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寂しい感情がわからない。

回答数回答 1
有り難し有り難し 18

はじめまして。
私は寂しいという感情がわかりません。原因が生まれつきなのか、育った環境に問題があったのかわかりません。
会社の人間関係は良好ですが、それ以上に友達になるほどではありません。
友達や同僚とワイワイ遊ぶより1人で時間を使うほうが快適です。
そんな性格で40年ほど生きてきましたが何の問題もありませんでした。
こんな私でも結婚して夫婦仲良く暮らしています。
周りの人達は寂しいとつぶやいたり、寂しさが原因で泣いたり心が病んだりするのを見ると可哀想だなと感じますが。自分は理解できません。こんな感情が自分にはなくて良かったぁ〜って思うほどです。
ある日、同僚にその感情がない自分のことを聞いてみたら、冗談まじりで『サイコパスちゃうか?』と言われました。
こんな私は薄情で異常ですか?個性として受け入れて良いですか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一人居て賑やか 大勢居て静か

はじめまして、ご相談拝読しました。

寂しいという感情がわからないことについて同僚の方に心無い冗談を言われ、ご自身のことが少し不安になってしまわれたのですね。

私にはあなたはけして薄情だとも異常だとも感じられません。奥様との生活も会社の人間関係もその事実を物語っているのではないでしょうか。あなたの感じ方はあなたオリジナルの個性として受け入れて大事にしていいのではないでしょうか。

さて、タイトルの言葉「一人居て賑やか 大勢居て静か」とは曽我量深という方の言葉です。私たちの普通の感覚からすると逆ではないでしょうか。普通は「一人は静かで大勢は賑やか」だと思います。

これは仏様のはたらきに出会った方の世界のようです。一人であっても常に仏様と共にあり、そこには仏様の教えに先に出会ってきた無数の先達が見出される、だから賑やか。大勢であっても飲まれて自分を見失うことなく一人自分と向き合うこともできる。そういう世界をあらわした言葉なのだそうです。

あなたが一人を快適と感じるそれがどのような感覚なのかはわかりません。しかしそれがもしも煩わしくないからとか、都合が良いからということだけであるならば、本当の一人になった時、あるいは誰かと共にあってもわかりあえない孤独を感じた時に崩れ去ってしまうものなのかもしれません。

人間が生まれ、生き、そして死んでいく姿の事実がお経には

「人、愛欲の中にありて独 (ひと)り生まれ独り死し、独り去り独り来 (きた)る。身 (しん)みずからこれを当(う)くるに、代わるものあることなし)」

と説かれています。人はあらゆる苦難、究極的には死ということも独りで受けていかねばなりません。たとえ誰かといたとしても受けるのは独りの問題です。それは孤独でありますが、同時に代わりのきかない唯一無二の存在ということでもあります。
そのあなた(私)がはからずも誰かと共にいられるのなら、そのご縁はありがたいものなのだと思います。

寂しいと感じないものを無理に感じる必要など全くありません。しかしそうしたあなたの思いを超えて共にあるご縁を大事にすることは、もしかしたら反動として寂しさをも生むかもしれませんが、しかしかけがえのないものであるのだと思います。

あなたはあなたのご縁をこのまま大切に生きてください。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

吉武文法様
ご回答ありがとうございます。
以前から心がモヤモヤしていたのでスッキリしました。
上手く言えませんが、感慨深い気持ちになりました。仏教の教えは深いですね。今まで自分はご縁を少し疎かにしていたのかもしれません。ご縁を大切にいきていきます。ほんとうに有難うございました。

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