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死んだ父親への憎しみが消えない

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有り難し有り難し 10

初めて相談させて頂きます。私は、物心ついた頃から父親から虐待を受け、死んだ父親を憎み続けています。昔は虐待=躾けと言う安易な図式が罷り通っており、警察や児相・教師も全くあてには出来ませんでした。

父親は私に身体・経済・精神的な虐待を好んで行っており、母方の祖父から叱責を受けても逆ギレして祖父を殴り倒す始末。しかし、私の妹には只々甘く、私には決して出さなかった学費を出して大学まで行かせました。

その反面私には小学生の頃から「働け、無駄飯喰らい」「家に金を入れろ奴隷が」等と暴言や暴力を浴びせ続け、私が虐めに遭い大怪我を負った時も虐めの主犯格の減刑嘆願を進んで行うなど、私と言う個人を否定し続けました。
母親は私を庇ってくれましたが如何せん体が弱いので父親から殴り倒されていました。

私はその後母方の親戚からの助けを得て何とか高校に進学し、父親から逃れたい一身で未成年ながら一人暮らしを始めました。
しかし、高校卒業後に父親と出所した虐めの主犯が押しかけて金をせびりました。
私はとうとう爆発して、気がつけば父親と虐めの主犯は血塗れになっていました。
その後私は逮捕され少年院に入り、出所後は母親の面倒のみを見て、父親は放置して、話しかけでもしたら即殴りまくり、父親は何度も意識を失いました。(あれだけやって人殺しにならなかったのが今でも不思議です)

結局、母親は暫くして癌で他界し、妹も今では行方知れずです。私は母の骨を母方の墓に納め、父親を捨てて別の所で1人暮らしをまたしています。今でも夢の中で父親が薄汚い姿で私の足に縋り付き、「一緒に地獄に落ちよう」と言い、私は必死に振り払い、父親を殴り飛ばした所で目が覚める。これがもう2年以上続いてます。

私は父親を父親とは思ってませんし、思った事もない。しかし、もう40歳を越えた今、あの男に縛り付けられるのも御免です。

一体どうすれば、父親を永久に振り払い、正しい人生を穏やかに歩めるのか?まとまりの無い分かりにくい文章で申し訳ありませんが、何卒ご教示頂きたく思います。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

参考までに

青銅聖衣さんのご心痛お察し申し上げます。

お父様との縁は、お話を伺っているだけで想像以上のものだと思います。
まるで主人と奴隷のような関係で、もしこれが過去世(信じるかどうかは別です)において全く反対の立場だったらと思わずにいられませんでした。

さて、すでに亡くなっておられるので、今は、直接は被害はなくても夢の中までも追いかけてくる。これは苦しいですね。
>「一緒に地獄に落ちよう」 まさしくお父様は地獄界なのかもしれませんが、本当のところは救って欲しいとの訴えと思います。

今さら、救えと言われそうですが、それしか方法はありません。
あれだけのことをされたのに、許せというのは、青銅聖衣さんご自身にとって正反対のことかもしれませんが、許さないという思いが一層、苦しめている原因です。

本来、青銅聖衣さんというペンネームの如く、揺るがない聖なる衣を纏うておられるのですが、今は、お父様と共に地獄のような状況にあると思います。
しかし、一旦向上し始めれば、立ちどころに変化するというものです。

とても辛い経験をされましたが、すでにそれは現実としては終わっています。今からは、心の中の軌道修正かと思います。
まずは、もし、過去に自分が父に同じようなことをしていたと想像した時、そんなことは考えられないかもしれませんが、仮にそうであったとしたらでいいです。
思い出しながら、許してあげて、そして許されてください。
それが一番の解決方法と思います。
大変なことかもしれませんし、一方法に過ぎませんから、参考までに。

~追:返信~
たしかに「許す」ということは、なかなかできることではありません。そこまで寛大になれるか。という自分自身との葛藤です。
とても大変なことかもしれません。
今回、生まれきた課題が、「許す」ことであったら、そのためには徹底的に、その反対の出来事を体験します。
まさしく青銅聖衣さんは、そのことなのかもしれません。
血のにじむような思い、悔しい悲しさ苦しさが巡ってくるかもしれません。
それでも父だからこそ、出来たあなたに「許す」ことを体験するためにです。
これから、時間が掛かってもいいでしょう。
少しづつ、そのことに意識してください。

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質問者からのお礼

鈴木海祥様、早速の回答有難う御座います。

回答を読ませて頂く中、「許し」と言う事が強く私の心に刺さり、響きました。現実的な痛みをも感じる言葉です。私自身今考えておりますが正直な所、抵抗があります。

「あんな外道を許してたまるか」と言う思いと、「人一人許せんとは、俺はここまで弱いのか?」と言う思いが今この瞬間もぶつかり合っているのです。

確かにこれまでの人生で私は殆ど「許し」と言うものに向き合ってはいません。いや、許した事がそもそもあるのかどうか。しかしそれを学び直して立て直さなければ、私自身が心に纏う鎧と共に地獄に落ちてしまう。

これでは私を守り慈しみをくれた母と祖父祖母に対しても無礼千万。あの世でも顔向けが出来ない、と今さらながらに考えております。

先に進み、心穏やかに歩む為には「許す」事は
不可欠なのでしょう。今すぐには無理な所がありますが、その言葉の意味を理解して、少しずつでも父親を許せる様努めて参りたいと思います。

ご回答を頂き、誠に有難う御座いました。

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