生きるのが苦しいです
昔から自分の面倒が見れなくなったら死のうと決めて生きてきました。
子供が大学を出て自分が人生でやるべきと思っていた事も一通りやり終えた頃、うつ病で仕事ができなくなり、頃合いだと思い死ぬ準備をしていた時、離れて暮らしている姉妹が自死してしまいました。
彼女も多分私と同じ考えで絶望や無念からの自死ではなく生ききったと感じ、人生を終えたのだろうと思うのですが、残された私はどうしようもなく悲しくて辛くて、思い出しては涙が溢れてきます。
理由はどうあれ自死が家族に与える悲しみを知ってしまった私は親や子供に同じ悲しみをさせられないと感じ自死を選べなくなってしまいました。
ですが、自分自身生きたいという欲望が全くなく、親や子供を悲しませたくないという理由だけで生き続けてきて4年精神的にも経済的にももたなくなってきました。
もう無理、助けてと言えば家族は手を差し伸べてくれるのだろうと思います。でも人に迷惑をかけてまで生き延びたくはなく、どうしたら死ねるのかばかり考えている毎日にも疲れ果てました。
姉妹の自死は家族にこんなにも悲しみを与える事を教えてくれたのかも知れません、
生かされている事にはなにかしらの理由があるのかもしれません。
でももういいよ、がんばったね、終わっていいよと言ってほしい。
とりとめのない文章になりすみません。
自分勝手なのだと思います。
家族に悲しみや後悔を感じさせなく、人生を終わらせる事はできないのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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あなたの支えに成れれば
こんにちは、初めまして。
お辛い心境が文面から伝わってきます。
私の感じたところを返信させていただきますね。
今まで子供さんを大学卒業まで、よく育て支えてこられましたね。
誇らしいことでしょう。
「人生でやるべきと思っていた事も一通りやり終えた」ということは、家庭のことについて、一定程度やりきったという感慨があるのでしょう。お疲れさまです。
また、「姉妹の自死」という辛いご経験をされたとのこと。
いまでもその事実を抱えて苦しまれているご様子が伝わってきます。
あなたのこれまで経られてきた歴史、辛苦について私は軽々のものを申し上げるべきではないと思います。
しかしながら、「家族に悲しみや後悔を感じさせなく、人生を終わらせる事」は不可能だろう、と思います。それは、家族という血の繋がりを、最初からなかったことにして欲しい、というくらいに矛盾しています。子供との歳月、文面にはありませんがご主人との歳月もありましょう。これは、全て無意味だったのでしょうか。
幼き我が子を見て、可愛いと思った瞬間もありましょう。
子の成長を見て、驚かれたこともありましょう。
ご主人と出会った時の温かい思い出もありましょう。
子育ての末にある今を、
ご主人との関係の今を、
結果としてあなたがどう見ているかは存じません。
しかし、その瞬間はたしかに有ったのではありませんか。
その瞬間が、あなたの今の糧になりませんか。
「もう無理、助けてと言えば家族は手を差し伸べてくれるのだろうと思います。でも人に迷惑をかけてまで生き延びたくはなく」と言われています。あなたが助力を願うことを逡巡する真意は深い訳合があるのかもしれません。しかし、どうしてそこまで肉親と距離を取られるのでしょうか。
「精神的にも経済的にももたなくなって」きているといわれているので、この限られた字数では収まりきらないご事情もあるのでしょう。
ただ、その限られた字数の中でも、お考え頂きたいのです。
苦しい状況にあっても、一縷の望みはあるのではないでしょうか、ということを。
それは、先に申した輝く過去の瞬間かもしれません、手を伸ばせば助けてくれる身内のことかもしれません。そして及ばずながらですが、このサイトでもあなたの一助となれればと思っております。
どうぞ御身お大事に。