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死ぬ間際の人間のありかた。

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有り難し有り難し 10

人は、死ぬ間際、どういう心持ちでいたら良いのでしょうか。
死ぬ瞬間。

浄土系の教えでは、弥陀来迎を信じ、弥陀にお任せして、心穏やかに
最後の時を迎える事だと思います。

死の間際、恐怖なく安穏で居る事は並大抵じゃない。
高度な仏教哲学も、「自分が成っていないと」生老病死の苦しみに対する、屁の突っ張りでしかない。
「成った事」すら、無明を前にして、自覚出来ない気がします。

だとしたら、方便でも、心穏やかに最期を迎えられる、浄土系の教えは、在俗の者に有効なのかなと思いました。
学究であり、優れた人格の法然上人の、庶民への優しさかなと思いました。

しかし、究極の真理は、「自浄其意」だと思います。

しかし、禅宗にも一抹の疑問が涌きました。
「六道輪廻は生きる人間の心の有り様。」と、輪廻思想を切り捨てると、
「而今」の真理から言えば正しいですが、施餓鬼等、自身が行っている事も否定してしまう。
 正自覚者である釈尊が、見通した世界。インド土着の世界観等々と切り捨ててはいけない気がするんです。

だとすると、死の間際の心の有り様は重要なのではないでしょうか。

人生に一度しか経験しない、最大恐怖の死。
生老病死の最大恐怖。

何かすがるものがなくても、灯明の如く寂滅できるものでしょうか。

お坊様方は、人は死の直前、間際、どのような状態に居るのが理想と思われますか?
何もかも放下して、消え行く中。
どんな気持ちでいるべきなのでしょうか。

最大の疑問です。 どうぞ、ご教示くださいますよう、お願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

【他力本願】

"人は死の直前、間際、どのような状態に居るのが理想と思われますか?"

よくわからないので、おまかせします。拝

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【公認心理師】 【レンタルお坊さん】活動中。 とりあえず何でも相談して...
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「死ぬ覚悟、できてますか?」

という冊子を2,3年前に書きました。「誓教寺」あるいは「seikyoji」ホームページで探してみてください。ダウンロードして見られると思います。

 ①財産は持って行けない。②親しい人々も持って行けない。③自分の体さえ持って行けない。④心というか業だけ、次の転生に持って行けるので、①~③への執着をなるべく減らして、しかし無関心では業もよくならずどうにもなりませんから、慈しみの気持ちで接して生きていましょう、ということになります。

 慈しみの気持ちをどうやって心に作ればよいか、執着を減らす方法は、などが、仏教の修行の部分で、それについても触れています。ご参照ください。

 現代日本では、ほとんどの人が、何も考えずにわがままに生きて死ぬとき慌てる生き方に陥っています。それよりもはるかに尊い、自分を見据えた究極の問いだと思います。仏教ではこの問題にこそ真剣に取り組んでいます。

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おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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質問者からのお礼

転落院 様

ご回答、ありがとうございます。
幾様にも受け取れる、含蓄ある言葉、参究の一助とさせて頂きます。

藤本晃 様

藤本和尚様、感謝申し上げます。
実は、「死期が近付くと生命は震えるもの」という経典の一節、そして、死の間際の心の有り様が、輪廻転生に影響する事、その事を考え、理解が及ばなかったので、質問したという経緯があります。

藤本和尚様がご案内下さった施本に、その答えが簡潔明瞭に載っておりました。今後、繰り返し拝読させて頂きます。 

お礼が遅れましたのは、日本の伝統宗教では、どのような見解か知りたいと思ったからです。
しかしながら、回答は頂けませんでした。
藤本和尚様の施本によるご法話は、上座部にも、祖師仏教にも偏らない、日本の仏教の歴史の延長で、仏教が本来の姿で、衆生の下に再び光を放ち始めた様な感を受けました。

究極的には、自力も他力も差はなく、その根は同じと思いますので、浄土、真宗、真言、法華、臨済、曹洞…様々なお話を伺いたかったのですが…。

難解な日本仏教哲学は、己自究明の回り道なのかなと思いました。

藤本和尚様が、「胸を張って日本仏教を…」と書かかれていましたが、その言葉には感動しました。
お釈迦様の真理を、現代の日本人が実践、参究する事が、日本という土地で生まれた日本人が、仏教に根差した、高度な文化の再生、そして日本人として、仏教徒として誇りを持って、より良く生きられる術のような気がしました。

