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中絶の罪悪感で生きるのが嫌になりました

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1週間ほど前に中絶手術を受けました。
妊娠が分かった当初は、授かった命を殺してしまうことに非常に抵抗があり、最悪ひとりででも産み育てるという気持ちでした。
しかし、妊娠の事実を話したところ相手は責任を取る気もなく、そもそも無職で無収入のうえ、暴力をふるうなど人格的にもろくな人間ではなかったため、そのような人間の子供と思うと、最終的には産むべきではないという結論に至りました。

一方で、私自身の都合で命を殺めてしまったということに対する罪悪感が未だに消えません。

私は数年前に自殺未遂を何度か起こしており、そのように自身を大切にできない人間が自分勝手に子供の命を摘み取る資格はあったのか。手術後、悪阻がなくなったことでいなくなってしまった命のことを実感し、自然と涙がこぼれます。

相手に対して殺してやりたいくらい憎んでいますが、そのように思う資格はないのではないかと思うと同時に、自身の無責任さから命を殺めてしまったという後悔で生きているのが嫌になります。

仕事でスキルを磨きたいという気持ちでいままで頑張ってきましたが、今回のことをきっかけにそれもなくなってしまいました。

普通の幸せが欲しかったと思うことが最近よくあるのですが、中絶をしておいて自分の幸福を願うのはあまりにも自分勝手ではないかと自身を責めることもあります。過去の行いの報いで、今こうなっているのではないかと感じています。

もはや今後、なにを思って生きていけばよいのかわからなくなってしまいました。親もいずれは亡くなり、ひとりぼっちになってしまうのが怖いです。
目標も希望もなくした今、何のために生きる必要があるのでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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来世の幸せのために

今をより良く生きていれば、その功徳(心に善い癖がつく)のポテンシャルによって、来世で幸せになる確率が上がると、私は思っています。
裏を返せば、今の不幸は、前世の自分が悪いことをした報いかもしれません。
そのように考えた方が、他人を恨んだりする必要がなくなり、世の中から争いが減るかもしれません。
ということで、このまま死ぬより、もう少し善い行いを積んでから死んだ方が、来世に繰り越すラッキーポイントが増えると考えましょう。
中絶は残念でしたが、過ぎたことを後悔するのは良くありません。
私たちは、虫だったりお魚だったり、たくさんの命を殺さずにおれません。
今日から、明日から、生命を慈しむよう心がけましょう。
とりあえず、笑って死ねるようになれば、その流れで来世も幸せになれるかも。
人生は、どうせできることしかできません。今できることを、できる範囲でやればよい。
そうやって、死ぬまで生きれば良いだけです。気楽に生きましょう。

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