炎
苦しい、辛い、悲しい、楽になりたい、死にたいという甘ったれた考えから、死ねや、殺すぞ、実行されないだけ有難く思えよに考えが達しました。
現在はその対象から離れる事ができ、自分を見る時間が出来ました。自分を見るのは気持ち悪い。
生きる拠り所が攻撃に転じそうな炎の場合、どんな炎・熱に変えたら良いのかヒントを下さいまし。
芯を再構築中
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
良き炎にすればいいのです。
いままでは、苦しい、辛い、悲しい、楽になりたい、死にたいとうマイナス感情が流れる川の中にどっぷり浸かっていたのですが、今は、川から上がり岸から、それらのことを眺めているという状況でしょうか。
すると、その川の中の様子と、その中にいた自分を顧みることもできるので、気持ちが悪いとなります。でも、それも大切なことです。
過去と同じような炎が湧きて来たら、岸に上がってください。そして自分を見つめる。そうすればどのような炎を燃やせばいいのか分かります。それでいいと思います。
※先回のご質問で死んだら無。とはなりません。成仏とは、亡き方と荷葉さんとのスムーズな関係のことを言うので供養はお経さえあげればいいと言うものでもありません。
イメージ
たとえばサッカーチームのサポーターが、味方の勝利の瞬間にみんなで笑顔で喜んでいる姿をイメージしましょう。
そのように、誰かを喜ばせることを、あなたもできるかもしれません。
質問者からのお礼
願誉さん、お返事ありがとうございます。例えを示してくれて感謝します。
勝利の瞬間、ゴールの瞬間、交代の瞬間、自分も周囲もきっと笑ってる事でしょうね。共感共鳴。対象以外には攻撃する意図は無いので、そのような明るい気持ちになれるようイメージ精進と行動に必ず少しずつ変えていきます!
鈴木さん、お返事ありがとうございます。自分の事だというのに状況が分からず、的確な例えでスッと納得出来ました。その通りです、川であり石だったんです。吹けば飛ぶような芯だったから石として流れも止められないし、川そのものだから怒りと殺意しかありませんでした。今は岸から上がる事が出来ましたので、炎を模索していきたいです。
☆あと先のコメントって読んでくれてるものなんですね汗
宗派それぞれ死の先が違うから、まず生き方を考えて生きたいと思います!