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死ぬのが怖くないです。

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有り難し有り難し 67

私は今年の3月で大学を卒業し、新社会人になりました。
ですが、新型コロナの影響で仕事もまだ始まっていません。
学生時代は進学、卒業、就職という目標があり、それが私の生きる意味でした。
しかし、学生生活を終えてしまった現在では、特に目標もなく、正直、いつ死んでもいいと思っています。
恋人も23年間出来たことがないし、恋人も欲しいとは思いません。
また、浅い付き合いの友人ばかりで、SNS中心の社会にも疲れています。
行きたかった国や場所も学生時代に行きました。
将来やってみたいことはありますが、金銭的に挑戦が難しいし、そもそもあと70,80年も生きたいとは思えません。
私はこれから何のために、誰のために、生きればいいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

大切な継がれた希望ある命をあなたらしく描いてください。

初めまして、今日は。

私は順風満帆だった日々。ある日突然、全てが崩れ絶望と嗚咽を噛みしめ必死に声を殺して、溢れ出し暴れ出そうとする心を必死に、必死に縛り付け、必死に僅かに繋がるそれを切れないように生きていた事がありました。生きようと思って見たり、呆れるほどの苦しさや辛さに必死に耐えてましたが、それらの重圧に耐え切れず命を絶ちました。発見され、頼んでもいない蘇生をされて彼岸と此岸(あの世とこの世)をさまよい此岸に引き戻されました。神も仏もないと絶句するほどの辛い出来事が幾度も幾度も訪れました。

この出来事があり一度は死んだ身。死ぬことが全く怖くないもう一人の自分がとても怖い時が未だにあります。過去でもない、訪れていない未来の出来事をふと・・思うから不安や心配になるの。その未来でもない、今この二度とないこの瞬間をあなたらしく生きて。この言葉は、震災で失った彼女が残し私をこの世に引き戻してくれた言葉です。

人生も運命も自分自身も、いくらでも変えられリスタートが出来ます。年齢は関係ありません。40歳を過ぎて、一般のサラリーマンから出家をしてお坊さんになり無名な自宅の一室をお寺とし、無名なお坊さんとなり、立派な飾りも、壇も、素敵な衣もなく無一文状態ですが、同じような境遇の方々や心悩み苦しんでいる方々をお救いさせて頂ける事、こんな私でも必要としてくれる方の為に抜苦与楽をさせて頂ける事がとても仕合せに過ごしています。

夢も希望も捨てない限り逃げません。何歳でも夢は叶えられます。宝くじの何十倍以上の奇跡の人生。せっかく比較的に恵まれた国に生まれたのです。不平や不満を言ってしかめっ面をせずありがとうを徐々に増やし、あなただけしかない良さと素敵な笑顔を輝かせて見ませんか?チャンスはいつ来るかわかりません。そのチャンスをいつでも掴めるよう逃さず掴んでください。何千年と言う時に困難を乗り越えて来た先人方の生き抜いた証が私たちです。私たちにもどんな事でも乗り越えられる力があります。継がれた命やそれぞれに与えられた課題があるのです。そのために生きているのです。大切な心や自分自身を見失わないように。惑わされたりせずにあなたらしく人生と言う冒険旅行を仕合せに歩めますように。お祈り致しています。

合掌

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おきもち

永寛
皆様、初めまして。ストレスの多い現代・・お寺とはご葬儀や法事のみではなく、...
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我々は生きるとは何かそもそも知っているのでしょうか?

人間という生き物は、意味というものに囚われます。しかし、それによってまた苦しむものでもあります。犬や猫は、何のために生きるなんて考えません。ただ与えられた命を黙々と生き続けます。

この生きる意味に囚われるという現象は、近代以降に始まったとも言われますね。比較的新しい悩みと言います。

「私はこれから何のために、誰のために、生きればいいのでしょうか。」この問いは私も分かりません。一人一人の自由では?分からないからこそ人生は残酷で、たった一つの意味とか、そういうものはないのではないでしょうか?この問いに安易に答えようとすれば非常に危険な新興宗教のようになってしまいます。

あなたの質問の根底に、深い苦悩があるような気がします。生きているだけでも疲れます。実は死なずに生き続けていることって、当たり前ではなくて大した事だなと感じています。あなたは、いつ死んでもいいという事を言われますが、こうやって質問してこられたという事は、あなたが頭で考えるよりも深い願いがあるんではないですか?このまま死にたくないとどこかで願っているからメールしてこられたのではないですか?
人間には深いものに出会いたいという深い願いがあります。あなたは、まだ出会っていないのではないでしょうか?まだ出会ってないけど、「これで生きた」と言えるような深いものに出会いたいのではないでしょうか。(文学や芸術、自然かもしれません。)

