感謝されても喜べない。
ご一読ありがとうございます。
相談させていただきたいのは、他人のために何かをすることから、喜びを感じられないというのが、私の悩みです。
仕事の醍醐味の本体は、金銭的な見返りや福利厚生というよりは、他人のために自分の能力や経験を活かせることや、他人に感謝される喜びなのではないかと思っています。
年齢相応の人生経験という意味ですが、これまで、社会のどこかで雇い続けてもらえるくらいの努力は継続してきたのかなと思っています。寸暇を惜しんだ努力したこともあったと思いますし、その中で感謝されたこともあったと思います。
しかし、私には他人に感謝されることで喜びを感じるということが、どうしても実感としてわかりません。"自分の内なるスコアカード"に刻まれるような、そういう出来事のように思えません。
私は医師に発達障害と診断されているので、「あなたは先天的に人と喜びを分かち合うことは出来ません」と言われてしまったら、もう認めるしかないと思っています。私には自分の利益しか感得できない人生が待ってるのかもしれません。
でもそれではダメなのです。他人の感謝を自分の喜びのように感じられないと、人の一生はきっと充実しないのだろう、寂しい人生を送ることになってしまうのだろう、と私は思うのです。
誰かに感謝されたときに、心底嬉しいと感じるためには、何をすればよいでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
彼の来処をはかる 感謝を忘れないこと
自分の行いが感謝されることをとおして、自分の存在価値が確認できる。人の喜びが自分の喜びとなり、人の感謝が自分の存在意義となる。というように趣旨のことを以前自分の寺の会報に書いたことがあります。少々だらだらとした文章ですが、宜しかったらご一読ください。
洞林寺住職のブログ「人は何のために生まれてきたのか?」
https://ameblo.jp/dorinji/entry-12510255023.html
「感謝されても喜べない。」と書かれておられますが、相手の御礼の言葉が有っても無くても、自分の取った行動の善し悪しは判断できると思います。
道を歩いていて、落ちをいるゴミに気づきました。その後、ゴミを拾うという行動を取るのは、他人の賞賛や感謝を得るためでは無いと思います。ゴミを拾うという行動は立派な布施行です。そこには、何の感謝も報酬もありません。敢えて見返りがあるとすれば、「きれいにすることが出来た。」という喜びです。既に光禅師が回答で述べられていますが、感謝の言葉を過大な期待を抱かれているように感じます。
ショさんは他人の感謝について真摯に考察されていますねの。しからば、自分自身に感謝の心についてどう考えていますか?
お寺での食事、お寺関係の研修会での食事で「五観の偈」というお経を唱えます。冒頭の一節で「この食事が、誰が食材をつくり誰が運搬し誰が調理して、今此処にあるのか、よく考えていただきます。そして、同時に自分をこの食事をいただくだけの行いを果たしているか考えていただきます。」という意味の言葉を唱えます。
食事に限らず、我々の身体も、知識も、技術も、多くの祖先・先人たちから恩恵の上に成り立っています。一つの言葉、一つの教えだって私一人で考え付いたものではありません。ショさんだって、今まで生きてきて御両親はじめいろいろな方のお世話になり、いろいろなことを教えていただき、学んで来られたと思います。多くの恩恵をいただいてきたと思います。一つ一つのことに感謝してきたと思いますが、すべての人や事柄に謝意を表することが出来た訳では無いでしょう。「かけた恩は水に流せ、受けた恩は石に刻め」と光禅師に先を越されて使われましたが、「見返りを求めず、感謝を忘れず」生きていきましょう。其処に道が有ると思います。
親切をしたら忘れる
こんにちは。
他人のために何かをして、感謝をされてもうれしい気持ちになれないのですね。
あなたはお医者さんに「人と喜びを分かち合うことは出来ません」と言われてしまったそうですが、「わかちあう」のは難しいかもしれないけど、「うれしい」の感情はあなたの中にきっとあるでしょう。あなた自身はうれしい事があれば、うれしい気持ちになると思います。
さてこれは私の想像ですが、あなたは、相手のためになることをして、「感謝されたい」とか「お礼をしてほしい」と思っていて、それが全くなかったり予想より少ないのでうれしい気持ちにならないのではないか、と思いました。
あなたが、相手のためを思って親切な行動をしているその時は、気持ち良いですよね。それで良いと思います。
「かけた恩は水に流せ、受けた恩は石に刻め」という言葉があります。
親切にしたら、見返りを期待せず忘れる、親切にしてもらったらそれは忘れない。それをきちんとしていれば、あなたはうれしい気持ちにならなくても、周囲との信頼関係が蓄積され確固としたものになります。それはあなたにとって大きな財産になるはずです。そうすることであなたはきっと充実した人生を送ることができると思いますよ。
本来、充実している
ショ様が「他人の感謝を自分の喜びのように感じられないといけない」と思われるのは、なぜなのか気になりました。少なくとも私は、どなたかに感謝の辞を述べた際に「あなたからの感謝が私の喜びになるのです」と言われたら違和感しかありません。
例えば、電車で席を譲っても感謝されるかどうかは分かりません。ですので、他人のために何かをするのは、自分がしたいからする方がいいと思います。そうすれば、したことの結果はどうでもいいことになります。
ご自身が、今日も元気でいること、明日も元気であるだろうということ、これらを喜びとして日々を暮らすことが充実した人生ではないでしょうか。ですので、私たち一人ひとりは本来、充実しているのです。
質問者からのお礼
丁寧なご回答ありがとうございました。