過去の過ちに対する罪悪感で死にそうです。
私が高校生の時に父がある手術を受けました。そのとき私は何故か「父が死んだらどうなるだろう」とか「別に死んでもかまわない」「死んでもいいかな」などとても不謹慎な事を考えてしまいました。私は父が嫌いではなかったですし父の事を心配していたはずでした。しかしふとそんな考え、雑念のようなものが頭に浮かんでしまったのです。死ぬ事なんてまずないような簡単な手術だったのですが、そんな事を考えてしまいました。手術は無事成功してそれから5年ほど経って現在に至るのですが、最近ふとその事を思い出してあんな事を考えた自分が恐ろしくなって動悸がしてパニック状態になるぐらいです。今は親に対してそんな不謹慎な事を思うこともなく、あの時の事を申し訳なく思っていますし、反省も後悔もしています。親孝行したいという気持ちもあります。しかしあんな事を考えた自分が平然と生きていていいのか?と思うと怖くて怖くてたまらなくなります。趣味や好きな事で気を紛らわそうと思ってもその事が頭から離れず怖くてたまりません。許されない事だとわかっていますし。罪が消えない事もわかっています。しかしなんとか罪を償いたいです。私はどうすればいいのでしょうか?こんな私は生きていてもいいのでしょうか?アドバイスやご意見よろしくお願いします。
お坊さんからの回答 1件
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罪の償いではなく、お父さんが機縁をくださったのだと。
心配いらないわ。自然なことよ。
人は、どんな人でも、どんな生き方でも、
いつかはこの世の縁が尽きる日がやってきます。
あなたが、あの日、
死ぬかもしれない、死んだらどうなる、
死んでもいい、といろいろよぎったのは、
自然なことでもあると思うの。
いつか、考えたり、心に描く日がやってくる。
死んだあと、どうなるんだろう。
私は、どんな気持ちになるのだろう。
私は、そのとき、どう生きていったらいのだろう。
身近な人の老病死を前にして、
「死」をちゃんと考えたときに、
恐ろしさよりも、
この与えられた命を、どのように生きていくのかを、同時に考えていけるわ。
その先にあるのは、終わってしまう死ではなく、
仏様に願われて往く安心であると。
仏法を聞いていくとね、
あの日のあなたが、
反省や後悔では、なくなるわ。
罪の償いではなく、お父さんが機縁をくださったと、これからの「いのち」を見つめていきましょうね。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
少し気持ちが軽くなりました。
しかし罪という意識はやはり消えませんね。