私自身もそうでした、なぜ生きるのか分からず、深いと思えるようなものに出会いたくて仏教を聞き始めて、何人か本物と言えるような先生や教えに出会って、これはまだ聞かんならんと思って生きつづけています。出会いが私を歩ませてきました。

生きる意味と言いますが、そもそも私達は生きるとは何か、十分に知っているのでしょうか?知ったつもりになっているだけではないでしょうか?今まで意味に縛られていたのであれば、一回意味から離れて、誰からの目や常識から離れて、深いものに出会っていくというか、そういう体験をするためにしばらく生きていってみてはどうでしょうか?SNSなんか無視してもいいじゃないですか。人生の深みというか、生きること自体を探求するそれをする時間をもってみてはと。そんな風に思いました。

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おきもち

浄土真宗本願寺派の僧侶です。 産業カウンセラーの資格を持っています。...
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「答え」はないけれども

生きる意味について深い問いを抱えているのですね。

その問いはとても大切なものなので大事にしてください。

私たちが生きていくにあたり、「誰かのため」や「何かのため」というものが見つかることはとても素敵なことです。

しかし究極的に言えば、その「誰か」や「何か」もやがて死や変化によって喪失されてしまうものです。さらに言えば、その「誰か」や「何か」を生きる意味として見出すこの私自身もいつか必ず死ななければならない存在です。

すると生きる意味という問いを考えるに当たっては最後はこの「死」という壁にぶち当たるのです。これは宗教的課題です。科学では解決できないものでしょう。

しかしどう考えようと肉体的な死は避けられません。ではどうやって死を超えるのか、それをごまかさず求めるのが宗教的求道なのです。

そういうことでなく、とにかく何かを見つけたいということであればそれで良いでしょう。
「誰か」や「何か」という生きる意味は出会いの中でしか見出されてきません。様々な人や物事の出会いによってそういうものが見出されてくると思います。

でも見出したものを「答え」として依存して握りしめてしまうと、いつかその「答え」を失うことは絶望になりますし、失わない時でもいつか失うのではという不安が押し寄せます。
つまり「生きる意味という問い」の解決は「答え」を見つけることでなく「問い」を「問い」として抱えて生きていけることになる事と言えるかもしれません。

そんなことしたくないし、そもそも「誰か」や「何か」ももう見つかる気がしないということもあるかもしれません。

ですが、私たちは「生きる意味という問い」を思い計らう以前に、現に生きている事実があるのです。生まれて生きているからこそこの問いを抱えているのです。
言うならば「答え」なんか見つからなくてもこれまで生きてきたという事実があるのです。

その時々で見出してきた目標は結局はその時々で変わっていくものに過ぎなかったということでしょう。そしてそれはこれからもそうなのでしょう。でもけしてそれは意味の無いことではないのです。

どうせ「ウ〇コ」になるから何を食べたって意味がないとはならないはずです。美味しいとか美味しくないとか、誰が作ったとか、どこで誰と食べたとか食事には色んな意味があるように、目の前のご縁の中に既に無限の意味があるのです。

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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仕事が始まれば、また変わる。

今の状況では
何の目標も持てないのは
仕方がありません。

でも
仕事が始まれば
また別の目標が出てくるのでは?
それを信じて
もうちょっと辛抱してみませんか?

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おきもち

和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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「死について」問答一覧

死別シングルマザー

夫と死別し、半年経ちました。 死後の手続きなどでバタバタと、忙しくしていましたが、この頃PTSDの症状がでて、とうとう仕事にいくこともできなくなりました。 一ヶ月の休職ですが、休んでる間に収入の不安、子どもたちのこと…色々と考え過ぎてよけいに具合が悪くなっている気がします。 職場からは、また笑顔で戻ってくることを待ってますと温かい言葉を掛けてもらっているのですが、夫を看取った病院が職場の直ぐ側であることや、救急車が頻繁に通ることなどから、正直一ヶ月休んだところで復帰する元気があるかわかりません。何も前に進めない自分に自己嫌悪の毎日です。お金の不安と、パートナーを失くしたことから『風俗』で働いて少しでもお金を…と浅はかな考えも拭えません。時間が長く感じます。こんな姿を夫が見たらなんて思うだろう。夫じゃなくて、不器用な私が先に亡くなればよかったのにとまで考え込んでしまいます。周りには自分のように30代で配偶者を亡くした人はおらず、まるで腫れ物のように感じます。他の家庭を見ると、赤ちゃんが生まれた…家を建てる…夫婦仲良く子育てできてて自分にないものばかり目に映り、生きづらいです。

