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病は気から?

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有り難し有り難し 11

これまで、何度もハスノハでお世話でなっている身でありながら、またご相談に頼らざるを得なくなったこと誠に申し訳なく思っています。
私は、半年前から持ち合わせている希死観念と就活に失敗したことによる軽い抑うつらしき状態に苦しんでいるのですが、自身の精神状態について両親が難色を示し、医療機関を受けたくても受けられないということでとても悩んでいます。
というのも、両親の中では「自分が病気だと思いこめばいつでも自身を病気にすることができる」という考えがあって、精神科医に自身の精神状態の判断を委ねることに大変懐疑的な考えを持っているようなのです。(特に母は福祉法人で働く過程で悪徳な医師を多数見てきたらしくその考えがより顕著な傾向にあります。)
もっとも、自分としては両親が疑いを持つのも無理もないと思っています。というのも、私は、声こそ大きくないですが、会話ができないわけではなく、食事も食べようと思えば食べることができ、夜寝られないということもない状態で、客観的ちょっと落ち込んでいる健常な人とされても致し方ないと思うからです。

ただ、物が食べられるといっても食欲が自然に湧くわけではなく、もっぱら延命の為に義務的に食べている状態で、睡眠に関しては四六時中漠然と眠気があるという自分でも訳の分からない健康状態にあります。
何より一番つらいのが、将来の展望を悲観するたびに胸が本当に痛くなったり、頭が回らなくなったりすることです。ただ、それは自身にしか体験できない苦しみで、両親に理解されたことはないです。

私がこんな状態になったきっかけとして、自分の生殺与奪を他人に操作される事に対する強い抵抗があり、今生でやることが思いつかなくなったのをきっかけに、「いつか痛みへの恐怖を告白して自分をぶっ殺す」という願望を持つ一方で、「両親が悲しむのを想像すると死ねないなぁ」という感情を自覚して、二つの考えで板挟みになってしまったことが挙げられると思っています。それで、当初はカウンセリングすら行きたくないと思っていました。

その後、自分だけではどうしようも無いと思い直し、第三者の助けを求めることを決意したのですが、その際に上述した両親の反対があってとても悩んでいます。

私としては、こんな状態になりたくてなったつもりはないです。でも、やっぱり逃げているだけなんでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

思いを破ると世界が開ける

ご相談拝読しました。これまでに何度かご縁をいただいております。

これまでそれなりの期間・回数に渡りご相談をいただいておりますが、確かに状態が深刻なものになってきているようにもお見受けします。

その様な中で第三者それも専門家の判断を仰ぐという意味で医療機関を受診するのは良い選択肢のように思います。それはただ認定して貰うということでなく、

・自分の考えで行動する→自分の思いに沿った、あるいは思いを超えた結果が出る→自分の行動や選択に意味や価値が見出される

という効果が期待される面もあるからです。思った通りの結果が出ることは単純に喜びにつながりますし、思った通りの結果にならないことは自分が思った事が全てではないのだということを教えてくれ、それは苦しみを伴うこともありますが実は深い喜びでもあります。

文章からあなたは頭の良い方であると思いますがそれゆえに自分の思考が全てというか、「どうせこうだろう、だから意味がない」というパターンにハマってしまっている気もします。そして自分自身についても「自分はこういうヤツだ」「自分はこういう状態だ」というキャラ設定をしてしまってはいないでしょうか。

さて、両親の反対もあるとのことですがあなたも一人の成人です。何にでも親の許可がいるわけではありません。親にコントロールされているという思いもまた抑うつに繋がりかねません。

経済的に許すならば思う様にやってみては?お金がなければバイトをするのもの思いを破る大きな行動の一つとして選択肢に挙がると思います。

親から逃げるのでなく、環境から逃げるのでなく、なによりも自分自身から逃げない事。どうせこうだろうという安直な思いに逃げ込まないで、事実・真実まで突き抜けましょう。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

何度も相談に乗っていただきありがとうございます。

あの後、両親とお互いに頭を冷やして話し合った結果、両親が「自分たちの知らないところで苦悶していたのに酷いことを言って申し訳なかった」と言ってくれたので、両親とのわだかまりはひとまずなんとかなりました。
ただ吉武様のおっしゃられた、自分から逃げない、という課題が自分にはまだ残っています。
これまで、自由意志の概念にかまけて生きることに目を背けてきました。死を選択できることが理想の極致であると思い込み続けてきました。
ですが、奇しくもここにご縁を頂き、様々な方から生との向き合い方を教えて頂けました。生きるということに絆されるのは、恐怖と同時に温もりがあるということを教えて頂けました。吉武様を含め、これまでご縁のあった御坊様にこの場で深く感謝致します。

私は生きます。

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