なんだか生きてられない
お世話になります。22歳(男)です。
私は中学生時代から「なんで生きなきゃならない?」という疑問が絶えませんでした。元々かなり繊細な性分で、無駄にストレスを感じ、塞ぎ込むことが多かったです。
「なんとか切り替えていかねば」とやり過ごしていましたが進学、人間関係、就職等で何かある度にもう駄目だと思考停止する様になりました。
ネットでネガティブな言葉を自虐するかの様に無意識で検索することが日課になり、19の頃ある事に気づきました。「自分が居なくても特に誰も困らないのでは」と。
自分より優秀な人間なんて幾らでもおり、自分にはこれといった特別なこともない。職場では役立たずで、恋人もいたことがない。生きがいだった趣味もいつの間にかつまらない様に感じてきました。
両親は優しく、いつも応援してくれます。受験の合格や就職などとても喜んでくれました。なので自分の本心を話したこともないですし、話せません。無論友人や先輩にも打ち明けたことはありません。
ようやくありついた仕事でも物覚えは悪く、お客様に怒られることもしょっちゅうです。失敗を引きずっては支障をきたし、同じ失敗をする。無能さもここまでくると笑えません。
話が脱線しましたが自分と他者、社会にズレを大きく感じ息苦しくなっています。普通じゃないんだな、とよく思います。
もう存在そのものが消えてしまえばと感じています。強風に吹かれたタンポポの綿のようにすうっといなくなればな等よく思います。
現実的に、誰にも面と向かって打ち明けられませんでしたので第三者様のお言葉を頂きたいです。この様な人間でも未来はあるのでしょうか。
この様な乱文を読んで頂きありがとうございます。何卒よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたの役割に変わりはきいても、あなたの代わりはいない
ご相談拝読しました。
生きることに疑問を抱えたままでこれまで頑張って来られたのですね。そのお気持ちを素直に語ることのできる場がないのですね。
どうかここhasunohaでは安心して語ってください。
もちろん語っていただいたからといって思う様な回答が来るとは限りません。私の回答もあなたの望むようなものではないのかもしれません。
しかし私が回答する自由があるように、あなたはあなたの気持ちを綴る自由がある。それは誰にも代われないあなただからこそのものです。
生きるということもそういう面があるのではないでしょうか。
社会で役に立つとか、生産性とか、そういう価値観でだけ考えると、自分がいなくても困らないとか、自分よりもっと優れた人がいるという考えに陥ることでしょう。
しかしあなたの仕事であるとか、あなたの役割には代わりはあってもあなた自身の代わりはないのです。
あなたが「なんで生きなきゃならない?」と感じることを、あなたに代わって誰かが考えたり悩んだりしてくれるわけではありません。それは他でもないあなたの悩みであるからです。
つまり、あなたが為すどんなことも、他の誰でもなくあなたにとってこそ意味があるということです。
そして誰もがみなそういう代わりのきかない命を生きているのです。その中で出会ったり離れたりするのが人の世ですが、あなたはあなたの出会いの中で「なんで生きなきゃならない?」という問いを確かめていってください。
そのためには目の前のご縁、今ある境遇に投げやりにならず、主体的な態度で臨むことが大事であると思います。
物覚えが悪くても、失敗ばかりでも、怒られても、あなたがそのご縁にどういう態度をとるか、あなたにはあなたの自由がある。
人間は弱い生き物ですが、時に投げやりになり、時にふさぎ込むのは仕方ありませんが、「こんなご縁いらない」という態度だけでは虚しくつまらないものにしか見えてこないのでしょう。
普通なんてクソくらえで、あなたはあなたの人生を主体的に歩んでみてください。
またいつでもお話しお聞かせくださいね。
おちおち死んでもいられない。
"「自分が居なくても特に誰も困らないのでは」と"
なるほど、その通りかもしれないね。
それでは、そんなろくでもないはずのあなたが、
「なぜ生かされているのか?」
と問うてみて下さい。
中学生時代からの「なんで生きなきゃならない?」という大いなる疑問のヒントが隠れていると思います。