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10年の罪悪感

回答数回答 2
有り難し有り難し 19

先日も投稿しましたが書き切れなかった分、今回また投稿させていただきます。

10年前に大切な人を自殺で亡くし、それ以降
罪悪感が自分の中から抜けずにいます。

当時の自分は他の好きな趣味に夢中で、彼女が出していたSOSサインに気づかぬ振りをしていました。まだ自分も10代後半だったので、人が簡単に死ぬ訳ないと思っていました。

亡くなる3日前に、会う事が出来ないと言うメールが来ましたが
それをイラっとして無視してしまい、3日後に御家族から亡くなったとの連絡が来ました。

あの時折り返しの連絡をしていれば、SOSサインをちゃんと受け止めいてあげればと今でもずっと後悔しています。

御家族には、いつもと違う様子に気づいていた事を結局言えませんでした。

言い訳に聞こえてしまうかもしれませんが、その出来事から自分に自信を無くしてしまい
自分と関わってしまうと不幸になってしまうのではないかとか考えてしまい、お互いに気持ちが通じ合う関係になる人がいても
人を見殺しにしてしまった自分が幸せになっていいはずがない、自分はその罰を受けなければいけないのに物事が上手くいっていいはずがないと思い
自分から一歩離れてしまったり、良いことが続くと逆にとてつもなく怖くなってしまいます。

何かうまくいかない事を、罰だとして彼女の死を盾に言い訳してしまっているような自分にも
すごく腹が立って自己嫌悪に陥ってしまいます。

こんな自分が嫌でしかなく、前を向いて生きていく
自信を持つ方法も自分にはわかりません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今日から変わりましょう。

先回分も読ませて頂きました。
先回のお悩みもすべて、今回の罪悪感からの原因かと思います。

さて、たしかに彼女はSOSを発信していたのかもしれませんが、その時のsahaさんご自身も成り行きとは言え、無視したのかもしれませんが、だからと言って、その後、彼女が行ったことが変わったのかは分かりません。

言えることは、彼女は彼女の人生を自ら決めて行動したということです。
冷たい言い方に聞こえるかもしれませんが、sahaさんには関係のないことなのです。特に自死された方の場合、周囲の人達は、皆さんのあの時、こうすれば良かったと後悔されていますが、最終的には自らが判断を下しているのです。
本当の理由は本人しか分からないということです。
となると、sahaさんが原因ではないとなります。

こうして10年に亘り後悔と罪悪感に苛まれてきましたが、では果たして彼女は、sahaさんを恨んでいるのかとですが、それは無いと思います。
むしろ、こうした迷惑を掛けたことを悔やんでいるのかもしれません。

ゆえに、早くsahaさんは彼女のことを解放してあげてください。解放するとは、後悔しないこと罪悪感を持たないことなのです。

そして罪悪感は自ら作り上げているもので、誰が強要したものでもないのです。マイナス思考になっているのも、これがすべての原因です。このままでは、何のための人生か分かりません。

こうして勇気を持って相談されたのですから、もう今日までの自分を捨ててください。罪悪感を自ら解放してください。ただ前を向いて進むしかありません。
そして、それが彼女にとっての最大の供養にもなるのです。

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有り難し
おきもち

日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
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人間を本当に救えるのは 仏さま

 sahaさん、こんにちは。再び大切なご相談を寄せていただけることに、ハスノハの存在意義を感じています。思い出すだけでもしんどい、彼女の力になれなかった自責の念もあり、告白してもどのように受け止められるかもわからない、自分の存在意義さえもわからなくなる、そんな不安の中でこの10年踏ん張ってこられたのですね。大変勇気のいる告白を拝見しました。このハスノハを告白の場に選んでくださり、本当に有り難うございました。
 さて、sahaさんと同じように、私自身のこれまでをふりかえっても感じるのは、「人間が人間を救うことは出来ない」という、悲しくも厳しい人間の限界です。お互い複雑な現実を抱えこの娑婆世界を生きている者同士、不完全な者同士です。人間は、大切な人を支えることは出来ます。助けることは出来ます。しかし、救うことは出来ません。不完全さや弱さ、煩悩を抱えた者同士だからこそ、その人間を遥かに超えた仏さまの存在や働きを求めずにはおられないのでしょう。そして、その仏さまの導きの中でお互いの人生を重ねていこうと考えてきたのでしょう。それが、2500年の仏教伝来の原動力だったと思います。
 私は自死で大切な方を亡くされたご遺族に、このようなご法話をします。
「阿弥陀仏という仏さまは、全てのいのちを一切の条件をつけずに照らし導き、必ず救うと願い働き続ける仏さまです。阿弥陀仏は、00さんがどんな人生だったか、どのようないのちの最後であったかなどということで、00さんが生まれてきたこと、生きてきたことへの優劣をつける仏さまではありません。皆さんは、00さんとどんな思い出がありますか。亡くなられた状況や場面が強く刻まれてしまい、00さんが元気だった頃の思い出を忘れてしまっているかもしれませんが、これからは00さんが00年生きていた思い出をいつでも思い出しながら、貴方の人生をしっかりと生きてください。00さんは仏さまとなって見護っていてくださいます」
 彼女をきちんと受け止めてあげたかったというsahaさんお気持ちは、当然のことでありますし、そのようなお気持ちを持たれることは大変素晴らしいことです。そして、この度の後悔は、また違う場面でsahaさんの教訓としてきっと活きてきます。この告白は、sahaさんにとって新しい明日を踏み出す大きなきっかけとなるでしょう。これからも、応援していますよ。

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有り難し
おきもち

1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん...
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質問者からのお礼

お二方、回答本当にありがとうございます。
今回書いた事は10年間、周囲の人に話した事や相談した事が一度もありませんでした。

この場を通して、自分が変わるきっかけをいただけた事
本当に大事にしていきたいと思います。

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