HSPの生きづらさ
私は若干HSPを持っています。
そのせいでたくさん損をしてきました。今のところ得だったなと思えることはありません。
傷つきやすいし、人混みと人の視線が気になるから街中や学校は苦痛だったし、人の言動に怒ってばかりで、どうしても苦しくて学校に行けなくなったとき親にわかってもらえませんでした。
人から全て理解されたいとまではいかないけど、そういう人もいるんだと事実としてわかってほしかったです。「そんな人はいない」「自意識過剰すぎる」「誰もお前を見ていない」そんなことはわかっているけど、いざ言われると悔しいのかなんなのか腹が立ちます。自分が傷つきたくないことや誰かを傷つけたくない思いがあるから、どうしてもこの思考をやめられません。
生まれ持ったものだから大事にしたほうがよいと言う人に限って苦しみを考えてはくれません。
毎日他人の言葉や態度や思いに怯えるのは疲れました。怖くてこのまま生きていけるような気がしません。
強くなりたいわけじゃなくて、今より少し息がしやすい生活を送りたいだけなんです。小さなおまじないをかけたいのです。
誰より神経質な人間が幸せに生きることはできるのでしょうか。
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そうそう、腹が立ちますよね
あすみさん、はじめまして。質問を拝読しました。
あすみさんは、若干HSPがありいろいろと損をしてきて、分かってもらえないことが多かったのですね。
私も診断は付かないでしょうがHSPの傾向があります。長男も同じようにHSPとアスペルガー症候群の傾向があります。
なので、あすみさんの行間からにじみ出るものに共感してしまいました。
そうそう、分かってくれないから腹が立ちますよね。
空海上人は「本当に知恵のあるものは一見愚か者のようである」と言いました。
HSPがある人は一見、イライラして怒ってばかりで神経質で愚か者のように見えているのかもしれません。私も自分がバカにされているような気がして苛立ちが止まらないことがありました。でも、空海上人の言葉を見て、自分の本質が見えない人にいらだっても仕方がないと思えるようになりました。
愚か者のように見えても心は賢人でありたいですね。