どんな親であるべきか
この度は相談に乗っていただきありがとうございます。
まず初めに私の基本情報です。
[家族構成]
私(男) 20代後半
妻 20代前半
長子 生後5か月
【前提エピソード】
以前、妻とともに妻のほうの実家に長子を連れて遊びに行っていたときに、
以下のようなことを言われてしまいました。
================
あなたは無愛想なところがあって、
愛想の良い〇〇さん(妻の親族の夫(私と同年代))のほうは
誰にでも愛想が良くて印象がいい。
あなたのその無愛想な感じは直したほうがいい。
長子も同じように育ってもいいか考えてほしい。
あなたに良いところがあるのもわかってるけど…
================
【相談①】
実際に私は無愛想な人間です。
あまり初めて会う人に積極的に話すタイプではないし、
相槌を打ったり、大きくリアクションを取って場を和ませる愛想の良いコミュニケーションはできないタイプです。
上記の妻の指摘を受けるまで、こういったところも自分の個性だと思っていましたが、
子が私の背中を見て育つことを踏まえ、愛想の良いコミュニケーションができるよう
変わっていくべきなのでしょうか。
自分というものがどんどん他人から見て都合のいいものになっていってしまいそうで
もやもやしています。
【相談②】
私は「打算的で自分にメリットがないと動き出せず、心からの親切ができない」というタイプの
価値観で20年以上を生きてきました。
そんな私が他人に心からやさしく、親切ができるような人格になるにはまずどうすればよいでしょうか。
「親になっていくこと」と「自分が自分じゃなくなっていくんじゃないか」という
感覚に挟まれて自分の良さや価値観がよくわからなくなってしまっています。
どうかご回答をお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
諸行無常を楽しもう
あむさん、お早うございます。初めての子どもさんが授かった喜びのなか、父親としてどのように関わったら良いか、色々と考えておられるのですね。私も二人の子どもの父親ですから、アムさんの気持ちを想像しながら拝見しました。
二つの言葉をプレゼントします。一つは、十人十色。二つに諸行無常です。十人十色とは、人間は、生きてきた背景や物事の考え方・気持ちの表現方法が それぞれ違う、ということ。そして、違って良いということ、人と比べて本来良し悪しはないということです。ただし、受け取る側もそれぞれですから、無愛想な場合は、今回のように余分な誤解を受けることがあると知っておくと、無用なトラブルが減るでしょう。
2つ目の諸行無常という言葉。あむさんは、「変わっていくことで、自分が自分ではなくなっていくかも」という感覚を持っているのですね。「そもそも自分とは何か?」を尋ねてみたいのです。大人になると、外見からは大きな変化が見えにくいですし、生きてきた中で、「これが自分だ」とイメージが出来上がっているかもしれませんが、実際にあむさんの体は、日々新陳代謝を繰り返しているし、約3年かけて全身の骨も生まれかわると聞いたことがあります。更に、5ヶ月前とは違い一人の子どもを持つ父親となっていますね。つまり、諸行無常とは、あむさんを含めて、世の中のものが日々刻々と変わっているという真実を表した言葉なのです。決して、盛んなるものが衰えていく部分だけを切り取った言葉ではなく、いのちが宿り、誕生し、育まれ、成長し、成熟していく。それも含めた真実を表しています。
あむさんが、「こんな人は素晴らしいなあ」「こんな男になりたい」「こんな父親を目指そう」と思える人に出会えば、あむさんはどこまででも成長・変化することができるということです。その成長・変化を楽しんでみてください。あぶさんの人生がさらに広がり深まっていくでしょう。さらに、その変化が子どもさんとの関わりにも大きな助けとなってくれるでしょう。ハスノハに相談を寄せて頂き、有り難うございました。
因果応報
初めまして。
誰かと自分を比べられて、貶される。ちょっと良い気分はしませんね。
愛想が悪くても、ふと優しさを見せてくれる、なんて方も沢山いらっしゃいます。
あなたらしさ、を失う必要はないのでは?と思いますが、ご自身に心当たりがあるのならば、少しづつでも努力をするべきかもしれませんね。この世に生まれてこられたのは、魂の修行をするためであります。
それでは、どうしましょう?折角、ご自身で自分のことを打算的だと解ってらっしゃるのなら、そこを活かして変えてみませんか?
よく、情けは人のためならず、と言いますよね。巡り巡って自分の為になる。それは、目に見える形、または、見えない形で、必ず返ってきます。
原因があり、結果がある。つまり、因果の法則なのですが、善い行いをすれば善いことが、悪い行いをすれば悪いことが。善因善果、悪因悪果です。
仏教では、見返りを求めず、善い行いをすること、させて頂くことを「布施」といいますが、人間ですもの。皆が皆、見返りを求めずに行動出来るワケではありません。多少の見返りは求めてもいいじゃないですか。良いことをするのだから。仏様の御心はそんなに小さくないですよ。
話が逸れましたが、いつか自分に返ってくる、と思って行動してみてはいかがでしょう?いつどんな形で返ってくるかはわかりませんが、必ず返ってきます。そういうものです。
それと、お子様のことですが、兎に角、愛想云々よりも、挨拶が出来るように躾けてあげて下さい。何はともあれ、人と人が繋がり合って生きてくのが世の習い
でございます。
そして、善い行いを続けていくと、それが気持ち良くなってきますよ。大丈夫、必ず出来ます。それが、親として教えてあげられることに繋がっていって……良い方へ良い方へ、車輪が転がるように動き出すのです。
それ、すなわち、あなたの為になります。
周りと比べられて卑屈になる必要はありませんよ。
ご自身を大切に愛してあげて。余裕のある時には周りを愛してあげて。
どうぞ、無理のない範囲でご精進下さいませ。