生きることが辛いです。
私は教育現場の理不尽さに絶望してしまいました。
決して大げさではなく、程度の大小はあれど、ほとんどの現場で起こっていることです。
そこでは、真面目で生徒想いの教師が使い潰されています。
年々仕事の量は増え続け、仕事の割り振りは全くといっていい程平等ではありません。そこでは、給料は年功序列で残業代もなく、不祥事を起こさない限りどれほど手を抜こうが100%クビにならないどころか、自動的に給料が上がっていくのです。仕事の質は反映されず、質を上げる努力をするか否かでさえも各教師の良心や使命感に依存する構造になっています。
私にとっては、生徒との時間だけが心の拠り所でした。彼らと共に多くを学び、私も人間として成長していくのがわかりました。彼らの笑顔に何度救われたかわかりません。私は休日は部活動をもち、平日は14時間程度働いていましたが、何とかこなしてきました。
しかし、私が仕事上で成果を出すほどに、私に割り振られる仕事はさらに多くなり、事務職員のような仕事まで任されるようになっていきました。その忙しさから生徒からは離され、生徒の近くには、昔に作った教材を何年も使い回したり、教科書を読んでいるだけのような教師達が置かれるようになっていきました。
管理職に相談しても「他の教師は人のいう事を聞かないから(断らない人に仕事をふる)」「忙しいのは信頼されている証拠」「年寄りが辞めていくまで我慢するしかない」と言われ、解決できないことだと悟りました。
外部の第三者機関は、全て学校の身内で構成されており、何もかも形だけのもので、職員の過重労働には暗黙の了解で触れられることはありませんでした。
守秘義務により書けませんが、胸が痛くなるような隠蔽の現場を目の当たりにし、私自身も同調圧力に屈したとき、私の中の何かが切れてしまいました。いっそ腐ってしまえば楽だったのでしょうが、どうしてもできずに職を辞すことになりました。
もう私には何もありません。
なのに怒りだけが消えず、なぜか私自身を責め続けています。
苦しみから解放される手段としての死を考えている自分がいます。
このまま進んでもよいのでしょうか。自分ではもう分からないのです。
(個人の特定をさけるため、年齢、県はあえて違うものにしています。東京ではありません)
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたの熱意と力を注げる場は、学校の教育現場だけですか?
そうですね。。。
人間は、どこまでいっても欲まみれです。
素晴らしい理想の現場も、結局は人間が組織していく。熱意や能力のある人には、仕事や お役が回ってくる。上に行けば行くほど、見たくなかった、聞きたくなかった現実を目の当たりにする。本当に、人間世界は、理不尽なことばかりですね。
私の世界もそうです。
素晴らしい教えも、扱う人間により、壊してしまうことがある。あ〜仏様のお示しの通りだな、人間は愚かな存在だと頷くばかり。
でも絶望ばかりではありません。
み教えに出遇って、人間世界でうまく生き抜くという考えから、仏様に願われて生まれて往ける いのち を生きたいと思えるようになれました。
この世に絶望しても、自ら命を消さなくても、
仏様ならちゃんと知った上で、あなたを救ってくださいますよ。
その法に、触れてみませんか。
仏法は、大切に生きる法です。
お寺へも参ってみませんか。
仏法を聞いていきませんか。
あなたに出会えて、人生に影響を与えた生徒さんが、たくさんいますよ。
あなたがいたから、成長できたいのちがあるのです。
その あなたの熱意と力を注げる場は、学校の教育現場だけですか?
教員免許は、生きています。
あなたのような人間に、出会いたいと願っている子ども達が、きっといるわ。
【アイデンティティー】
"私は教育現場の理不尽さに絶望してしまいました"
どうも。児童福祉の理不尽さに絶望している転落院です。
"いっそ腐ってしまえば楽だったのでしょう"
そだね。
"どうしてもできずに職を辞すことになりました"
うん。よくやった!!
"もう私には何もありません"
え?そうなの?
私も、欺瞞と怠慢、隠蔽体質と責任逃ればかりしている管轄の児童相談所に思いっきり楯突いて噛み付いてやったので、おそらく養育里親としては再起不能でしょう。ただ、私も暗中模索の真っ只中ではありますが、何もないとは思ってはいないかなぁ。
もちろん、結果として何もできなかったというオチが待っているだけなのかもしれない。しかし、やるべきことはいくらでもあると思っている。
なぜなら、私は仏教徒だから。
ところで、あなたは何者だい?
”教師”とは、単なる収入ゲットの看板だったのかい?
質問者からのお礼
中田みえ様
まずはご回答のお礼を、どうもありがとうございました。
つくづく青臭い質問でしたが、真摯にお答えしていただけたことを大変嬉しく思います。
私は在職中、今の子どもたちは、何者かにならなければならないというプレッシャーに常にさらされているように見えました。身分を捨てたいま、親族など周囲の見る目もすっかり変わり、皆がさらされていた恐怖、焦りに似たものを感じています。
その反面、私は彼らを尊敬し、彼らが不安の中で信じるに足る人間になりたくて、その思いに突き動かされてきたのだと気づきました。私は自分の青臭さを捨てたくはないとも思います。
独りになって初めて、自分の苦しみを誰かに理解してほしいと感じるようになりました。今はもう自分のことで精一杯ですが、どんな形でも再び歩き出すことができたなら、純粋さゆえに苦しむ人たちを励ましてあげられる存在になりたいです。
少し落ち着いたら、中田様の言われるように、先人の知恵を賜りにお寺へ伺えたらと思います。その折はどうかよろしくお願いいたします。
この度は御多忙のなか、ご回答をありがとうございました。
御身体にお気をつけて、ご健勝でありますように。