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空海さんについて教えてください。

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有り難し有り難し 20

先日、テレビで高野山の内部や空海さんの事をあつかった番組を見ました。

空海さんは世界が滅びたとしてもいらっしゃる。祈り続けている。
というナレーションがありました。

私は空海さんのお名前は知っていましたが、どのような高僧であられたのか等、全く知りません。
お忙しい中、申し訳ありませんが空海さんは何故、世界が滅びたとしても祈り続ける。とおっしゃったのか?そしてどのようなお坊様だったのかを教えてください。テレビで高野山を見て神秘的な何かを感じました。
同じ仏教でも真言宗のお坊様は印を組まれたり、ご真言をおとなえしたり、ご法要の時に特別な法具を使われたりととても一般人にはわからない部分(神秘的)があるように私は思いました。
真言宗の事を分かりやすく教えて頂けないでしょうか?
急ぎませんのでどうぞ宜しくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

空海は天才である。

真言宗の僧侶として、空海の魅力が伝わるようお答えします。

空海は天才です。
語学も堪能で、学問の才もあり、さらには事業家としても活動します。
お坊さんなのになぜこれほどまでに手掛けるのか。
それは恩師のある言葉に由来します。

空海は大学を中退して、エリート官僚になる道を捨ててお坊さんを志します。
親族は猛反対。
そんな時にどうやって相手を説得したか?
なんと小説を書いたんです。
しかも儒教と道教と仏教を信仰する人たちが登場し、最終的には仏教が一番だと説得するものです。
当時は触れられる書籍も限られています。内容も難解です。
ですが若くして3つの宗教を比較できるほどの知識と表現力があった。
異次元です。

その後、唐に仏教を学びに行くのですが、都に入る証明書が信じてもらえず入国が拒否。
遣唐使団のリーダーは都宛てに何回も手紙を書くも、あてにされず。
そこで学があり筆がうまい空海が書くことに。
するとあまりの文才に「これは正式な一団だ」と認めざるを得なくなり、一発OK。
実際の文面は残されていますが、すごいですよ。
自分たちを下げすぎず、相手の持ち上げ方も嫌味がない。比喩の使い方も壮大かつ綺麗。
現代でもそう思えるのですから、当時は腰を抜かしたと思います。

都に入ると難解と言われる言語をすぐにマスター。
そしてたくさんの弟子を持つ恵果和尚という高僧のもとにアポ無しで学びに行くと、これまたすごい。恵果和尚は空海を見るなり「私はあなたを待っていたのです」と伝えたそう。ドラマチック。
そしてあまりに博学であったため、長い期間共に修行してきた弟子たちにすら教えなかった重大な教えを、突然やってきた空海に伝えるんです。
帰国したのち、それを学問として体系化したものが真言宗です。

前述したある言葉とは、恵果和尚からの言葉です。それは
「蒼生の福を増せ」
蒼生とは一般人のこと。その人たちが幸せになるようなことをしなさい、と言われたので、すぐさま日本に帰り、学問を突き詰めたり事業を起こしたりしたんですね。
後年は満濃池という湖レベルの池を作る工事を手伝ったり、初めての民間向け大学を作ったり、祈ったりしますが、それもこの恩師の言葉の実践。

