精神疾患と共に生きること
初めて相談します。
私は精神疾患を抱えて7年目になります。
摂食障害の診断は受けてますが、当初拒食過食はあったものの最近は摂食に関して異常行動は見られず、鬱のような気分変調症状ばかりです。
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人にどう思われるかばかりを気にしてしまい
病気になってから1年以上同じ場所(学校や仕事)で居続けられたことがありません。
嫌われてるのではないかと心のどこかで妄想しているのでしょう。
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様々な場面でうまくいかなかったり、
運が悪かったり、行動が裏目に出たり…と
生きているのが本当に辛く、昨晩自殺をしようと思い用意までは完了しましたが結局勇気が出せず死ねませんでした。
自分意思ではなく病気で亡くなった祖父母やペットを思い出して涙が止まらずできませんでした。
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そこで、質問です。
①精神の病を患うのには何か理由があるのですか?
→使命とかそのようなものはあるのでしょうか?自分がこのようになり人生がひどく辛いですが納得ができません。なぜ私が?とも思います。
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②辛さ苦しさからはいつか解放されるのか?
→考え方や行動を変えたいと思い頑張ったりもしていますが、勇気を出してやったことも悪い方向に進むばかりで今後明るい未来も待ってない気がします。
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③軽い気持ちで生きるのはどうやるんですか?
→よくもっと気楽に生きようとか、気にしすぎないでとか自分を責めないでとか言われますけど、そんなことどうしてできるの?と疑問しかありません。そんなことできたらこんな風になってないのに…と。
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以上です。長文になってしまいました。
回答ぜひともお待ちしてます。
・他人と比べてしまう ・理想の自分への執着がすごい ・何事にも普通を求めてしまう
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
べき、でない自分から始める
こんにちは、初めまして。
「摂食障害」とのことで、お辛いでしょう。
また、「昨晩自殺をしようと思い」とも言われていて、とても追い詰められていることと思います。
私の出来うる所で、あなたの問に答えていきます。
①精神の病を患うのには何か理由があるのですか
あなたは「使命とかそのようなもの」と言われています。生まれるにあたって何か神様のような存在から課題を与えられたとお考えなのでしょうか。あなたが何らかの神様を前提としている場合、これはその神様に尋ねるしかありませんので、お答えは難しいでしょう。
また、宗派によって違う可能性がありますが、仏教でいうと仏様は一人一人に「使命」・課題を個別にもたせているという捉え方はしません。むしろ、生死を繰り返しつつ迷い続ける課題を持って生まれた、その人とともに歩むのが仏様である、とは考えます。
ただ、そういう前提を抜きに純粋に「精神の病を患う」理由をお尋ねの場合は、かかりつけのお医者さんや、信頼できるカウンセラーを頼るのが上策だと思います。
②辛さ苦しさからはいつか解放されるのか?
学校に、仕事に、あなたは懸命に努力してこられましたね。
その都度挫けそうになる自分を奮い立たせて頑張ってこられたのでしょう。
ただ、私は頑張ったり、勇気を出す方法が、ご自身のペースにあっていないのかなと感じます。「嫌われてるのではないかと心のどこかで妄想」とのことですが、無理に自分の感情を否定しないで、人が苦手なのが私、と一度自分の現実を認めるところから始めてはいかがでしょうか。
もし、あなたが、職につくべき、多くの人がいる職場に慣れるべき、これまでの勉強資格が活かせる職場につくべき、というべきべきづくしで考えているならば、それは現実と理想が離れていく一方でしょう。
勉強がしたいならば、通信で出来る方法はあるし、在宅や人と接触が出来るだけ少ない職場もあるでしょう。無理のない現実から始めて、頑張り、勇気を出すべきではと思います。
③軽い気持ちで生きるのはどうやるんですか?
先述しましたように、べき、から距離を置く努力にあると思います。
他人から見た自分を、べきで覆い、べきである自分として見てほしいと思えば思うほど、未熟な、恥ずかしい自分をさらけ出せなくなります。
べき、でない現実から始める。
出来ることから始めましょう。
因果応報
私も精神疾患持ちです。20の時からですから、もう約30年の付き合いになります。20代は通院だけでしたが、30代・40代は入退院を繰り返し、入院18回です。
①精神の病を患うのには何か理由があるのですか?
客観的な理由はないでしょう。こころの病には、遺伝的要因と環境的要因があって、環境要因が大きいとされていますが、医師も診断書の原因には不明とたいてい書きます。
私の私見では家庭環境が一番大きいと思います。いわゆるアダルトチルドレン的な人がこころの病を発症することが多いように感じています。
ただ注意しなければならないのは、「親のせいだ。」と責めても何の解決にもならないことです。「親も悪かったけど、それに反抗できなかった自分も悪かった。」と過去を認めることですね。
そして、親とは距離を置くようにする。どうしても親は子に干渉してきますから、過干渉が良くない。
一人暮らしが理想ですが、実家暮らしでも、親との距離は取った方が良いです。
長々と書きましたが、こういう答えではなく、主観的な理由ですね。私はこころの病は仏様からのメッセージだととらえています。「無理するな。休め。」と。仏様からのメッセージが大げさならば、体が悲鳴を上げている状態なのだと思います。こころの病の回復には長い時間がかかります。
②辛さ・苦しさからはいつか解放されるのか?
安定期に入ればこころの病は安定したものです。ある程度のことはできるようになります。今は辛くても、焦らないで、時を待つことです。お釈迦様も四苦八苦を説かれましたが、涅槃寂静の時が来ました。
③軽い気持ちで生きるためにはどうやるんですか?
仏教には熏習という言葉があります。
熏習(くんじゅう、梵: vāsanā、abhyāsa、bhāvanā)とは、身口に現れる善悪の行法もしくは意に現れる善悪の思想が、起こるに随ってその気分を真如あるいは阿頼耶識に留めること。 俗にいう「移り香」、香りが衣に染み付いて残存するようなことを言う。(Wikipediaより)
仏教用語なんで難しいですが、要するに心の癖ですね。
これを治すことはなかなか難しいですね。自分にはどういう傾向があるか、紙に書き出してみるのはどうでしょうか?
自分で意識して、向き合うしか、これに対処する方法はないのです。長所は短所であり、短所は長所なのですから。
質問者からのお礼
釋 悠水様
ご回答ありがとうございます。ずっと自分の出来なかったことに対してばかり焦点を当てて、出来るようになったことを自分自身に「頑張ったね」と言っても、考えてもやれてませんでした。初めて気が付きました、今まで自分は頑張っていたんだと。『べき、でない現実から始める。 』心に掲げて自分の素直な部分をこれから見つめていきたいと思えました。ありがとうございました。
井澤隆浩さま
回答いただきありがとうございます。井澤様も苦しまれてきたからこそのアドバイスを少しずつ実践できたらと思いました。焦らず、一歩ずつ、過去の自分より進めたら自分を褒めてあげたいです。