毎日死について考えてしまいます
私は毎日、大切な人たちの死を考えてしまい、悲しくて苦しくてこの先の人生に希望が持てなくなるような瞬間があります。
大切な人たちというのは主に家族で、特に両親や姉妹のことです。
昨年、結婚し初めて実家を出ました。
元々結婚願望がなかった私でしたが、婚約してからはあっという間に家を出ることになってしまい、当時29歳でしたが、なんだか現実に起こっていることと自分の心がついてこないような感覚でした。
あぁ、私も結婚する歳なんだなぁ…大人になってたんだよなぁ…というような感じです。
結婚生活はとても楽しく、実家にもよく顔を見せに帰っていますし、姉妹とも連絡は頻繁に取っています。
しかし、いつも楽しく幸せだと感じる裏側で、いつかこの幸せも終わってしまう、いつまでも幸せではいられない。そう思ってしまうのです。
もしかしたらあと10年後には両親がいないかもしれない。もう少し前の私であれば、そんな考えが浮かんでも「まだまだ若いし元気だから大丈夫」と自分を励ますことができたのですが、最近ではもう親の死も他人事ではないというか、あり得ないことではないと落ち込んでしまいます。
いつだって人は死と隣り合わせで生きているし、親がいくつだろうと、自分が大人でも子どもでも関係ないことだったのに。
この先私が親や姉妹よりも長生きするとすれば、私の未来にはとても悲しくて辛い出来事が必ず当たり前のように訪れます。
「大切な人の死」という、想像しただけでも胸をえぐられるような悲しみ以上に、楽しいことや幸せだと思えることが今後あるのでしょうか。
もちろん私の両親も自分の親とのお別れを経験しているわけですし、人はそうやって生きていくものだと思いますが、こんなことを夜な夜な考えてはこの先の未来に影を落としてしまいます。
少しでも前向きに考えていけるようになりたくて、ここでお話しさせて頂きました。
わかりにくい文章で申し訳ございませんが、何かお言葉を頂けたらと思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
愛別離苦のお話です。
同じような悩みを抱く方も少なからずおられます。
私も若い頃、突然そのような衝動にかられたこともありました。でも、両親はすでにそれぞれ43回忌を迎えました。しかし、今度は、家内や我が子や孫に対して失うという不安、恐怖が出てきます。これは自然なことでもあり、本能として備わっているものでもあります。
ことはさんの苦しみお悩みも充分理解できますが、これは永遠に解決できないことなのです。
お釈迦様は四苦八苦を説かれていますが、これは生・老・病・死の四苦で、いかなる人も歳を取り、病気になり、死を迎えるということ。又、その他の四苦の中で愛別離苦(あいべつりく)、どんなに愛おしい人でもいつかは別れなくてはならないという苦しみです。これらは、どんな聖人君子でも避けられないということで、又、このことで悩んでも解決しないということです。
ならば、考え方を変えない限り苦しみは終わりません。
今、ことはさんがとても幸せで満たされいる状況だと思います。その状態が変化することを恐れると、不安が生まれ、突き詰めると、大切なもの(人)を失うという恐怖です。
しかし、理解することでその不安や恐怖は薄れ、やがて日常生活に戻っていきます。
そういう意味ではそうなのかと納得するしかありません。
まずは、目に前にいる家族を大切に、親孝行できる時は大いにしてください。
後悔ない人生とは、真剣に生きることです。すべてに笑顔で楽しくお過ごしください。