幼少期からずっと友人が出来ません。
初めて相談させて頂きます。
私は幼少期から友人がほとんど出来たことがありません。
人見知りの暗い子供で、ちょっとした嫌がらせも受けました。
このままではいけないと思い、様々な会や趣味・性格の合いそうな人達が集まるネットコミュニティに飛び込んできました。
ですが何処へ行っても孤立してしまうのです。適度な働きかけは行っているのですが、いつも微妙な距離を置かれてしまいます。
人間関係の構築スキルを磨き損ねたツケがまわってきたのか、私本来の性質が人を遠ざけるのかは分かりません。
気付けば30代です。このまま生身の人間から何かを学んだり与えたりすることも出来ず、人生を終えるのかも知れないと思うと、勿体無くてなりません。
今後、人生の舵をどの様に切っていけば良いのでしょうか。
もしくは、生身の人達と関わる以外のことで、学び成長していく道もあるのでしょうか。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
長文失礼致しました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人と上手く繋がれない感覚は辛いと思います。
友達が出来ないことに悩んでおられて、色々なコミュニティに飛び込むけれども、距離を置かれてしまうと感じているのですね。このまま人間同士の繋がりが出来ないのではと思うと怖いのですね。
人間は比較することで苦しみますね。私達はどうしようもなく苦手な事とか差もある。ある程度は埋めることは出来ても埋められない場合もある…私もあるコミュニティに居て周りは皆上手くやっているように見えます。皆が楽しそうだと…でも、実は他の人から見たら私だって十分うまく立ち回っているように見えるのかもしれない。本当は皆それぞれ他人が良く見えて、でも実は孤独を抱えているんではないかという事を思います。無量寿経にこんな言葉があります「独り生まれ独り死し独り逝き独り来る。誰も代わってくれないし代わってあげられない」
人間実は誰といてもどこにいても、本来的に孤独であるという事です。だから、上手くやっていて深い人間関係を築いてそうに見える人も、必ずどこかに孤独を抱えています。孤独を本当に味わった時、他者の孤独も見えてき、他の人の孤独に寄り添おうとする世界を頂けるのだという事です。孤独なのは自分だけではない。コミュニティに飛び込めずに苦しんでいる人も大勢います。孤独を友達にするという道もあるはずです。そして孤独を本当に知った時に、同じく孤独を抱える人とつながり合える日が来るかもしれません。それは私たちが思い描いているような繋がりとは違うかもしれません。私たちは大体今までの経験や見てきたものの中で決めてしまいますから。
釈迦の言葉「旅に出て、もしも自分自分にひとしい者に出会わなかったら、むしろきっぱりと独りで行け。愚かな者を道伴れにしてはならぬ。」(感興のことば岩波文庫p204)仏陀は孤独や一人であることを馬鹿にしたり愚かだと言ったりしません。むしろ孤独をごまかし群れる事を警戒します。
私はあなたに心理学や深層心理学の事を聞いてみたいです。話してみたいと思いました。そういう人がいると思います。その程度のつながりで実は十分なのかもしれませんよ?
あなたが人間関係の中に何を求めているのかもう一度考えてみて下さい。
〈追記〉一方で仏陀は友人の大切さも説いている例もあって(善知識経)、人とつながりたいという気持ちも大事だし、大切だと思います。いずれにせよ、極端にならずに、仏教に学ぶことを続けて頂きたいです。
質問者からのお礼
釈義行さま
ご回答ありがとうございます。
孤独からしか得られない体験や学びを、いつか誰かと分かち合うことを目標にしようと思います。今は腹を据えて孤独を全うしてみようと決意いたしました。
ありがとうございました。