「障害」に嫌悪を覚える自分を克服したい
「障害」という言葉に嫌悪感、そして恐怖を抱いてしまいます。
克服する方法があれば、教えてほしいです。
例えば、(親が仕事柄よく言うのですが、)「○○ちゃん、多分軽い知的障害持ってるんだけど…」という軽い会話に含まれるフレーズにも反応してモヤモヤしてしまいます。
また、ネットなどでよく見かける「アスペかよ!」「ガイジが!」とかの誹謗中傷もとてもとても怖く見えてしまいます。
その言葉に悪いイメージが着いてしまっているせいで、当事者の方にお会いした時も、ぎこちない態度を取ってしまっている自覚があり、とても申し訳ないです。
多分、経緯としては小さい頃に親が脅し文句でよく使っていたフレーズなので恐怖の印象付けがされたんだろうな…とは思っています。
あまりネットを覗けないので、お礼の返信が遅れると思います。また、初投稿のため、カテ違いだったり、分かりにくい文だったりしたらすいません。
嫉妬や羨望、自己否定が強すぎて、自分よりいくつか劣っている、と思ってしまっている人にしか気楽に話せない。 ADHD気味で、物事の整理が全く出来ない。課題の提出が守れない。物をすぐ無くす。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
健常ってのも、常に健やかな人なんていないじゃないって思うわ
そうだよね〜
言葉に悪意を乗せられると、
冷たく、怖く聞こえてしまうわね。
差別のように見えたり、偏見が生まれるわね。
私もね、ボランティアや支援に関わらせてもらったら いろんな障がいをお持ちの方と出会わせてもらうの。
その部分は、行動や理解が不自由であったり難しかったりされるけれど、私だって、そんな部分はたくさんある。
みんな、完璧じゃなく、完璧じゃなくてもいいわけで。
たくさんの出会いに、いっぱい刺激や学びをもらっています。
どの人も、皆さん、素晴らしいわ。
「健常」者ってのも、常に健やかな人なんていないじゃないって思うわ。
障害を口にしなくても、理解し合えたら、生きやすいのにね〜。
ただ、そうすることで社会の認識が広まったり、制度が生まれたり、保障を得る。
大事なことでもあるわね。
言われた一言が、トラウマのように、深く刺さってしまっているのかなと思いますが。
世の中には、区別せず、変わらず、接することができる人や、あなただから大切だと思ってくれる人も、きっとたくさんいるわ。
出会ってほしい。
そんな人や環境に。
ハスノハも、そうでありたい。
言葉って大切ですね
ご質問ありがとうございます。
拝読させていただきました。
Savakoさんのお悩み、すごくわかります。
お辛いですね。
現代社会において、病気をはじめたくさんの事柄が事細かくカテゴリー分けされてきていると感じております。
今に始まったことではないですが、そのことが分かった途端、周りから非難や中傷をされてしまうのも、悲しい時代ですね。
私個人の意見なのですが、こういうことも「個性」として受け入れられていかないかなと思います。
少し横道にそれてしまいますが、言葉は連想ゲームのようなものだと感じています。
便所やトイレは、イメージ的にあまりキレイなイメージには思えないですね。
最近のコロナウイルスの関係で、ロックダウン、オーバーシュート、クラスターなどは降ってわいたような言葉が急にたくさん出てきました。
障害という表記も、障がいや障碍の方が良いのではと思います。
言葉の表記もそうですが、今後、そういうことも認められる社会になりますように。
質問の回答になっているかわかりませんが、参考になれば幸いです。