幼少期の殺生と、その懺悔について
初めてお世話になります。
私は動物(虫や貝、ミジンコなども)が好きで、彼らの命は例外なく尊く、人間と同様に重いものだと考えています。
しかし、子供の頃はその重さを分かっていませんでした。
小学校2〜3年生くらいの頃、同級生と一緒に通学路の途中にあったアリの巣を潰そうとしたり、アリに残酷なことをして命を奪ってしまいました。
自分のした事を考えると胸がズキリと痛み、とても後悔しています。
一時は「自分は幸せになってはいけないのではないか」、「地獄に落ちるのではないか」という考えが頭を巡り、何をしていても心が苦しい状態でした。
ある時ネットで、
「幼少期に虫を死なせてしまうことは、命や死についての理解につながる」
という記事を見つけました。
確かに自分が命を尊く思えるようになったのは、過去のそうした経験が影響していることは否定できません。
人間が罪深い生き物であることを受け入れることは出来ましたが、それでもやはり虫達への罪悪感があり、本当に申し訳ない気持ちです…。
今は無益な殺生は当然として、蚊やゴキブリといった虫達も殺めずに、可能なら外に逃してあげるようにしています(害虫の駆除はやむを得ないのかもしれせんが、出来る限り殺生を避けたいので…)。
食事も間接的な殺生と聞きますので、いつも感謝を忘れないようにと自分に言い聞かせています。
長くなってしまいましたが、私が相談させていただきたいことは罪の懺悔についてです。
最近になって「懺悔文」というお経を知り、これを唱えたり、命を奪ってしまった全ての生き物達へ謝罪を込めて、ご冥福をお祈りをしているのですが、
年月が経過した今でも、この気持ちは神様を通じて虫達の御霊へと届いているでしょうか?
そのことがどうにも心につかえています。
何卒、お言葉をいただけましたら幸いです。
お坊さんからの回答 1件
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きっかけです
拝読させて頂きました。
あなたが今までなさっていらしたことを見つめ直しておられることは本当にとい尊いことかと思います。
幼い頃には生き物の生命も尊いということを知らなかったのですから興味ある方へ欲望のままに活動していますので平気で命を奪うことをしてしまいます。
あなたがそのことを自覚なさって深く反省なさり神仏やあなたのご先祖様方々に懺悔なさっていらっしゃることは本当に尊いです。
それがスタート地点です。
そこから自分とは何なのか今までどうしてきたのか、これからどう考えてどう生きていくことが望ましいのかをしっかりと見つめていくことができるでしょう。
あなたはきっとそこから様々なことを見つめ学び成長なさっていくでしょう。
これからの毎日でもぜひ自分の考えや言葉や行いを見つめながら人として成長なさっていって下さいね。
それが先ず亡くなった生き物達への思いにつながりますからね。
質問者からのお礼
お盆のお忙しい時期にも関わらず、丁寧にご回答くださりありがとうございました。とても励みになりました。
これからの人生、生き物達から学んだ命の重さ、それを尊く思う気持ちを大切にして、自分自身をしっかりと見つめていきたいと思います。