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自称「優しい」人が怖く感じます…。

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有り難し有り難し 26

私よりも8歳年上の36歳男性です。私は初婚ですが、彼はバツイチ子供なしです。
現在お付き合いしています。。
話も弾むし一緒にいて心地が良く、年齢差とか関係ないと思うような親しい間柄になりましたが、最近になって不安が募ってきました。
それは、彼が自分の事を「自分は優しくて穏やかで、人と揉めたり、怒ったりしない」と言ったとき、自分の中で何か違和感がありました

本当の優しい人が自分の事をそんなふうに言うでしょうか?
それは周りの人が評価する事ではないでしょうか?

人間は「喜怒哀楽」あって当たり前です。
生きていく中で「怒り」という感情は、自分の中でコントロールして忍ばなければ乗り切れない事はあるとは思うのです。
実際私も「怒り」という感情が湧いたことがないかといえばそれはないです。

本当にいつもしょっしゅう怒ったり、ヒステリックになったり、暴力的なところがあるならまだ別問題でそんな感じだと困りますが、自分で自分の事を良くいう人は、本当の裏の顔を隠して良い人だと思われたいという心理なのかわかりませんが…。

それなら何故離婚したのかという疑問が生まれます。
離婚の理由は「性格の不一致」で円満離婚だと話してくれましたが…。

これは憶測で私の考え方や見方に問題があるのかもしれませんが、仲が円満じゃなくなったからこそ離婚という結果になったのであって、彼自身が自分の中で円満な形で決着していると思っているだけではないのかという疑念まで持つようになりました。

紳士的でレディーファーストで、私の好みをリサーチして小さなプレゼントももらった事もあります。すっかり好きになってしまっていますが、その反面、明るくていつも笑顔の彼が怖く感じます。
彼は私のために優しくしているのか、それとも自分のために私に優しくしているのか…。
何かあったときは手のひらを返しがありそうです。

好きだという気持ちと、これからの事を考えたら不安という気持ちが入り交じり複雑です。

どう思われるか意見をお伺いしたいです。
これからどうするかは自分で決めたいと思いますのでよろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

優しい人は、…

拝読させていただきました、慈陽院の平本と申します。

結論から申し上げますと、自分のことを優しいという人は、優しいと言っていないと自分を保てない人が多く本当に優しい人は、自分で言わないんですよね…。

または、ライラさんに心配させたくなかったのかもしれませんが…。

あとは、ライラさんかご主人がピンチを迎えたときに、どうご主人が反応するかで分かると思いますよ。

人は、ピンチのときに真価が問われます。

本当に優しい人は、相手がピンチのときに相手を思いやり受け入れてくれます。
そして自分自身がピンチであったら、迷惑をかけないよう気丈に振る舞います。

もし化けの皮があった場合には、相手がピンチのときに逃げてしまったり、自分自身がピンチのときには、八つ当たりをしたり、性格が豹変してしまったりする場合があります。

でも人は、成長することができるので、互いに弱いところを打ち明け、共に成長をしていくことができれば、何も問題がないと思いますよ。

では、一つの意見として参考になれば幸いです。

またお悩みごとがありましたら、ご相談お待ちしております。

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有り難し
おきもち

ライラさま、こんにちは。

ええと、そのお話だけだと、彼の人格の怖さがうまく伝わってこないのでなんとも言えないですが…

>本当の優しい人が自分の事をそんなふうに言うでしょうか?
>それは周りの人が評価する事ではないでしょうか?

鋭いです!多くの場合、そうですね。どれだけ自分のことを「優しい、潔白だ」といっても、本人はそれを自ら証明する術はありませんから、周りがそう感じるかどうかにゆだねられてしまうでしょう。

が!しかし、自分の事を「自分は優しくて、人と揉めたり、怒ったりしない」と言うからといて、必ずしも優しくないかといえば、そうとも限らないですし、そういう発言をすること自体が、彼の人格的な問題を示すエピソードといえるかというと、どういう状況で発言したかによりますね。

たとえば、お釈迦さんは、自ら、自らのことを「ブッダである」と、自称しました。ブッダがそんなことを自分で言うはずがないという批判もあるのですが、みんなが、ブッダの誕生を切望しているような状況では、あるいは、彼がブッダであるかどうかを確かめたい人にとっては、ブッダであると自称してもらうことには意味がありますし、清らかな心で自らをブッダと称することができることをもって、彼がブッダであると…と、うんちくはこのへんにして…。

えっと、たとえば、「あなたってすてきね!」っと彼女にほめられ、「でしょー?(^_-)-☆」と、謙遜せずに答えてしまう男性もいますし、そういう姿を、子どものようでかわいらしいと感じる女性もいるでしょう。

と考えると、ライラさまが、彼が自分のことをそのようにいうのを「怖い」と感じるのであれば、ひとつも笑えないのであれば、たしかに、少し様子を見てもいいかもしれませんね。

「私は優しい」というのは、捉えようによっては、聞き手にとってプレッシャーにもなります。彼からの贈りものや施しを受けた時、拒否したいと思っても、彼からすれば「優しさ」ですから、「俺の優しさを拒否するとは何事だ」と、こちらの良心に訴えるような方法で、エゴを押しつけてくる方もいるからです。「温厚な俺と揉めるんだから、お前がおかしいのだ」という理屈もあり得ます。モラルに訴えるハザードなので、モラハラなんて俗にいったりもします。自らのスタンスを疑わない、少し面倒な人、というケースもありますね。

どうぞ、よくお考え下さい。

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有り難し
おきもち

菩薩になりたいです。 仏教は、ほんとうにすばらしい教えだと思います。...
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質問者からのお礼

ありがとうございました。
頂いたご回答を参考にして
今後どうするか決めていきたいと思います。

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