これは真言宗僧侶の僕たちも受け継がれています。
1500年近く前の意思が、今もなお生きている。感慨深いですね。

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

石井祐晃様
お忙しい中、ご回答頂きどうもありがとうございます。
空海さんがとても素晴らしい高僧だという事がよくわかりました。
選ばれし僧侶だったのですね。

今度、図書館で空海さんの本を探して読んでみようと思います。

どうもありがとうございました。

「真言宗」問答一覧

愛染明王様のご真言を一般人が唱えて良いか

初めまして。 私は、実家の宗派が浄土真宗ですが、中学校と高校が真言宗の学校であり、真言宗のお寺によくお参りに行っております。 そのような中で、真言宗の僧侶の方がお書きになった本を拝読し、YouTubeを拝読する機会があり、愛染明王様のご真言が書かれておりました。 そこで、自分にとっての良縁が結ばれるようにと、自宅で白い紙にお願い事と自分の名前を書き、その紙を両手で挟んで 愛染明王様に語りかけ、ご真言を毎日何回か唱えております。 すると、私にとって良い意味で不思議な出来事がたくさん起こり始め、なんだか毎日が安定して楽しい未来を想像してワクワクしてまいりました。 しかし、ネットでより深く調べてみると、「ご真言を素人が唱えるのはよくない」「敬愛法は素人が安易に行ってはいけない。代償が起きることがある」と書かれており、少し不安になりました。 そこで私は、「確かに、自分はご利益の内容をきっかけにご真言を唱え始めたので、不純で恐縮だった。」と反省しつつ、 「愛染明王様のおかげさまで日々私は安心して楽しく暮らせるようになったのだから、その感謝と挨拶を、愛染明王様が祀られているお寺に伺ってお伝えしよう」と考えるようになりました。 そしてそのまま愛染明王様との繋がりを信じ、ネットの記事を気にせずご真言をお唱えしているのですが、良いのでしょうか?また、よくお参りする真言宗のお寺とは別に、愛染明王様が祀られているお寺やその他のお参りしたい神社仏閣に複数お参りに行くことは、良くないことなのでしょうか?

有り難し有り難し 9
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真言宗のお坊様

不躾なお話になりますが、お許しください 私は単身者もうすぐ40になります。 福祉の仕事で、専門職として働いておりました。 10数年勤めておりました。やりがいはもちろんあるのですが、お役所仕事と言いますか、毎日の大人同士の人間関係を大切にしてその日を過ごす。そのような雰囲気があります。 ここ最近は無気力な気持ちに苛む事が多くなりました。これについては私生活における大きな悩みも要因でした。少しメンタルの不調が続いています。 今はまたチャンスを頂き、同業他社で働く予定で仕事開始を控えております。 経済的な事もあり、求人を読み漁ってました。その中でこれがやりたいという気持ちも一切湧かず、前職と比べたら給与も安く肉体労働系の仕事など今より条件が悪くなるものばかりです。 働く事は生活のためであるのだから自分の考えでは甘いと思います。 物事を思い詰めてしまうところがあり、何事も見通しが持てないと不安が強くなる特性もあります。 今までの仕事での充足感や必要とされていた感覚を捨てて、異業種に行く怖さがとても強くあります。 そんな中ここ数年、YouTubeなどでお坊さんの話を聴く機会を多く持ってました。 そして生まれ育った環境の影響もあり、真言宗僧侶に興味関心を持っております。 なぜ興味を持ったのかというのも正直なところ、仏教の先人達の教えを学び、自分の人生をより豊かにしていきたい。というのが大きな理由になります。僧侶になれば自分の精神的な弱さも含めて救われるのではないか?と考えました。人のために役立つ事は苦にならないのですが、反面人付き合いが得意ではありません。人間関係の疲れ、俗世から脱出したいというのもあります。 僧侶といっても宿坊へ就職する感じになります。 お坊様からこのような考えについて何かご意見頂きたかった事。 男性社会であるお寺(宿坊)での実際の業務や修行の話を伺いたく相談いたしました 私の勝手な想像ですが、お寺(宿坊)が僧侶としての道を支援して頂ける。これは一生仕える気持ちでそのお寺に就職という事を相手様も希望している。生半可な気持ちでは来て頂きたくない。というのが本音ではないかと思っております 次の内定が決まった福祉の仕事を長く続ける事が、今自分にとっての最適解と考えてはおりますが、この次はお寺で働きたい。とやはり考えてしまいます 何か方向性を示して頂けましたら幸いです

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真言宗の僧侶になるには

僧侶になる人の心構えを教えてください。 自身を修行の場に身を置き、一切言い訳や弱音を吐けない場所で仏教を学びながら、自分や周りの人生を仏教を学んだうえで豊かにしていけるのでは?と考えてます。 高野山の宿坊では宿業務の傍ら、僧侶になれます。と求人が出ております。 このような場所に身を置いて学ぶ事の想像が出来ませんが、どんな人間でもそれなりの精神的成長は見込めるものでしょうか? 今は都会で暮らしており、少し人生に疲れているところはあります。何事にも中途半端になってしまうところもあります。 ですが、高野山の宿坊を調べてるうちに、ピンキリとあり、結局のところお金が神様と考える資本主義の世の中から断ち切れるか?修行の場にも俗世の欲望や煩悩から切っても切れない場であるのか? 全ては自分次第だとは思いますが、何かアドバイス頂けたらと思います。 真言宗にしたのは高野山含めて昔から馴染みがあります。 あと人との関係性を築くのがあまり得意ではなく、大体独り行動が多くここまで来ました。医療系の仕事で業務の会話のみで成り立つ、女性に囲まれた環境が長かったです。 男性社会の人間関係はどのようなものかも実情を教えて頂けたら幸いです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 24
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