お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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心臓が動いているから。
生きることは歳を追う毎に意識しますね。ご自愛ください。
残念ながら私にも分かりません。呼吸するから、心臓が動くから、脳が働いているから。
朝起きて気付いたら生きてます。何故生きるか?でなくて、生きること自体が目的なのです。原因と結果は同時に起きております。同じ時間と場所は二度と戻って来ません。だから常に大切に歩んでください
数時間で終わることが分かっている花火大会になぜ行くのか?
仏に引かれてさん。なぜ生きるかについてのお悩みですね。私なりに個人的な考えをまとめたので参考になればと思い書き記させていただきます。
終わると分かっている人生をなぜ歩んでいるのか。これを、終わると分かっている生命活動をなぜ続けているのか。と読み替えてみます。
因果の法則で考えてみると、この世に生まれ出でて心臓が動き意識が続いていることが、この世における生命活動の原因で、それを無意識的に継続しようとしている営みが縁となり、その結果生命活動の継続につながっている。と私は整理しています。この営みの中に私の想いやはからいといったものが介入する余地はありません。よくよく考えてみますと目に映るあらゆる現象は法則的な理(ことわり)に従って移ろいますが、そこに意味を後付けしているのは私の主観だということが言えるのではないかと考えています。例えば鳥の糞が私の頭の上に落ちた場合、重力やらその場にいた環境やら様々な要素が原因となり縁となりその状況が成立するのですが、そこに日頃の行いが悪いから罰が当たったとか、今朝の占いでいまいちだったとかそういうストーリー的な意味合いを私の主観が付与することはありますよね。
あと、僕は花火大会が好きで毎年どこかの大会に出向くのですが、花火大会のイベント自体は数時間で終わってしまうことは分かっているのに、通ってしまいます。限られた時間で楽しみたいとか気持ちよくなりたいとか、そんな想いに突き動かされているようです。人生と花火大会を同一視することが適当かどうかわかりませんが、どうでしょう?人生に意味が見いだされないのであれば、主体的に素敵な意味を後付けしてみるのも一つの選択肢ではないかと思うのです。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
> 何故生きるか?でなくて、生きること自体が目的なのです。
そのお言葉で少し元気が出ました。
ありがとうございました。
西原住職
ありがとうございます。
励みになるお言葉をありがとうございました。