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授業が辛いです

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大学のある授業の提出物で、最低評価をもらってしまいました。

その提出物の評価を知った関係で、いろんな授業でそのような評価を付けられているのではないかと疑心暗鬼になっています。

例えば、他の授業では講評として『一部手抜きの答案がありましたが、、、」という風に書かれていました。全体の講評なのでそれが自分とは断定されてないものの、違う授業で最低評価をもらってしまったことから私の本気が教授からすれば手抜きに感じられているのかもしれないと危機感を覚えています。

高校ではそのようなことはなかったのでとてもショックで、このままでは単位をいくつも落としてしまうのではないかと考えると辛くて毎日の授業が苦痛です。

また、ほとんどの授業は提出物の採点結果を今の段階では知ることができず、単位がもらえたかどうかは8月に分かります。この疑心暗鬼が8月まで続くと考えるととてもではないですがそのストレスを背負いながら生活していける自信がありません。

どうしたら心も健康でありながら大学の授業をストレスなく受けられるようになるでしょうか。

よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

やるべきことの見直しと情報収集

こんにちは、初めまして。

様子から想像すると、大学一回生でしょうか。
高校時との落差を感じておられるようです。

お話を整理すると、一つの講義で「最低評価」をされた。
この調子だと、他の講義でも「最低評価」をされるのではないかと不安である。
こういうことで宜しいでしょうか。

私は、一時期、大学講師をしてました。
大学や、教授陣の顔ぶれが変われば分からない面もありますが、参考程度にお聞きください。

「最低評価」を受けた理由は分かりますか?
・レポート形式(表紙がついていたか)の遵守
・必要枚数が足りていたか
・出典などを明記したか
・コピペをしていないか
・課題に対する適切な論述、十分な下調べがされていたか(ぱぱっと書いたレポートは分かります)
・分野によって違いますが、序論、本論、結論など構成がされていたか

このような理由をもう一度考えてみてください。

また、いずれ分かるでしょうが、大学では、単位を取りやすい科目とそうでない科目が分かれます。

それは、どの教授に当たるかによります。
一回生の後半、二回生ぐらいになると、サークルの先輩などからそのような情報が手に入ることが良くありますが、あなたは入ったばかりだったから分からないのかもしれません。

心配もあるでしょうが、自分のやるべきことを十分やって、情報を集めたらきっと学生生活が軌道に乗りますよ

応援しています

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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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共通点ではなく相違点に目を向ける

拝見いたしました。
大学は容赦無く現実突きつけますよね、その痛みよくわかります。

対策には原因を知ることが一番です。
そこで心理学的に早速結論をいうと、それは認知の歪みです。
さらに言えば「一般化してしまう」歪みです。
本来つながりのないもの同士をつなげてしまい、AがダメならBもダメだ、と考えてしまうことです。
今回の質問はまさにそうですね。

また人間は自分に嘘をついてまで納得する因果関係をつけようとします。
なので一度疑うと、その予想を証明する理由を探します。
「全力が手抜きに見えているのでは」というのはまさにそれです。
「最低評価がされる」という予想の因果関係を証明するため「手抜き答案がありました」という事実に、納得のいくよう無意識に「全力でも手抜きに見えてるんだ」という解釈を加えた、ということです。

これはあなたが意識的にやっていることではなく、無意識的な部分です。
無意識による思考の癖なので、一瞬では変わりません。
ですがコツコツやれば変えることはできます。

あなたは「全てそうなのでは?」と解釈に疑いを持った。
ここに希望があります。
自分の解釈を、決められた事実ではなく1つの意見として認識できる時点で見込みがあります。

まず一般化を避けるために「共通点ではなく相違点を探す」ことを考えてみましょう。
「同じ大学で評価」という共通点を見ていると、一般化してしまいます。
ですが相違点もたくさんあるはずです。
課題内容、評価方法、評価基準、評価する先生、その先生の感性や気分などなど。
こう認識すると「一つ一つの提出物は個別の評価だ」と割り切りやすいですよね。

無意識の因果関係を避けるには、悪い予想なら否定する方向で疑うことが最適です。
「評価が悪くなるのでは?」と考えたら肯定する解釈が湧きます。
そこで「それってあり得なくない?」と否定的に疑うんです。
すると無意識的に浮かぶ解釈も否定する内容になってきます。
無意識のうちにまた肯定し始めますが、その時はまた修正です。
コツコツと直していきましょう。

全員が平均的にできるとは、先生方も思っていません。
研究者だって一つの分野に特化した人なんですから。
これがだめだからあれもだめ、という考えの先生は少ないと思いますよ。

少し理論的で説教くさかったですね、すみません。
解決することを祈っております。

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私の時は・・・

 授業で嫌味を先生から言われたり、評価が良くなかったことは辛かったでしょうね。ご自愛ください。
 さて、私が大学生の時も同じような事がありました。何の因果か私のロシア語のテストが悪かったことを発表されたこともあり、辛い思い出もありました。テストを皆の前で言われた時は学生課に行って苦情を言って以後気を付けると言われました。提出物の評価が悪ければ先ずは周りの人たちの内容を確認しまし、友達や先輩に観てもらう事もしました。
 学部や学科によって授業の内容は異なり、課題やテストも違うと思いますが、高校までと違い、受け身の授業は無く、自ら、自主的に、自分が積極的に勉強、研究、探究しないと本当に大学の授業はついていけません。自分が動かないと誰も助けてくれません。いつまでも過去のことを疑心暗鬼する暇はありません。自分の人生は自分で作り上げていかねばならないのですよ。大学を卒業したらもう上の学校はありません。社会人です。社会人になるための最後の研修期間が大学です。今の内にたくさん失敗し、どうしたら上手くいくかを学びましょう。
 曹洞宗の開祖道元禅師は中国の寺院に留学中にある僧侶から「お前は何のために本を読んでいる?」と質問され、道元禅師「立派な僧侶の生き方を知り、人々を救うためです。」ある僧侶「それは何のためですか?」道元禅師「それで人々の役に立ちたいからです」ある僧侶「それが結局何の役に立つのですか?」道元禅師(答える事が出来なかった)
という話しが残されており、後に道元禅師は正法眼蔵で「佛道を学ぶは自己を学ぶなり・・・」と書き示しております。この解説は多種多様ですからあなたなりの答えを大学生の間に見つけて下さい。

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質問者からのお礼

丁寧に回答して頂いて、感謝してもしきれません。
私自身が大学教育というものを甘く見ていた部分があったかもしれません。
執拗に疑心暗鬼になったりせずに、これからを一生懸命に生活してまいります。

回答頂き本当に有り難うございました。

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