自己肯定感が低すぎて嫌になります
自分が相手にお願いしたいこと、自分の要望を相手に伝えることってあると思います。
あれしてほしい、これはしないでほしい。など。
それを相手に伝え、相手がその通り動いてくれても、自分の心の中で「相手にやりたくないことをさせてしまっている」「自分の都合を相手に押し付けている」という考えが離れません。
そう思うのが嫌なので自分を守るために、「何でもかんでも指示させないで」「言われなくても動いて」と怒りをぶつけてしまうこともあります。
相手からすると、要望通りに動いたのに何故か私が落ち込んでいる、怒っている、という状況です。
仕事のことは、仕事だと割り切れるのでまだ平気なのですが、
プライベート、主に恋愛が絡むと、自分から告白して付き合えたとしても「付き合わせている」という感覚が無くなりません。相手からもデートに誘ってほしいことを伝えても、伝えたからやってくれているだけで相手がデートしたいから誘ってくれているわけじゃないと思って落ち込みます。
自己肯定感が低すぎるために、この思考回路に至ると思っているのですが、別に原因がありますでしょうか。
少しでも気持ちを楽にするにはどうすれば良いでしょうか。自分のこの考え方を矯正したいです。
また、もう20代も折り返し地点なので、自分の感情くらい自分でコントロールできるようになりたいです。
アドバイスをいただけないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご自身の認知を変えてみる、というのも一つの方法かもしれません
苦しいですね、自分の感情をコントロールできないと感じていらっしゃる。もしかしたら、社会に過剰適応しているのではないでしょうか?社会が求める優しさやこうあるべきに縛られすぎている所はありませんか?一連のプロセスを読ませていただくと、あなたは誠実で優しいゆえに、人を傷つけまいとして距離をとっているように感じます。我々は言われなくても相手の意を組み取ることや迷惑をかけないことを優しさと教わってきたと思うのです。それが、逆説的に相手にも、社会が求める優しさ(言わなくても意をくみ取る事)を求めてしまっていないかなと少し感じました。
ご質問に書かれたプロセスの中に、対話する・話し合うという姿勢があまり見えないように感じました。どこかで対話を避けているところがありませんか?対話自体が迷惑、あるいは対話が面倒だと感じていませんか?
私達はそもそも理解し得ない同士だからこそ対話するのです。最初から理解し得るなら対話しなくていい。でも日本だと「空気読め」とか「説明させるな」という圧力が蔓延しています。私もですが、相談者様自身もそういう事を要求されてきたし、無意識の内に、要求している部分があるかもしれません。
対話や議論する事は面倒ですし、傷つく事もあります。でもその面倒さは必要な物でもあります。しかし日本では、そうした対話において生まれる意見の違いやぶつかり合いすら避ける傾向にあるし、避けるのが美徳とされているように思います。自分本位に立ち帰る事をして良いのではないでしょうか?もう少し、自分本位の思いに立ち帰っていいのかもしれません。ワガママと迷惑という考えから解放させる。(認知の問題)
次に、恋愛でも、相手が自分に合わせてくれているように感じる。これは、相手と相談者様は違う人格なわけですから。相手が合わせていると考えなくて良いです。相手の考えはコントロールできる物ではない。相手はあなたといたくて勝手に一緒にいます。嫌だったら離れていきます。相手が自分といる事に、責任を感じる必要はありません。双方大人なのですから、そこは自分と他者を分けて下さい。
具体的なアドバイスをできなかったのですが、最近読んだ本の中に、相談者様と同じような悩みを持つ人がいました。よかったら参考にしてみて下さい。
【参考図書】①モヤモヤの正体(尹雄大)
②心がつながるのが怖い 愛と自己防衛(イルセ・サン)
質問者からのお礼
ありがとうございました!