生きる楽しみを知りたい
こんばんは。
生きることに楽しみや喜びを見出せず死にたいと思っています。30代女性です。
自己成長により幸せを目指そうと、いつも努力してきたつもりです。
勉強して良い大学に入り、有名企業に就職、さらに自己研鑽のために転職しました。転職先でも働きながら大学で学位の取得を目指しています。
また、女性としても己を磨くため美容や服装も学び、伴侶を見つけ結婚しました。
心理面もノートに書いて自省したり、カウンセリングを受けたり、心理学や仏教に関する本や動画で考え方を変える努力をして参りました。
育った家庭環境もあり、人から与えられるものに期待をせず自ら行動してきました。
一方で人には優しく、仕事や友人、家族で困っている方に見返りを求めず手を延べてきました。
少しですが災害や貧困問題の解決のため寄付もしてきました。
生活の充実のため旅行を企画し、テニスやランニングもし、病は気からと節制し健康的な食事も心がけております。
このように自分なりに幸せについて真剣に考え、変わり続けてきたと思います。
全ては自己責任と考えておりまして、これまでの努力が無ければ、得られなかったものを悔いて自分を責め苦しんでいたと思います。
環境等、恵まれている部分もありますが、何事も諦めず努めた成果はあると思います。
それでも死にたい気持ちに勝る喜びはなく、絶望しています。
このまま死ぬまで苦しみながらも努力を続けて、それでも体力能力ともに今後老いるばかりで楽になって行くとも思えず、お先真っ暗です。
ただ、すぐに死ぬ方法がないので毎日を過ごしています。
もしかしたら不慮の事故で今日死ぬ事ができるかもと思うと、心が安らぎなんとか1日を過ごすことができます。
傲慢ですがどなたか生きたい方、望まれる方に私の残り半生をお譲りしたいとさえ思います。
主人や両親にはとても話せません。暗い私と生活させていることを申し訳無く感じます。
大変甘ったれた相談で申し訳ありませんが、このような毎日に一筋の光を見つけたく、ご指導願えると幸いです。
まずはまとまらない長文を読んでいただき感謝いたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
幸せの測り方は高さだけではない
拝見いたしました。
私も自己成長を目的に研鑽した後、無気力状態に陥ってしまったので、お気持ちはよくわかります。
現代は競争社会です。
学校では成績によって志望校が決定し、就活では自己アピール力によって会社が決定します。恋愛では(ネット上を含めて)たくさんいる候補の中から選んでもらえるように己を磨く。
こんな世の中に生きているのですから、競争するしかない、そういった考え方が無意識のうちに身についてしまうのが現代です。
ですが、幸せは高みにあるとは限りません。
自己成長で高みに登るほど、知力や外見、スキルや影響力が身についていきます。
その分、あなたの実力は増えることになります。
頂点を目指す過程を幸せと考える人は、自己成長を一番に据えても良いでしょう。
ですが、上を目指す時点で競争社会に組み込まれているので、頂点がすべてだと思ってしまうと幸せになることは難しいです。
上には上がいるものです。
幸せに唯一解はありません。
その人自身の環境や過去によって、何を幸せと考えるかは変わってくるからです。
ですのであなたが何を幸せと感じるのか、僕にはわかりません。
ですがそれはあなたとて同じです。
30年近く生きて、自分の全てを知った気になってはいませんか。
あなた自身をも知らない一面が、確実にあなたには眠っています。
あなたがまだ知らない幸せのかたちが、絶対にこの世にはたくさんあります。
そこで私の提案として、全て自己責任とするのはやめましょう。
大変難しいことでしょう。その価値観は染みついているわけですから。
ですが自己責任でいる限り、幸せはあなた個人で閉じます。
幸せを大きくしたいのであれば、幸せを共有できる人数を増やすべきです。
自己責任とは聞こえがいいものの、その実、相手に責任を負わせることをさせないという意味で、他者を信頼していないとも言えます。
相手に責任を負ってもらう覚悟で、他者に信頼を寄せて頼ってみる。
その時点で重荷が半分になるので楽になれます。
さらに同じ責任を背負ったもの同士、ミスしたら痛みは半分、成功したら幸せは2倍になります。
あなたの人生観に関わってくるので、厳しいはずです。
ですが、幸せは高さではなく広さで測ることもできます。
人生はまだ長いです。
新しい価値観のもとに人生の一部だけでも再構築してみてはいかがでしょうか。
自分に思いやりをむけること
りさ 様 相談ありがとうございます。
相談内容から、相当かなりの努力家さんにみえますね。それは良いことだと思います。それと自分を癒すこと、思いやりを向ける事、自分に愛情を向けることに向き合ってみませんか。
おそらく、これまでの努力してきた自負もあるでしょう。
それで生きる喜びを見いだせないと訴えているのは、
自分の心の温もりの為にそれを認めるような、何かを得る機会がなかったからではないでしょうか。
なので、私は、自分に思いやり、慈しみ、癒し、愛情を向けませんか、と提案しています。
自分の心が温かくなれば、回りにもその温かさを分け与えるようになります。
家族の関係がどのような状態であれ、慈しみや思いやりを分け与えるほど尊いものはありません。それには自分に思いやりを向けて、満たされているのがいいのです。
生い立ちにもいろいろあるようですが、自分が生まれてきてよかったと思えるような何かを得るとか、出会うとか、そういうことがあると、最期まで生きたいと思えるようになるでしょう。
