頭痛と将来の不安で死にたいです
子どもの頃から頭痛持ちです。痛みがひどい時は動けず、寝返りを打つのも辛いです。
大学受験期から毎日痛むようになり、これまで何軒もの病院で診てもらいました。
何種類薬を試しても全く良くならず、MRIを取っても異常が無く、原因不明です。何をしても良くならないという絶望感があります。
多少は痛みと精神状態が関係しているようで、就職活動をしていた頃は、インターンのたび、痛みが普段よりかなり激しくなりました。動くのも辛い中、必死に普段通りを装い、課題をこなしました。
来年から社会人ですが、こんなことでやっていけるのかと怖くてたまりません。インターンの時のように、会社に行くたびに激しく痛むかもと思うと、大学を卒業する前に死にたくなります。
父からは社会は厳しいところで、結果が残せなければこぼれ落ちるとずっと聞かされてきましたし、私の就職先も、入社後に激しい競争が予想される会社です。
仕事で全力を出すどころか、ろくに仕事に集中できずお荷物になり、放り出されるのではないかと不安です。
毎朝起きるたびに頭が痛く、悲しくなります。自分の体が憎いです。最近は毎晩、明日の朝目が覚めなければいいのにと願ってしまいます。
痛い思いをしながら生きる理由が見つかりません。これまで生きてきて、それなりに楽しいこと、嬉しいこともありましたが、割りに合わないと感じます。
痛みに耐え続ける日々が5年以上続き、もう疲れ果てました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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身体の痛みは本当にお辛いですよね
頭痛は本当にお辛いですよね。その痛みの恐れから精神的に追い込まれて、それがまた不調の原因になって悪循環になられているのですね。私もお恥ずかしい話ですが、酷い喘息持ちで発作が起きた時などは、本当に恐ろしく、普段は僧侶として偉そうなことを言いながら、肉体的な苦痛がやってきた時は、本当に恥ずかしい話ですが、情けないほどの醜態を晒してしまいます。
ただ私事ですが、何かそういう状況に陥った時に精神的に、肉体的に安楽になれる方法があるとしたら、それは「祈り」なのかもしれないと思っています。私は僧侶ですので仏様にご加護をお祈りします。それと同時に祈りは仏さまの慈悲の心を已の心にいただくことですので、「自分と同じような辛い思いをしている人々も世の中にはたくさんいて、そういう人も一緒に安楽になってくれれば良いな」と必ず思うようにしています。そうすると、ほんのちょっとだけ心も身体も楽になるんです。
いずれにせよ肉体的苦痛というのは本当に辛いもので、同時にその時はこの苦しみがずっと無限に続くのではという恐れがあるのは良くわかります。ただ何事も永遠に何かが続くという事は絶対にありません。どんな肉体的痛みも、苦しみも何かをきっかけにすーっと綺麗に消えていくものです。そしてそれは後から考えれば、その苦痛が嘘のように思えるものです。どうか貴方にもそういうきっかけが訪れることを祈ってやみません。
あと就職後の厳しい社会というものが貴方に大きくのしかかっていらっしゃるように思いますが、社会とは、そんなに厳しいものでもないですよ。大人になって解ることは、子供のまま大人になった人がなんと多いことかということです。お父様は貴方を心配して色々と厳しくアドバイスされているのかもしれませんが、世の中生きていれば何とかなります。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
和尚さまにも辛い持病があるとのことで、私も少しだけひとりではないと思えました。
私は未熟で弱い人間で、今はまだ自分の痛みだけでいっぱいいっぱいです。でもいつかは、自分だけでなく他の人の救済も祈ることができるようになりたいです。
社会がそんなに怖いところではないということは、実はこれまで何人かの人に言われてきました。私も頭では分かっている気がします。しかし父の言葉は、子どもの頃からの刷り込みに近いものがあり、なかなか逃れることができません。
痛みも不安も、どこかで少しでも変化があることを願いながら暮らしていこうと思います。