愚か者について
私の両親は愚かで、馬鹿です。
金に目がなく、金で争い、金を浪費してる自分には激甘。いつも金の話。
窘めたり注意すると、キレて大声を張り上げ、私の声を打ち消しにきます。
福沢諭吉様の考えに、本当の愚か者は力でねじ伏せるしかないという(確か国民と政府の話で)ものがあります。
ですが、現代は手を出したもの負けなので、できません。
個人的に両親には恨みと憎しみがあります。だから、どうにかして不幸になってほしいと願う気持ちがあります。
離れれば良いとおもいますが
私はまだ自立が経済的に難しい立場なのと、世話をしない両親に代わって弟妹の食事の用意をしたりしているので離れる事も出来ません。
妹や弟にはじぶんみたいに苦労して欲しくなくて世話などをやっている反面、自分のための時間が欲しい、なんで誰かのために自分の人生の時間をあげなきゃならないんだと、正直負担になっています。
両親はいつも他人の悪口や金の話を汚い言葉で話すので、声を聞くだけで心労が溜まります。
私はどうあればいいでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
泥中の蓮
あなたのような人を泥中の蓮といいます。
汚れた環境の中でも、それに染まらず清く正しく美しいという意味です。
弟さんと妹さんをあなたの手で正しい方向に導いてあげてください。
弟さんと妹さんがもう少し成長すれば、あなたも自分の時間を作りやすくなると思います。
ご両親は反面教師と思いましょう。
ただ、そんなご両親のお陰で自分が存在している事も忘れてはいけませんよ。
憎む時間はもったいない
トンベリジャイアントさん
こんばんは。
本当にあなたのその心と行動にご兄弟は救われています。あなたのおかげで、まっすぐに生きていこうと思えるのでしょう。
ご両親へ憎しみの気持ちを注ぐことと、ご兄弟のために思いを注ぐのとどっちがもったいないのかというと、やはり、憎しみを持ったり恨んだりしている時間はもったいない。
それよりお姉さんとして人を守ろうとする清い心。慈悲の心が何より素敵です。無駄ではない。徳を積んでいるということでしょう。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
私は正直申しますと、化学方面の人間なんです。ですので、自分が在るというのは、環境による成長の過程で生まれてきたものであり、前世や両親の縁とかはちょっと違うかな…汗って感じなんですが、もしかして私という人格形成に負の要因であれ関係したという意味では事実です。悔しい。
確かに彼らがいなければ私という人格は生まれてこなかっただろうと思います。ぐやじい。
でも、何回か読んでるうちに、上記の本質的ではない、関係無い事にいちいち反応してる自分に気付きました。
一回読むだけだと、なんの足しにもならない慰めにしか感じられず、自分の鬱憤を晴らすために細かい事にいちゃもんつけようとした自分がいたけど、お二人様の言葉の中にある真心さが何回か読むうちに少しずつわかって、私の心に沿ってくださってる事にようやく気づきました。
真の愚か者は私でした。
回答の真心さに心が解かれて、ちょっと彼等に感謝の気持ちが湧いてきたような気がします、朝日に当たったのもあるかも。
ささくれだつ私の心にお二人様は沿ってくださいました。結果的に徳を積んでると言ってくださっても、私のような我慢と鬱憤と恨みにまみれた人間のフォローは大変だったと思います。
あまりにも綺麗とは言えない質問に、お答えくださってありがとうございました。自分の愚かさに気づくきっかけをありがとうございました。