死が怖い
中学生男子です。
コロナウイルスの影響で学校が休みになってから、死を意識してしまい、食欲がなくなったりしています。他にも、母が死んだらどうしよう...、死んだらどうなるのだろう?などを考えてしまいます。
その事をインターネットで調べると、「大人になりたくないのでは?」と書いてありました。
ここで質問なんですが、死を怖がるのは考えすぎでしょうか?それとも、大人になりたくないと考えすぎなのでしょうか?
後、浄土宗では死んだ後、極楽浄土に行くと言いますが、念仏を唱えていなかったら絶対地獄行きなのでしょうか?
長文すみません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お名前をお呼びすること
拝読させて頂きました。
そうですね、私もあなたと同じ位の年の頃に死を意識してしまって怖くてしかたなかったです。あなたのお気持ちよくわかります。あなたのお気持ちを心よりお察しします。
私達は必ずその寿命があるものです。それ与えられたものですし、誰も避けることはできません。そのように生き物には一生があります。
とはいえ生きることはいつも死と隣り合わせなのです。普段何気なく生きているとわかりませんけれどもいつも死は生の隣り合わせにあるものなのです。だからこそ日々を心健やかに大切に生きることが大事なんですね。またあなたの命や人生も大切なように、ほかの方々の命も人生も大切です。そしてあまたの生きものの命も一生も大切なのです。私達はその命のつながりの中で誰もが一生懸命に生きていますからお互いに命や一生を尊重することは大切なことなのです。
一気に何でもわからないですから少しずつ理解していって下さいね。
あなた自身をどうか先ずは大切に生きて下さいね。
仏様は「どうか仏様宜しくお願いします、助けて下さい、導いて下さい」と心からお願いし「南無阿弥陀仏なむあみだぶつ」とお念仏おとなえなさる方々を全てお導きなさって下さり、仏様の極楽浄土に往き生まれさせて下さいます。そして一切の迷いや苦しみや悩みからお救いなさって下さいます。私達は必ず極楽浄土に往生させて頂いて親しい方々やご先祖様方と一緒に円満にご成仏させて下さるのです。
お念仏おとなえする中に仏様の功徳が収まっているのです。
お念仏は仏様をお呼びしてお願いする声であり願いです。
例えば誰かに何かをお願いする時にはその方のお名前をお呼びにならなければ誰が呼ばれたのか、誰にお願いするのかわからないですよね。
ですからどうか阿弥陀仏様、宜しくお願いします!と仏様のお名前をお呼びなさりお願いするのです。
どうか心を込めて「南無阿弥陀仏なむあみだぶつ」と仏様のお名前をお呼びなさり心を込めてお念仏おとなえなさって下さいね。仏様もあなたのご先祖様もいつもあなたを優しくお見守りなさっていてくださいますからね。
死について考える
はじめまして
死について考えることはとても大切なことだと思います。
お母様が突然死んだらどうなるんだろうとか死んだらどうなるんだろうと考えることは人間のありようとして重要なことと思います。
このような問いは大人は忙しいのであまり考えなくなります。
そして、自ら死を迎えたときに、あぁどうなるんだろうと行先がわからないまま死を迎えることになります。そのような死を迎えたくないのでお坊さんは「死」という問題から目をそらさないのです。
「大人になりたくないのでは?」ではありません。死について考えることをしなくなるのが大人であれば、大人にはならなくていいです。子供のままでいればいいのです。
お坊さんはそのような問題に向き合います。「死」「生」という人間の根源的問いを解決します。ですので、hiroさんも根源的問いをお持ちならば目を背けず解決を目指してほしいです。
「後、浄土宗では死んだ後、極楽浄土に行くと言いますが、念仏を唱えていなかったら絶対地獄行きなのでしょうか?」
私は浄土真宗ですので、なかなか答えにくいのですが、浄土宗(浄土宗もたくさん流派があるので難しいですが)と限定されてしまうとそうかもしれないという答えになるかもしれません。地獄行きの私である、と自覚しなければ阿弥陀さまの救いも信じることはできません。もっというと地獄行きかどうかもわからない人は六道を輪廻します。
一方、浄土真宗ですと、阿弥陀さまの救いの法にあわなければ地獄行きであるとも知らなかった私が明らかになってくるのでhiroさまの上記の問いの答えは変わってきます。地獄が明確にされるには極楽がなければ成り立ちません。
どちらにしても、根源的問いは、そんなに簡単には解決しません。してはいけません。少しずつ歩んでいってもらえたらと思います。頑張ってください。
質問者からのお礼
ありがとうございました。
みなさんとてもわかりやすかったです。
みなさんのおかげで気分が楽になりました。