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師僧について

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有り難し有り難し 23

自分は仕事でもプライベートいつも選ばれない人間だと感じていて、今までそれを周りのせいにしてきました。周りを恨んできました。でも最近「それは違う、それは自分のせいだ」と思うようになり、それもまた苦しく数年間悩み続けてきました。その結果、仏教を学びたいと思いある寺院を訪問しました。

そこの寺院は家からはかなり遠いのですが、住職の日々のブログの文章に感銘を受けて訪れました。仏教の制度についての勉強をあまりしておらず、未だよく分かっていない部分もありますが、一度目の訪問のときに在家得度をして修行をすることになりました。得度式までに2回訪問し、お経や念珠について教えていただき、衣の購入と着用の仕方などを教えていただきました。

しかし、実際に師僧にお会いしてみると文章の印象とはかなり違っていて戸惑いを感じました。他の修行僧の悪口ばかり言い、〇〇さんという人がいるけどあの人は声が小さいんだよね覇気もないしありゃダメだとか、××さんという人がいるけどあの人は覚えが悪いんだよねいつまで経っても覚えないとか、事あるごとにこぼします。

更に、他の修行僧や私の個人的なこと(懺悔でお話するような超個人的な内容)を「この人はこういうことで悩んで僧を目指してる」などと大声でみんなの前で言われたのにも驚きました。一緒に修行をするので、そういいったことは公にして共有するものなのでしょうか。

そしていつも尼僧たちにばかり声を掛け師僧の両脇に座らせ、頂きものの菓子を尼僧たちにだけ分け与えていて、これも驚きました。お坊さんだから清廉だとは思いませんが、イメージしていた姿と全く違い戸惑いを感じています。

自分のような考え方は偏っていて堅苦しいですか?会社でも部下のことを重箱の隅をつつくように悪い部分ばかり見て、一方で女性ばかり可愛がる上司もいますが、その上司がどんなに仕事ができても仕事のやり方は参考にしますが、尊敬はできません。

でも師僧には尊敬を求めたい。尊敬できる師の下で修業したい。こんな考え方は青臭いでしょうか。会社と同じように、修行も仕事も同じで、師僧から技術を教わればよしとするものでしょうか。もう得度式も終わってしまい、実際の修行に入っていますが、もやもやとした迷いが生じてしまい悩んでいます。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたは何を求めて得度し求道していますか?

辛いですね。確かに完璧な人はいません、ただ、お話を聞いていると目に余る感じもあります。師というのは非常に大切です。あなたは、資格を取るために僧侶になりたいのではないでしょう?やはり、基本的には仏道を学ぶことは道を求めるという事は大変なこともありますが、楽しいことでもあるはず。しかし、あなたは、求道や教え以前の所で師僧に疑問を感じてしまっているので、このままついていていいものかと個人的には思います。やはり、尊敬できる人の元で道をもとめるべきでしょう。他の人の意見も聞いてみて下さい。
お釈迦様の言葉をいくつか参照すると

『ダンマパダ』25章
11.どのような友を作ろうとも、どのような人につき合おうとも、やがて人はその友の様になる。人と共に付き合うというのは、そのようなことなのである。

12.それ故に、賢者は、自分は果物籠が(中に入れる果物に)影響されるようなものであるということわりを見て、悪人と交るな。善人と交れ。

24.愚かな者を見るな。その言葉を聞くな。またかれとともに住むな。愚人らとともに住むのは、全くつらいことである。…思慮ある人々と共に住むのは楽しい。…
25.よく気をつけていて、明らかな智慧があり、徳行をたもち、学ぶところ多く、しっかりしていて、敏捷な人に親しめよ。-諸の星が月にしたがうように。

14章
15.旅に出て、もしも自分にひとしい者に出会わなかったら、むしろきっぱりと独りで行け。愚かな者を道伴れにしてはならぬ。(ブッダの感興のことば 中村元訳)

私のお世話になった先生でも、人格的に問題のある人もいました。
しかし、やはり本物だと思う人にも何人か出会えました。そうした方は、生活態度から気をつけておられました。仏道と照らし合わせて生活されておられました。求め続けることが大事だと思います。今の師が偽物だと思うならやはり本物を求める心は失わずにいた方が良いと思います。ある先生が「勉強するのは本物と出会ったときに反応できるようにしておくためだ」と言ってました、勉強することが準備になり、いよいよ師匠に出会ったときに気づけるのでは?

ところで、それほど、大事な決断をなぜイメージだけでされたのでしょうか?もっと吟味しなければならなかったのではないでしょうか?そこは正直、あなたにも問題があるように感じました。応援しています。共に精進してまいりましょう。

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有り難し
おきもち

浄土真宗本願寺派の僧侶です。 産業カウンセラーの資格を持っています。...
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この世には完璧な人は滅多にいませんからその師僧の良いところだけを学び悪いところは無視したらいいと思いますよ。お経や修行の実践の中から学ぶことも多いですからね。
ただもし師僧に良いところが無くお経を学ぶこともできず修行の実践もできないような環境なら正直に「師の教えは私の目指す方向と違うようですので下山して一から出直したいと思います。」と伝えてみてはどうかな。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございました。
やはりお坊様も色々な方がいらっしゃいますよね・・・。当たり前のことですが、過大な期待を持ってしまっていたのだなと思いました。心から尊敬する師から学ぶか、割り切って技術を学ぶかの選択ですね。
ご指摘いただいた決断について、私の人生全てにおいて言えることなんです。得度式前に既に違和感を感じていましたが、ここで「もう少し考えたい」と言うのは悪いと思ってしまいました。いつもそうです。というより、「相手に悪い」からではなく、「相手に良く思われたい」という浅はかな気持ちが違和感を押し殺してしまうのです。
今しばらく立ち止まって、よく考えてどちらを採るか決めたいと思います。立ち止まっている間も、自分でできる修行を続けようと思います。
本当にありがとうございました。

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