今年から幼稚園へ通っている子供がいます。今年はコロナの影響で入園式や参観日等いろいろな行事が中止となりました。寂しいし残念ですが、それも仕方ないと思ってきました。ですが、先日のお便りで運動会も中止になりました。
子供はもちろん親である私も初めての運動会をとても楽しみにしていました。この大きな行事があったから、今までの中止も仕方ないと思い、我慢してきました。本当に楽しみにしていました。園の判断なので仕方いのはわかっているのですが、納得が出来ず、かと言ってどうなる事でもなく。
毎日イライラしては悲しくなり、落ち込む日々です。
先生方の事を恨んだりはしていないのですが、開催している園もある事を聞くと、どうして私は。と、辛くなります。
仕方ない、まだ来年がある、今年は中止の所も多いみんな同じだと、思うのですが、全然気持ちを切り替えてる事ができず。
こんないつまでもグズグズ考えている自分も嫌で。
どうしたらいいでしょうか?
気にしても仕方ない事なのに毎日考えてしまいます。いつまでも気にしないで前を向く方法を教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
おつらい事と存じます。
わたしも小学一年生の娘がおります。
入学式は二か月遅れ、行事も、楽しみにしてた夏のプールも
なくなりました。こちらも運動会は中止になりました。
4月に入学式の延期が決まったときのことです。
なんと入学式の準備をしていたその前日の夜に突然
延期の発表がされました。これには憤りを隠せませんでした。
娘に伝えたのは翌日の朝。ピカピカのランドセルを枕元において、
元気に「おはよう!」と言ってきてくれたあとです。
なぜもっと早くにできなかった!こうなることはわかってたんじゃないか!
そういう思いにかられ、つらかったですが、娘は
「ざんねんだねえ。でもコロナウイルスやばいからね。しょうがないよ!」
といって、ごはんを食べ、ランドセルを背負うと
「登校の練習をしてきます!」といって、うちの参道をいったりきたり。
いまできることを懸命にしている娘。物事をちゃんとまっすぐ
うけとめている娘に、親の方が右往左往して情けない姿を見せてしまったと
学ばせていただきました。
わたしたちよりも子供たちは「いま、ここで、できること」というものを
きちんと務めています。
子供たちの「いま」に寄り添うのが親の姿であると思った次第です。
子供たちの目線というものに親もあわせてみると、
あらたな発見があるものです。
この機会にお子さんの目線や、考え方に耳をかたむけてみると、
うらむ気持ちもどこかへいってしまうのではないかと存じます。
なにより親のだれかへの「うらみごと」なんて聞きたい子供は
いないでしょうから。
皆様にさちあれ。さちあれ。
星様
お返事ありがとうございます。
おっしゃる通り、子供は毎日楽しく園に通っております。
子供の前で恨み言を言う事はないのですが、やはり落ち込んでいる様子は見せているかもと反省しました。
もちろん親も楽しみにしている園生活ですが、子供が主役という事を忘れずに、寄り添っていきたいと思います。
ありがとうございました。