尊敬する教授に質問したいのに勇気出ません回答受付中
教授の研究室に質問に行きたいのに行けません。
歴史系の勉強をしている大学2年生です。
尊敬している先生の研究室に質問をしに行きたいのですが、勇気が出ず中々行けません…
進路に迷っていた高校時代、たまたま付けたテレビ番組でその先生が解説をされていて、「あ、この人の所で勉強したいな」と直感的に思って、今の大学を選びました。入学して先生の授業を受けられた時は本当に嬉しかったです。
もっと先生とお話したいですし、質問したいことも沢山あるので、研究室に質問に行きたいなと思っているのですが…尊敬する気持ちが強すぎて変に思われるのが怖いのと、極度のあがり症でもあるため研究室訪問のアポ取りどころか話しかけにいくのすら中々出来ません。
コミュ力が高くてよく色々な先生の研究室に質問に行ったりしている友人には「そんなんアポ取って普通に行けばいいじゃん」と言われたのですが、あがり症の自分は「こんな初歩的な質問をして呆れられないかな」とか「そもそもアポ取って研究室までわざわざ行かなくてもその場で質問しろよとか思われないかな」とか色々考えてしまって中々行けず、そんな自分にイライラします
その先生は今年度定年退職されるので、今のうちに先生の論文や著書を読んで自分なりに調べたけど分からなかったことや卒業研究について迷っていることなど、沢山質問したりしておきたいとは思っているのですが、中々勇気が出ず…
ちなみにその先生は私が入っているサークルの顧問をされているので、「○○先生の授業を受けたくて○○大学に入りました」と先生の前で自己紹介をした事があります。
そこから先生は私の顔と名前を覚えてくださったようで、サークルの行事などで顔を合わせた時には声をかけてくださったり、「彼女僕の授業が受けたくてわざわざ関東から関西まで引っ越してうちの大学入ってくれたんだよ〜嬉しいよね〜」と他の先生に紹介して下さったりしています。
そうやって顔と名前を覚えてくださっているからこそ、初歩的な質問をしたり見当はずれな質問をしたりして失望されないかが怖いのです…
なんだかまとまりのない文で申し訳ないです。
どうしたらあがり症を克服出来るか、どうしたら質問に行けるようになるかや、先生の立場から学生に質問や研究室訪問されて迷惑だと思わないか、自然なアポ取りの方法など、ご意見を伺いたいです。
よろしくお願いします。
怒り、執着、迷い、不安
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
質問をメモにまとめて。尋ねてくれることが嬉しいと思いますよ。
学生時代に憧れる師に出会えることは素晴らしいわね。そして、そんな先生の下で学ぶために大学を選んだことも、よく頑張ったわね。あなたの熱意を先生に届けられたことも、教師として冥利に尽きるのではないかしら。
先生はその道の専門家なのですから、どんな質問も尋ねてくれることが嬉しいと思いますよ。
私もね、講師としてお話しをさせてもらうことがあります。受講生の方から質問を向けてくださることは有難いと思っていますし、「質問をしたいのですが、上手くまとまっていなくてすみません」と質問の意図が見えづらいこともありますが、こういうことを聞きたいのかな?と推測しながら一緒に整理しながら質問に答えていきます。その時間も、緊張からくるのだろうと、思い切って声をかけてくださったことに、また嬉しくなるのです。
あなたの先生も、生徒が何を言わんとしているのか、ちゃんと把握して応えてくださるのではないかしら。
事前に、質問をメモにまとめておくのも良いわね。学ぶ立場が学生なのですから、知らなくて当然でもあるのです。遠慮せずに、先生に聞けるだけ聞くという機会を、たくさん重ねていきましょう。
「あの時、聞いておけば良かった。」という後悔にならないように
私は、hasunohaの回答僧の中では高齢者に当たります。ただただ馬齢を重ねていますが、過ぎし方を振り返ると「あの時、聞いておけば良かったのに、・・」と後悔することは多いですね。
私は岩手県県南部のお寺に生まれ育ちました。私の祖父は岩手の寺の住職となる前に、群馬県館林市のお寺の住職をしました。生前、群馬の寺に居た時代のことを思い出して、「田中正造」「古河市兵衛」という名前を口にしていました。御承知の通り、田中正造翁は日本の公害反対運動の先駆者と言うべき方であり、足尾銅山から流出した鉱毒で被災した方々を救済することに生涯をかけた方です。祖父が亡くなってから、田中正造翁の事績を見たら、正造翁の密葬は祖父の住職していた寺で行われ、祖父の先々代住職が弔ったのでした。祖父が住職していた当時も、足尾銅山の鉱毒に被災された方々は周囲に居られたと思います。元気な時に聞いておけば良かったなあ、と後悔しました。
似たようなことは他にもあります。
洞林寺住職のブログ「法話22: 次はあるだろうか?」
https://ameblo.jp/dorinji/entry-12510254519.html
私も引っ込み思案な人間でした。大学院で秋葉信仰の研究を始め、宗教史学と宗教民俗学と両面から細々ですが、研究を続けています。文献史料を手に入れるのだって、黙っていたら手に入りません。先達や関係者から何度も話が聞く中で、「そう言えば、あういう史料が、・・・」ということも多いのです。ましてや民俗学なんか、「如何にたくさんの話を聞くか?」が問われます。大きな目的のためには、大事な目的のためには、歴史を学ぶためには、人に接していくことが第一歩だと思います。
教授は質問に来る学生を歓迎します。自分の学門に共感共鳴してくれる学生がいることは、教授にとって大きな喜びだと思います。また、「質問に来ない学生は、あまり意欲が無いかも。」と解釈されかねません。退職してしまうと、そのチャンスは激減します。今が大事です。
私の学生時代は教授の講義がある日の講義時間の空きを見計らって研究室に行くしかありません。今なら、休講の通知をLINEで行い、レポートの提出はメールで行っていると思います。KINEかメールで簡単にアポイントメントを取ることは出来るんじゃないですか?まずは、質問したい旨をメールしましょう。