いつか死ぬことが怖い
はじめて質問させて頂きます。
幼い頃にいつか自分も死ぬと自覚してから、死の恐怖に襲われます。
hasunohaにも同様の質問がたくさんあり、たくさんの回答を読ませて頂き仏教の宗教観にも触れ恐怖感が薄まることはあるものの、心の奥底にどうしようもない恐怖があります。
私が一番怖いのは、死んだら身体も意識も消滅し、全てが無になってしまうことです。私は今の生活をとても幸せに感じており、これが私や家族の死によっていつか終わるということがものすごく悲しく、おかしくなりそうです。そして、死後、私の意識は一体どこに行ってしまうのか、消滅するということは私にとってどのような感覚なのか(死んだら感覚なんてないと分かっているのに、感覚がないという実感がわからない故に不安になってしまう)と考えて、胸が冷たくなり、凄まじい恐怖に襲われます。
私が好きなものも全て手放さなくてはならないこの世界が憎く悲しく、最悪の世界だと思ってしまいます。
この恐怖から、今私が存在していることが気持ち悪く思えてしまうようになりました。いま意識があるという状態が気持ち悪いです。見てる景色がテレビのワンシーンのように思えるのに、そこから離脱できない自分が気持ち悪いような感覚になり、発狂しそうになります。
家族が大好きなのに、死ぬのが怖すぎて生まれたくなかったと思ってしまいます。こんな思いを自分の子供にはさせたくなくて、将来子供をつくるのも躊躇ってしまいます。生まれなかったら死ぬこともないから、そっちの方が断然幸せなのではないかと思ってしまいます。
そして、いつか死ぬと思うと、人生が虚無に思えます。なにをしても最後は死んでゼロになる。宇宙さえもいつかなくなると思うと怖くて叫んでしまいます。そう思うと本当に生きているのがしんどくて、いっそ今死んでしまった方が良いなどと意味のわからないことを考えてしまいます。
まとまりがなく、感情的な文章で本当に申し訳ございません。
私の意識は死んだらどうなるのでしょうか。そしてこの様々な恐怖はどうやったらなくなるのでしょうか。弱い私に、どうかご助言をよろしくお願い致します。
死と別れが怖い。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
やりたいことをまだ残しているから
くうさん、おはようございます。
死が怖いというのは人間の歴史が始まって以来の悩みです。いろいろな方がその壁にあたり宗教や考え方がてできました。
もちろん私も怖いです。
結論からいうと死が怖いのはやり残していることが多いからです。若いのであれもこれもという人格がそうさせるのです。
90後半ぐらいの方に接すると『もういつ死んでもええねん』とおっしゃる方がいらっしゃいます。私はこの方はやるべきことややりたいことが一通り人生で終えたのでこの達観したようになるのではないでしょうか?
そして死の感覚はわたし達は実は毎日してます。それは睡眠です。寝ている時にくうさんの人格はありません。また、お母さんのお腹にいる時なども人格がないので死に近い状態です。ほとんどの人は記憶はありません。
だからくうさんは10代なのですごく怖いのは当たり前なんです。それでいいんです。これから沢山の経験して年をとった時にきっと少しは死について整理出来てるのではないでしょうか。
私の宗派は死が近づくと阿弥陀如来さんが迎えに来て下さいます。それを毎日毎日のお経や仏様に接することでイメージをして死という最大の悩みに接しています。
質問者からのお礼
薮本様
ご回答ありがとうございます。確かに、私はまだやり残したことが沢山あるように思います。眠るのと同じ感覚というのはハッとしました。そして、年と共に気持ちが整理できるというお言葉に希望を頂きました。今はまだ怖いけれど、そのうち自然に受け入れられる日が来るように、仏様やhasunohaのお力をお借りしながら年を重ねることはできるかもしれないと思えました。暖かなご回答、本当にありがとうございました。