兄の自害
兄が自害してから1年未満ですが、受け入れたつもりが受け入れられずにいます。
仲のいい友達や彼氏、周りの環境には恵まれているかと思いますが家族と仲のいい姿を見たり話を聞いていたりすると苦しいです。
話を聞いてくれたりそばに居てくれたりと支えてくれたことにはとても感謝しています。
甘えさせてもらっているのも事実です。
ですが、やはり羨ましく思ってしまうのです。
何でわたしだけ?と思ってしまいます。
支えてくれて感謝しているのに今の環境から抜け出して1人になりたいと思うのですが、
恩を仇で返すようなことになってしまう気がしてどうするのが正解なのかわかりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなた一人ではない、我々も味方です。いつでも相談して下さい。
お兄さんが自殺され辛い思いをしているのですね。周りの人には恵まれて幸せに見え、辛いと感じているのですね。一人に成りたいことがあるが恩をあだで返すように感じているんですね。
まず、思ったのはあなたはお兄さんの死を「受け入れたつもりが受け入れられずにいます」と書いておられる。受け入れなくてはいけないと思ってそれに苦しんでいるのではないかと思いました。お兄さんが自死したことは辛いと思います。どれだけつらい事かと思う。世間ではよく「受け入れろ」「受け入れて生きる」と言いますが、そんな簡単ではない。受け入れられないという今の心もまた大事なものだと思うのです。だから、ゆっくりお兄さんの死と向き合っていくしかないのでは?個人差がありますし、個別のケースごとに異なります。他の人の事は気にしないでいいです。
実は私も姉を亡くしています。当時中学生だった私に周りの大人は寿命だったんだとか、仕方ないと言い、私も受け入れようとしました。しかし、寺の住職だけは「命というものは厳粛なものだ良いとか悪いとかそういうことで片付けてはいけない。お姉さんは一生懸命生きたんだ。」と言いました。これが本当の命の見方ではないでしょうか?今にして考えればその価値観がすごく救いになっていました。周りの人の価値観に合わせなくていい。あなたとお兄さんの問題ですから。そして一つ言えるのはどんな時でも仏様は見ていると言いたい。その中で悩んでいって下さい。我々もどんなことがあろうとあなたの見方でありたい。孤独や悲しみを納得するまで味わった方が良いと思う。いや納得できないのかもしれないそれはそれで生きるという事です。
こればっかりは避けられませんからね。でも、仏教では人生苦だといいます。苦とは思い通りにならないという事です。老病死は誰も避けられない、愛別離苦(愛する者と別れねばならない苦)もあります。あなたは、人より早くそうした悲しみ苦しみを経験している。だけどそれを背負って生きていかねばならないのです。どう背負っていくかを説くのが仏教です。あなただけではありません。同じ悲しみを持った人がいますから。悲しみを知ったあなたが誰かの悲しみに寄り添える人に成ってほしい。お兄さんは亡くなりましたが、亡き人として、(仏様と言ってもいい)存在しています。人生で何度も出会い直すのでしょう。身体に気をつけてお過ごし下さい。
ご遺族の分かちあいにお越しください。
東京の築地本願寺にて
毎月ご遺族の分かちあいが開催されています。
6月以降の開催については
コロナ対策を取りつつ準備を進めているそうなので
下記HPでご確認ください。
質問者からのお礼
釈義行さん
回答ありがとうございます。
受け入れなくていい という選択肢もあるのですね。そう言ってくださるまで考えもしませんでした。 焦らずにゆっくり向き合っていこうと思います。ありがとうございます。