お坊さんが相談に答えるのはなぜですか?
このサイトでお坊さんたちが悩みに答えるのはなぜですか?
有り難し、お気持ち、または感謝の言葉が欲しいというような俗な気持ちは全くないものなのですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
見返りを考えていては、本心を書けません。
その代わり、読んでいて、この質問にはお答えしようと思った分しか書けません。
もちろん、どのように感じて頂いたかの反応があれば、尚更、励みになりますし、勉強にもなっております。
このような機会を与えて頂いて感謝しています。
僧侶の任務
私の場合は、苦しみを救う一助になることが僧侶の任務だと思っているからです。人は言葉で救われる場合があることを、身をもって実感しています。自分の任務が少しでも果たせたかどうかは、質問者の方の反応によってしかわかりませんので、私は質問者の方の言葉を重視しています。
有り難し、お気持ち、または感謝の言葉を求める気持ちから回答すると、それらは逃げて行ってしまうものだと思います。結果には必ず原因があるからです。
こんにちは
もちろん「有り難し」やお礼の言葉をいただければうれしいですし、励みにもなります。じゃんじゃん「有り難し」を押してください。
でも確かに、回答させていただいている理由は、そればかりじゃあないですよね。
曹洞宗の開祖、道元禅師の言葉に「ただひとへに利行にもよほさるるなり」とあります。「利行」とは「見返りを求めない人助け」といった意味です。それが「もよおす」と言っています。あなた自身も困った人(や動物)がいたら、助けてあげたい、という気持ちが自然にわき上がってきますよね。それが「もよおす」です。
私もそのように、いろいろな方のご質問を読むと、こう、もよおしてくるんです。何か助けになれば!って。それが答える原動力になっていると思います。
また、答える事で、私自身がはげまされたり、勉強になったりする事もあるんですよ。
これからもどうぞ遠慮なくご質問くださいね。