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死産しました

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今年の2月、三人目の子を死産しました。自然陣痛を経て産まれてくれましたが、すでに亡くなっていました。医療的にも原因ははっきりとしていませんが、私自身の性格や、妊娠中の行いが主な原因だと思います。
働きながら子育てする女性に憧れ、働く事に執着しており、高齢出産になるのに、体力的にも精神的にもきついと思いながらも仕事を続けていました。臨月に近付くと、どうしてか無事に産まれてくることを想像し辛くなっていました。仕事が忙しい時期だった旦那さんに遠慮し、助けを求められず、日々苛々してもいました。
お腹の子のことを気にかけず、誕生を楽しみに穏やかに待ってもあげられなかった。お腹の中で子どもがそれを感じて苦しみ、産まれてくることを止めたのではないかと思っています。
火葬の前日、朝まで亡くなった子をずっと抱いて、何度も謝り、話しかけました。その中で、「あなたのことを大事に思っていたんだよ、それだけは信じてほしい」と強く抱きしめると、子の表情がやわらかくなり微笑んでいるように変わったんです。
火葬当日、旦那さんや義父が「表情がよくなってる、笑ってるみたいだ」と言ったので錯覚ではないと思います。
やはりこの子は苦しんでいたんだな、と感じ、今も申し訳なさで一杯です。

旦那さんや上の子たちは楽しみにしてくれていたのに、悲しい思いをさせてしまいました。こどもは「赤ちゃんなんで死んだの?」と何度も聞いてきますがうまく答えてあげられていません。
また、義両親は、長男さんを幼くして病気で亡くされているのですが、その命日と、死産した日が同じで、義両親は私の陣痛が始まったとの連絡で、「(長男の)生まれ変わりではないか」と喜んでいたそうです。義両親の想いにこたえられず、再び悲しい思いをさせてしまいました。

夜中に後悔で涙がとまらず過呼吸を起こしたりもし、旦那さんやこどもにも心配をかけており、そんな嫁、母の居る家では皆安心して暮らせないだろう、と申し訳なく思っています。

火葬後にお経をあげて頂いたお寺さんから、「亡くなった子のぶんまであなたが一生懸命生きてください」と御言葉を頂きましたが、私はどうしてもそれがいいと思えません。

私は自分の生き方のせいで、お腹の中のこどもの命を生かせてあげられなかったし、今目の前に居る家族にも悲しい思いもさせているんです。なのに、私は生かされていいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今は甘えてなんぼです

ご相談拝読しました。誠にお辛い事と存じます。

起きてしまった事からどうしてもご自身を責め、自罰的な思いに至ってしまうのかもしれません。今はまだ客観的・冷静にものごとを見ることができないでしょうから何か判断することを避け、できるだけ心身ともにご自愛ください。赤ちゃんに苦しい思いをさせてしまったとのことですが、それはあなたが苦しかったのだと思います。頑張ってしまったのですよね…。どうか力を抜いてください。

一つ言えることは、事実は変わらないが思いは変わるということです。そして思いが変われば事実の受け止め方も変わり得ます。

命の終わりという事実。そして原因はあくまでもわからないという事実。

それ以上は思いです。色々言われたり、考えたりするかもしれませんがきっちりとそこを分けることが大切です。

赤ちゃんも誰もあなたを責めないでしょう。あなたを責めるのはあなたの思いではないでしょうか。

ご主人も上のお子様たちもあなたも今生きているという事実。その事実にしっかりと立って、赤ちゃんへの思いとともに生きていきましょう。

赤ちゃんを愛をもって抱きしめた時に何かが変わったように受け止められた様に、あなたの生を、そして周りの人びとを愛をもって抱きしめていってください。そうしたらきっとまた見える世界も変わってきます。

そしてあなたが既に周りから愛されていることに気づいてください。そして甘えてください。今は心配も迷惑もかけて大丈夫です。

人は死んで終わりではありません。霊になるとかそういうことではなく、亡き存在として心にはたらき続けます。亡き存在と共に生きる自分が新たに誕生するのです。
赤ちゃんの苦しみはあなたの苦しみ。あなたの喜びは赤ちゃんの喜びとなります。

いいも何も既に生かされている事実を歩んでいきましょう。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

お答えありがとうございました。お礼がとても遅くなってしまいすみません。

何度も読み返しさせて頂きました。
そうですね…。苦しかったのは私自身かもしれません…責めているのも私自身なのだと思います。
また苦しくなりそうになったら、頂いたお答えを読ませてもらい、亡くなった子どもに手を合わて共に過ごしていけるようになりたいな、と思います。

ありがとうございました。

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