母の寿命が決められません
いつも母の事で、お言葉をいただいてます。
たびたびで申し訳ございません。
母が退院して一週間。
寝たきりになってしまい、口からは栄養を摂取出来なくなり、点滴の毎日です。
私は、毎日施設へ通って、2,3時間程点滴の番をしながら、母の姿をながめてます。
入院前と比べて、今は痩せ細ってしまい骸骨のようです。
私は自宅に帰ってからは、母の部屋に遠隔カメラを設置して、母が動いているかどうか確認する毎日です。
一日一日経つごとに、確実に母の死期は近づいてます。点滴をやめてしまったら、あと2,3日だと思います。延命治療とはわかっています、でも、27キロになっても、寝たきりきりになっても、何とか母は生きてくれています。
メンタルがとても弱く、相変わらず夜は眠れず、食欲も殆どなく、3ヶ月て5キロ程痩せてしまいました。
この事に関しては、答えがないのは十分わかってますが、お坊様のお言葉を聞かせていただければ大変ありがたいです。よろしくお願い申し上げます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
最期は仏さまのお仕事。あなたが決める必要はありません。
どうぞこのまま
精一杯の看護を続けてください。
これまで本当に頑張って看てこられましたね。
親を見送るわけですから
あなたも普通でいられないのは当然です。
どうかご自愛してください。
お念仏をお勧めします
最後まで読んで欲しいのですが。
「お念仏」というと、恐らく「亡くなった後に唱えるもの」というイメージがあろうかと思います。私は浄土宗ですが、確かに「亡くなったあとの極楽への往生を願う言葉」として使うことも多いです。しかし、使ってきた身としては、もっと広範囲に「使える」と考えています。
例えば、蚊を叩いた時。もちろん殺生になります。すかさず「南無阿弥陀仏」。自分が生きるため、というほど差し迫ってはいないのに、殺しをしてしまった。けれど「その蚊の往生を願う」事で少しバランスをとる。
そう、何か不安定だったり平静でいられない時、私は「南無阿弥陀仏」を称えます。無料で一人でいつでもどこでも。周りに人がいるなら小声で。思いが爆発しそうな時には大声で。
私が「南無阿弥陀仏」と称えて迷惑に感じる人はいません。一方で私にとっては確実に安定に向かう作用があります。私にとって絶対に間違いのない行為です。
「日頃言い慣れていないから」という戸惑いはあるかもしれません。しかし、これはやってみないと・やっていないと分からない事です。「何もできず(することもない)」時に、口ずさむようにお称えしてみては如何でしょうか。
質問者からのお礼
和田様 ありがとうございます。
入院している時は、このご時世お見舞いにも行けず、毎日やきもきしていました。退院してから今日で9日連続で、母の顔を見る事ができています。入院時よりは、表情がほんの少し明るくなったような気がします。
27キロでも点滴で毎日生きようと頑張っている母。私は、見守ることしか出来ませんが、最後の親孝行で頑張ります。
こんな私を励ましていただきありがとうございました。
またよろしくお願い申し上げます。
佐藤様 お答えいただきありがとうございます。
南無阿弥陀仏 色々な時に使えるのですね。知りませんでした。
魔法の言葉として、何かあった時、事あるごとに心の中で念じながら唱えたり、車の中で叫ばせてもらおうと思ってます。
こんな私の拙い文章にお答えいただきありがとうございます。
又よろしくお願い申し上げます。