迎えるのかもしれないと思うと,寂しく,不安です。 そういった中で,このサイトに行き当たりました。 取り留めない文章になりました。 回答をいただければ幸いです。

有り難し有り難し 13
回答数回答 2

死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 14
回答数回答 3

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