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「周りの人間の死」への向き合い方

「周りの人間の死」への向き合い方が分からず、恐らく変な方向に価値観が向かってしまい、常に一定の苦しみを抱えてしまっています。 無理やり挙げるとすれば、恐らく一番大きなきっかけは、2年前に母の母である祖母が急死されたことだと思います。大きな病気やケガもなく元気に畑で過ごしていた祖母の急死に頭が追い付かず、又様々な状況を理由にしばらく会えなかったことや、恩返しなども出来なかったと感じたことによる後悔と主に、「人は急に死ぬこともある」といった至極当然のことに恐怖を覚える様になりました。 その"急死"は脳内で"事故死"等に変換されたようで、現在は「自分が何か人に頼むことで事故死するかも」といった恐怖をもってしまっています。私が親に頼んだ買い物の道中で死ぬかも、私が選んだ待合場所のせいで、指定した時間のせいで友人が死ぬかも、と思うと、所謂"普通の価値観"で人に頼る事、あまつさえ意見や提案事の提示も難しくなってしまいました。 正直自分の死は大して怖くはありません。ただ、もしそういった状況で知人が亡くなってしまえば、仮に明らかに自分のせいではなくとも「自分がこの人を殺した」と思ってしまうに違いないと感じています。又そういった気持ちを抱えてその後の人生を全うできるとは到底思えません。 バタフライエフェクトのレベルで「人の死に関与したくない」といった気持ちが大きくなってしまい、生き苦しさを感じてしまっています。 この価値観が、俗にいう「変・ずれている・間違っている・過剰」ということは頭では理解できているつもりです。ただ、どうにも心がこういった考えを除いてくれません。 もし仏教などを用いて少しでも楽に生きることが出来るのであれば、と思い、相談させていただいている次第であります。ご意見をお伺いできますと幸いです。よろしくお願いいたします。

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病気になって死を考えるようになった

現在,一人暮らしをしている中年男性です。 先日から病気をしています。病気になって,一人暮らしなので,闘病しながら食事,洗濯の家事をしないといけません。また,食事のための買い出しも必要で,誰か助けてくれないかと,常に考えています。 知り合いに食事を作って持ってきてください,といった厚かましいお願いはできないもので,そういったお願いができる知り合いがいるわけではありません。 闘病を続けながら,食欲もなく,痩せていくし,気力も失ってきています。 また,コロナ禍で,一人亡くなっていった方もこのようなつらい状況であっただろうと想像し,そのため可能であれば入院させていただいて,看病していただけないかと,勝手な思いが巡ります。 そして,こんなに苦しい状況なのに,これを乗り越えて「生きる理由」はあるのだろうかという考えが頭をよぎっています。 ある程度の人生は送ってきました。これから先もいろいろと楽しみもあると思いますが,生老病死は,四苦なので,病気を克服するのも,その後,克服した後に生きていくのも苦しいのだろうと,勝手に解釈をしたりします。 だったら,もうここでいいや,と思ったときは,死ぬことができたらいいなぁ,眠るときにこのまま目覚めなければいいな,と考えるようになっています。 自死については,以前は否定的ではありましたが,闘病の中で,それは個人個人の自由でいいのではないかと思うようになりました。 自死していった方は,苦しい中,生きることに耐えられなかったのだろうなと,共感できる心持になっています。 病気をして,手厚く看病してくれる人がいる状況であれば,それはそれで,心配してくれる人のために生きる理由があっていいのですが,そうでない私は,一人で非常に苦しい,不安です。そんな私が,命尽きるまで闘病するかもしれないという選択をして,生きる理由はなんでしょうか。 誰も助けてくれる人もいない,ただ病気と闘って,死を待つだけかもしれない。 最後は,一人,孤独死を迎えるのかもしれないと思うと,寂しく,不安です。 そういった中で,このサイトに行き当たりました。 取り留めない文章になりました。 回答をいただければ幸いです。

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死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 14
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