殺したいほど許せない男がいます
5年近く憎んで許せない男がいます。
当時は好きな会社の先輩でした。あることをきっかけに体の関係を持ちましたが、恋人になることができず、2年近く遊ばれて終わりました。
最初は優しくされていましたが、段々都合よく扱われ、今思えば私も途中で縁を切るべきでした。
それでも盲目だった私は、定期的に遊びたいと連絡を取っていました。私に遊べないと回答してくる時は他の女と遊んでいるかキャバ嬢を家に連れ込んでいたようで、後からなんで私じゃないんだとキレる時もあったほど、執着していました。
段々私自身もこの男とは遊ばない決意をしましたが、2年近く都合よくぞんざいに扱われてきたことに憎しみを覚えるようになりました。
そんな中、男は派遣の女性に一目惚れして結婚しました。私も他の良い人を見つけようとした最中に話を聞き、なぜこんな最低な男に家庭が持てるのか、私は良い人に出合えずいるのに、この男には出会いがあったのか。人生で今までにない憎しみが生まれました。
自分がこんな男に執着し過ぎていたことを反省し、自業自得だというのは重々承知しております。
ですが、この5年近く、この男への憎悪が抜けません。自分の身を削ってでも不幸にあってほしいと日々願っています。
自分が幸せになって見返すという方法はよく聞きますが、そんなことで許せるような感情ではありません。
このままでは私自身も幸せになることができないとは思っています。
どうかこの憎しみから解放されて、自分の幸せが願えるよう、ご助言いただけないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
既に置いてきた、と言いましょう
こんにちは、初めまして。
過去にお付き合いされた男性との間で、複雑な思いを抱えておられますね。
怒り、やるせない思いが文面から伝わってきます。
お辛いことでしょう。
仏教の説話に次のようなものがあります。
ある修行僧が、一人の女性の前を通りかかりました。
大きな川の手前で渡河できず難儀をしていました。これを見かねたその僧は、彼女を抱きかかえて体を濡らしながら、渡河させました。感謝して去り行く彼女を見送る僧。ややあって、その元に修行仲間が駆け寄って言いました。「あなたはあの女性を抱えて邪な思いを抱いたでしょう」と。少々意地の悪い問いでした。これに、その僧は答えました、「あなたは、まだ心の中にあの女性がいたのか。私はとうに置いて来たよ」と。
あなたは、いつまでもかの男性を心に持ち続けているのではありませんか。
その男性を中心に、見返す方法を考え、幸せになる方法を考え、結婚を考えるならばあなたはいつまでもそのくびきから自由になれません。
これを機に何事もなかったかのように、さらりと言いましょう。
「もう既にあの人のことは置いてきた」と。
あなたの今後のお幸せを願って。
私も似たような状況です。
私にも許せない人がいます。
10年以上になります。
殺意はありませんが
その人の姿を見るだけで
身心がゾワゾワします。
でも
こういう許せない人がいると
他の誰かには全て優しくなれている気がします。
さすがに10年も経つと
許せなさも変化してきて
だんだん関心が無くなってきました。
平気になったのか麻痺してきたのか
どっちにしても楽になってきたのは確かです。
一生許すことはないでしょうが
辛さはもうありません。
その憎しみを
あなた自身が認めて良いんですよ。
自分で否定し続けているから
逆に囚われている感が抜けないのかも。
憎しみを抱いたままでも
あなたはあなたの幸せを
見つけることは出来ますよ。