ありがとうございました。

「死について」問答一覧

死別シングルマザー

夫と死別し、半年経ちました。 死後の手続きなどでバタバタと、忙しくしていましたが、この頃PTSDの症状がでて、とうとう仕事にいくこともできなくなりました。 一ヶ月の休職ですが、休んでる間に収入の不安、子どもたちのこと…色々と考え過ぎてよけいに具合が悪くなっている気がします。 職場からは、また笑顔で戻ってくることを待ってますと温かい言葉を掛けてもらっているのですが、夫を看取った病院が職場の直ぐ側であることや、救急車が頻繁に通ることなどから、正直一ヶ月休んだところで復帰する元気があるかわかりません。何も前に進めない自分に自己嫌悪の毎日です。お金の不安と、パートナーを失くしたことから『風俗』で働いて少しでもお金を…と浅はかな考えも拭えません。時間が長く感じます。こんな姿を夫が見たらなんて思うだろう。夫じゃなくて、不器用な私が先に亡くなればよかったのにとまで考え込んでしまいます。周りには自分のように30代で配偶者を亡くした人はおらず、まるで腫れ物のように感じます。他の家庭を見ると、赤ちゃんが生まれた…家を建てる…夫婦仲良く子育てできてて自分にないものばかり目に映り、生きづらいです。

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「周りの人間の死」への向き合い方

「周りの人間の死」への向き合い方が分からず、恐らく変な方向に価値観が向かってしまい、常に一定の苦しみを抱えてしまっています。 無理やり挙げるとすれば、恐らく一番大きなきっかけは、2年前に母の母である祖母が急死されたことだと思います。大きな病気やケガもなく元気に畑で過ごしていた祖母の急死に頭が追い付かず、又様々な状況を理由にしばらく会えなかったことや、恩返しなども出来なかったと感じたことによる後悔と主に、「人は急に死ぬこともある」といった至極当然のことに恐怖を覚える様になりました。 その"急死"は脳内で"事故死"等に変換されたようで、現在は「自分が何か人に頼むことで事故死するかも」といった恐怖をもってしまっています。私が親に頼んだ買い物の道中で死ぬかも、私が選んだ待合場所のせいで、指定した時間のせいで友人が死ぬかも、と思うと、所謂"普通の価値観"で人に頼る事、あまつさえ意見や提案事の提示も難しくなってしまいました。 正直自分の死は大して怖くはありません。ただ、もしそういった状況で知人が亡くなってしまえば、仮に明らかに自分のせいではなくとも「自分がこの人を殺した」と思ってしまうに違いないと感じています。又そういった気持ちを抱えてその後の人生を全うできるとは到底思えません。 バタフライエフェクトのレベルで「人の死に関与したくない」といった気持ちが大きくなってしまい、生き苦しさを感じてしまっています。 この価値観が、俗にいう「変・ずれている・間違っている・過剰」ということは頭では理解できているつもりです。ただ、どうにも心がこういった考えを除いてくれません。 もし仏教などを用いて少しでも楽に生きることが出来るのであれば、と思い、相談させていただいている次第であります。ご意見をお伺いできますと幸いです。よろしくお願いいたします。

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病気になって死を考えるようになった

現在,一人暮らしをしている中年男性です。 先日から病気をしています。病気になって,一人暮らしなので,闘病しながら食事,洗濯の家事をしないといけません。また,食事のための買い出しも必要で,誰か助けてくれないかと,常に考えています。 知り合いに食事を作って持ってきてください,といった厚かましいお願いはできないもので,そういったお願いができる知り合いがいるわけではありません。 闘病を続けながら,食欲もなく,痩せていくし,気力も失ってきています。 また,コロナ禍で,一人亡くなっていった方もこのようなつらい状況であっただろうと想像し,そのため可能であれば入院させていただいて,看病していただけないかと,勝手な思いが巡ります。 そして,こんなに苦しい状況なのに,これを乗り越えて「生きる理由」はあるのだろうかという考えが頭をよぎっています。 ある程度の人生は送ってきました。これから先もいろいろと楽しみもあると思いますが,生老病死は,四苦なので,病気を克服するのも,その後,克服した後に生きていくのも苦しいのだろうと,勝手に解釈をしたりします。 だったら,もうここでいいや,と思ったときは,死ぬことができたらいいなぁ,眠るときにこのまま目覚めなければいいな,と考えるようになっています。 自死については,以前は否定的ではありましたが,闘病の中で,それは個人個人の自由でいいのではないかと思うようになりました。 自死していった方は,苦しい中,生きることに耐えられなかったのだろうなと,共感できる心持になっています。 病気をして,手厚く看病してくれる人がいる状況であれば,それはそれで,心配してくれる人のために生きる理由があっていいのですが,そうでない私は,一人で非常に苦しい,不安です。そんな私が,命尽きるまで闘病するかもしれないという選択をして,生きる理由はなんでしょうか。 誰も助けてくれる人もいない,ただ病気と闘って,死を待つだけかもしれない。 最後は,一人,孤独死を迎えるのかもしれないと思うと,寂しく,不安です。 そういった中で,このサイトに行き当たりました。 取り留めない文章になりました。 回答をいただければ幸いです。

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死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