空海さんについて教えてください。
先日、テレビで高野山の内部や空海さんの事をあつかった番組を見ました。
空海さんは世界が滅びたとしてもいらっしゃる。祈り続けている。
というナレーションがありました。
私は空海さんのお名前は知っていましたが、どのような高僧であられたのか等、全く知りません。
お忙しい中、申し訳ありませんが空海さんは何故、世界が滅びたとしても祈り続ける。とおっしゃったのか?そしてどのようなお坊様だったのかを教えてください。テレビで高野山を見て神秘的な何かを感じました。
同じ仏教でも真言宗のお坊様は印を組まれたり、ご真言をおとなえしたり、ご法要の時に特別な法具を使われたりととても一般人にはわからない部分(神秘的)があるように私は思いました。
真言宗の事を分かりやすく教えて頂けないでしょうか?
急ぎませんのでどうぞ宜しくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
空海は天才である。
真言宗の僧侶として、空海の魅力が伝わるようお答えします。
空海は天才です。
語学も堪能で、学問の才もあり、さらには事業家としても活動します。
お坊さんなのになぜこれほどまでに手掛けるのか。
それは恩師のある言葉に由来します。
空海は大学を中退して、エリート官僚になる道を捨ててお坊さんを志します。
親族は猛反対。
そんな時にどうやって相手を説得したか?
なんと小説を書いたんです。
しかも儒教と道教と仏教を信仰する人たちが登場し、最終的には仏教が一番だと説得するものです。
当時は触れられる書籍も限られています。内容も難解です。
ですが若くして3つの宗教を比較できるほどの知識と表現力があった。
異次元です。
その後、唐に仏教を学びに行くのですが、都に入る証明書が信じてもらえず入国が拒否。
遣唐使団のリーダーは都宛てに何回も手紙を書くも、あてにされず。
そこで学があり筆がうまい空海が書くことに。
するとあまりの文才に「これは正式な一団だ」と認めざるを得なくなり、一発OK。
実際の文面は残されていますが、すごいですよ。
自分たちを下げすぎず、相手の持ち上げ方も嫌味がない。比喩の使い方も壮大かつ綺麗。
現代でもそう思えるのですから、当時は腰を抜かしたと思います。
都に入ると難解と言われる言語をすぐにマスター。
そしてたくさんの弟子を持つ恵果和尚という高僧のもとにアポ無しで学びに行くと、これまたすごい。恵果和尚は空海を見るなり「私はあなたを待っていたのです」と伝えたそう。ドラマチック。
そしてあまりに博学であったため、長い期間共に修行してきた弟子たちにすら教えなかった重大な教えを、突然やってきた空海に伝えるんです。
帰国したのち、それを学問として体系化したものが真言宗です。
前述したある言葉とは、恵果和尚からの言葉です。それは
「蒼生の福を増せ」
蒼生とは一般人のこと。その人たちが幸せになるようなことをしなさい、と言われたので、すぐさま日本に帰り、学問を突き詰めたり事業を起こしたりしたんですね。
後年は満濃池という湖レベルの池を作る工事を手伝ったり、初めての民間向け大学を作ったり、祈ったりしますが、それもこの恩師の言葉の実践。
これは真言宗僧侶の僕たちも受け継がれています。
1500年近く前の意思が、今もなお生きている。感慨深いですね。
質問者からのお礼
石井祐晃様
お忙しい中、ご回答頂きどうもありがとうございます。
空海さんがとても素晴らしい高僧だという事がよくわかりました。
選ばれし僧侶だったのですね。
今度、図書館で空海さんの本を探して読んでみようと思います。
どうもありがとうございました。