色々試行錯誤してしまうかもしれませんが、自分に思いやりを向ける方法は沢山あります。努力家さんですから色々行動はされてきたと思いますが、自分への思いやり、慈悲を向ける何かを行動してみてください。
読んで欲しい本とかもたくさんありますが、まずは私の提案が受け入れらるなら、という事にします。
では、宜しければちょっと自分の心を癒すことを始めてみてください。
一礼
追伸:早速にお礼メッセージありがとうございました。自分を甘やかすことと自分に思いやりを向けることは違います。体にメンテナンスが必要なように、心にも(思いやりという)メンテナンスが必要だと思います。自分に叱咤激励は悪いことではありません。それで疲れた時は心もしっかり休むという事が必要だと思います。これが自分に優しくということだとも言えます。お薦めの書籍は『マインドフル・セルフ・コンパションワークブック』(星和書店)です。参考にしてください。宜しければメールでもご相談ください。さらにお薦めが(*^▽^*)再礼m(__)m
小さな「発見」、小さな「わくわく」を楽しみましょう
きちんと自己管理して、学業も仕事も趣味も充実しておられるますね。私のような、怠惰でぼんくらな住職から特に申し上げることは無いと思います。りささんが立派過ぎて、とても指導なんて出来そうにありません。後光が差してまぶしいくらいです。
何事もまじめに取り組み、それなりの結果を出しておられるから、「幸せの目標値」と言いますか「達成感の物差し」をかなり高いところに設定し、そのことで御自身を縛ってばっておられるのではないでしょうか?言い方を変えれば、「幸せなことを幸せと感じられず」「自分には何も楽しいことが無いと思い込んでいる」ように感じます。極端な例えで言うと「オリンピックの金メダル」や「ノーベル賞」を獲得しないと幸せでない、くらいの物差しで日々生活されているようです。
辛い勉強の中にも楽しさがあり、仕事の中にも発見があり「わくわく」があります。勉強も頑張って来られました。テストや単位のため仕方がなく詰め込んだ場合もあったでしょうが、興味を持ったり新たな発見が有ったり視界が広がったりということもあったと思います。其の時其の時で嫌々ながらノートを取り暗記に努めたことも多いでしょうけど、新たな知識の習得にわくわくしたこともあった筈です。
私は大学では最初法学部で学びました。教室の側まで行ってましたが、雀荘とサークルのたまり場で時間を過ごしていたダメ学生でした。法律の条文になかなか馴染めず、成績は酷いもんでした。ゼミのレポートを書く際、さすがに必死になって条文を読み判例を丁寧に読んだら面白くなり「わくわく」しながら判例を読めるようになりました。サラリーマンになって、相手先との交渉でかなりストレスが溜まり体調にも影響が出て病気にもなりました。でも、そういう場を経験したことでの「学び」や「発見」もありました。
退職後、仏教学の大学院で論文を書く際、テーマは決まって資料収集に努めたけど暗中模索の日々が続きました。或る時、突然霧が晴れたように、今までの断片的な資料が結びつくようになりました。この時ほど、学ぶということに「わくわく」したことは有りませんでした。
「わくわく」感は永遠に続くものではありません。でもね、これからの人生でも小さな「発見」や「わくわく」にたくさん出会うことは出来ます。次の「わくわく」のため、今日を頑張りましょう。
質問者からのお礼
こんにちは。
このような個人的な悩みを真摯に受け止め、考えて下さいました事、感激しております。
ありがとうございます。
釋 孝修様
仰る通り、自己の心を温かくする事に意識を向けてはこなかったと思います。むしろ他人には寄り添いながら、自らは叱咤激励して参りました。
「自分が生まれてきてよかったと思えるような何かを得るとか、出会う」とのお言葉をとても新鮮に感じます。
正直、自らへの「慈悲」を「甘え」と解釈してしまいそうになります。
これも修行と捉えてつとめてみます。
本についても宜しければご教示くださるとありかたいです。
ありがとうございます。
石井祐晃様
幸福は人それぞれで、私自身が成長によってのみ幸せを感じるとは限らないのですね。
そう考えると、これまでまでのことも、努力という一つのことを試してきた、そして、それが自分の幸福ではないと分かったということなのかもしれません。
ご指摘の通り、これは自身の一部であって、諦めるには早いと思えます。
また、「他者を信頼していない」とは全くその通りだと思います。
両親や過去の友人との関わりの中でこのような性質を形成してきましたが、これとて広い世界の一部なのですね。
一つのことに集中して視野が狭くなりがちで、幸せに広さを求める事について思い至りませんでした。
自分を高めること、他人を優先することの両極端で、自分も相手も含めた大きな幸せを求めていませんでした。
日々に機会を求めて精進して参ります。
ありがとうございます。
吉田俊英 様
ご経験を含めて詳細にご説明下さりありがとうございます。
具体的に書いてくださったことで、拝読しながら、私にも「わくわく」することもあったことを思い出しました。
仰る通り、このわくわくと楽しい気持ちも含めて、「達成感や幸せの物差し」が高くなっていると思います。
成果を求めるあまり日々を味わって過ごすことを忘れがちです。
苦しい時でも、次のわくわくを楽しみにする気持ちを思い返すゆとりを持ってゆきたいです。
ありがとうございます。
釋 孝修 様
再度のお言葉をありがとうございます。
体と同様に心もメンテナンスが必要とのことにはっと致しました。
甘えとは異なるのですね。
幸いにも薦めて下さった書籍を近くの書店で見つけることができました。
ご縁を感じております。
考えながら取り組むもののようですので、少しずつ進めてみます。
ありがとうございます。