悲しみ・苦しみのある人生の意味とは?
今、新型コロナウイルス感染症の流行のせいで、憂鬱な気持ちになっています。
容易に遊びに行くことが出来ないこと、マスク必須の外出などに苛立ちを感じております。
その中で、なぜ人生には悲しみや苦しみがあるのだろうか、と考えてしまいます。
悲しみや苦しみのある人生の意味が分かりません。
なぜ、悲しみや苦しみのある人生はあるのでしょうか?
誰もが悲しみや苦しみのない人生を過ごすことができれば良いのに、と考えております。
自分が負の感情に陥っている時、他人の喜びに嫉妬してしまう 負けず嫌い 完璧主義
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
悲しみは人を成長させる
まさにコロナ禍で、今までの生活から制約の多い生活にシフトしましたね。暑さもすごいのにマスクやシールド。昨年は想像もしなかった現実のなかに私たちは生きています。
なぜ悲しみや苦しみがあるのか?その疑問から出家者となられたのがお釈迦様です。物質的には恵まれた王子さまという立場を投げ捨ててまで道を求められたのはまさにそれが理由でした。誰もが幸せでありたい、悲しみや苦しみには遭いたくないと思いますが、否応なしに現実の悲しみや苦しみが襲ってきます。頭のなかの妄想や意識も同じく、何かに誘惑されたりします。それを煩悩と呼びます。人間はこの煩悩をかかえた存在なんです。お釈迦様は、人間の持つ苦しみから解脱するにはどうしたらよいのか沢山の修行をされました。お釈迦様は、悲しみや苦しみは「なくてはならないもの」と言われています。なぜなら、ある悲しみを経て、それがもたらしたものを見据えることで人は自分を成長させることができるからです。
深い悲しみを通りすぎて見えてくる世界こそ、人として生まれた大事な目覚めとなるのです。
私はそこから人への思いやりや愛が芽生えると思います。「悲しみはあなたを成長させる」は私もいつも心に置いていることばです。きついこともありますが、せっかく人として生まれたのですから人ならではの感情やせつなさ、色々味わってさらによき人生にしたいものですね。
お釈迦様は生きていく上で拠り所となることばをたくさん残されています。もしよければ、ちょっと本屋さんなど覗いてみられませんか。
少し悲しみや苦しみへの視点が変わってきますよ。
悲しみ苦しみがあるので
拝読させていただきました、慈陽院の平本と申します。
悲しみや苦しみがなぜあるのか考えているのですね。
結論から申し上げますと、「悲しみや苦しみがあるから喜び楽しみを感じることができるんですよ。」
人は、いつまでも新鮮な気持ちを感じることができません。
毎日プレゼントをもらうと、いつかプレゼントをもらっても喜ばなくなってしまいます。
人は、慣れ、つまり当たり前と感じる力を持っています。
つまり苦しみ悲しみがあるから、とても楽しいと感じ、悲しみ苦しみがあるからとても楽しく感じることができるのが人の感情です。
さらに苦しみの原因は、外界にあると思ってしまいますが、苦しみの原因を作り出しているのは、人の心になります。
ある時なみさんがとてもほしかった物を貰ったとします。そのときは、とても嬉しいと思います。
では、その翌月に同じものをもらったらどうでしょうか。またその翌月にもらったらどうでしょうか。
同じ現象が起こっているのに感情は、バラバラだと思います。
つまり人は、外界の情報を心で通して感じることで、苦しかったり、悲しかったりします。
しかし外界の情報を心でうまくコントロールすることができると、苦しみや悲しみを抑えたり、逆に力に変えることもできます。
つまり悲しみも苦しみも力や成長につながると、悲しみや苦しみが単なるマイナスなことでなくなってしまいます。
人の感情や心は、よくできています。この感情と心とうまく付き合うことができれば、また違った心境になると思いますよ。
またお悩みごとがありましたら、私でもhasunohaでもご相談お待ちしております。
どちらがいいのか、と。
悲しみとは何か。苦しみとは何か。いろんな捉え方があります。
「友達と好きなように出かけられるのは楽しい。それができないのは悲しい」といったことであれば、「友達と好きなように出かけるのは、別に楽しくない」人にとって、「それができないのは悲しい」も成り立ちません。
つまり、楽しさと悲しさ・嬉しさと辛さなどは表裏一体なのです。
「なぜ、悲しみや苦しみのある人生はあるのでしょうか?」という問いは、「なぜ、楽しみや喜びのある人生はあるのでしょうか?」と同じなのです。
「悲しみや苦しみもない人生」は「楽しみや喜びもない人生」と同義です。それを願っていますか?
まぁ、これは理屈の話であって、実際どなたの人生にも悲しみや苦しみはあります。仏教では「思い通りにならないこと」を苦と定義しています。私にも苦はあります(それこそマスク必須とか)。けれど同時に「諸行無常」ですから、この苦はいつか変わっていく。具体的には分からないけれど、変わっていくことは間違いない。だから比較的安穏に、苦と同居しています。
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。
回答ありがとうございました。
回答ありがとうございました。