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ただ無為に生きている

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有り難し有り難し 15

わたしは26歳女で会社員をしています。
恋人もおり、収入もそれなりにあり、身体に大きな問題もなく、生きています。

ですが、自分自身生きることにあまり意味を見いだせておらず、積極的に「生きたい」と思えません。
かといって積極的に死にたいわけではなく、「痛みを伴わずに死ねるなら死にたい」くらいの気持ちしかありません。

多くの人間が当たり前に願う「長生きしたい」「子孫を残したい」などに共感できず、ただ死ぬのは痛いから惰性で生きています。
かつては家族に対して不誠実な行いをした父親に対する怒りや、恵まれた環境に生きる人への反骨精神のようなもので精力持って生きていたのですが、いまはもう、父親とはほぼ縁を切りそこそこの学歴と職を得て、そういった負の原動力も消えました。

今生きているのは惰性です。
恋人のことも、抱きしめたときの温かさに心地よさや愛しさこそ感じますが、それが「だから長生きして一緒にいたい」とつながりません。
あたたかくて、いまこの瞬間の心地よさに包まれて目を閉じて眠り落ちて朽ちたい、そう思ってしまいます。

わたしはなぜ、こんなにも空っぽのまま生きているのでしょうか。どうしたら、活力が生まれ、生きることに向き合い丁寧になれるのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

空っぽの自分が悪い、というのは環境によって変わる

拝見いたしました。
ペンネームからも無為加減が伝わってきますね、良きです。
さて、そのお気持ち、私は結構わかる気がします。

私自身も長生きしたいなどとは思いません。
この世界は一瞬先も定義されておらず、全ては無数ある選択肢の一つが選ばれているだけのこと。
だから自分の部屋にいれば一番可能性がある選択肢として「生き続ける」が選ばれ続け、外を歩くと「事故に巻き込まれる」という選択肢の可能性が若干高まり、時としてそれが選択される。そして亡くなることがある。
だからこのままいけば長生きだろうけど、ふとした瞬間に死ぬだろうな、と。
そんなふうに思っています。冷めたお坊さんですね。

でもそれはそれでいいと思うんです。
なぜなら、いまこの瞬間を生きている、それが目的となった人生は限りなく幸せだからです。
未来について逡巡し、不安に左右されることもありません。
過去について後悔し、罪悪感に左右されることもない。
もちろん人生設計はします。
ですが設計したら目の前のことだけに集中する。
これは仏教が目指す境地の一つです。
私はまだまだですが、むしろあなたは悟りの境地に近いようにも思います。

仏教では自分の本質はない「無我」を説きます。
説明したら終わらないので省くと、空っぽの自分でもいいんです。
空っぽだからこそ自分に執着せず、他人のためになすべきことができるんです。

空っぽの自分が悪い、という価値観もありましょう。
というか世の中の教育ではそんな価値観が無意識に植え付けられます。
ですが空っぽの自分こそできることがある、という価値観もあります。
空っぽということ自体に善悪はありません。
そこに私たちが価値を付加して意味を見出しているだけです。
あなたの生き方は別段悪いことではないのです。
たまたま、あなたが育ってきた環境では悪いようにされていただけなのです。

もしかしたら、自分のためだけに生きるフェーズは終えたのかもしれません。
次は他人のために時間を使ってみてください。
相手が喜ぶためには何ができるか?
苦しんでる人と悩みを共有したら気持ちが軽くなって助けられるかも。
そんな思考回路を増やしてみてください。

自分が消えたとしても、他人の心の中に「自分」は存在し続けます。
そんな他人の心の中に刻まれて励まし続けるような人生も良いのではないでしょうか。
僕のお勧めです。

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

お言葉をありがとうございます。
>もしかしたら、自分のためだけに生きるフェーズは終えたのかもしれません。
これまでの人生は、損なわれたものを埋めるためにあったように感じています。
人間はあくまで器で、その中身を足してくれるのは自分ではなく他人なのかもしれないと思えました。
他の人たちも、きっと当たり前のようにそうやって生きてきて、だから人に興味を持ち生きてるんでしょうか。
私にとっては人は、自分と近しい人、それ以外の有象無象でしかなかったです。、

まだ今日から初めて、他人を人として感じようとするわけなのでうまくいかないでしょうが
いただいた「自分が消えても他人の心の中で励まし続ける人生」という道筋を思い出して、本当の意味でいつ消えたって構わない人生になるよう、歩き始めたいと、いまおもっています。

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