あの世にしか私の味方がいない
以前旦那さんが亡くなってすぐに質問させていただきました。
あれから3ヵ月半経ちました。
たった3ヵ月半ですが、私はもう何十年生きたくらい、生きるのに疲れました。
旦那さんとお別れした当初は、これからは色んな人に助けてもらえると思っていました。
けれども今、誰にも自分の気持ちを話さず、1分1秒ごとにくる苦しみを1人で耐えている地獄のような毎日です。
歯を食いしばりすぎて、そろそろ顎が割れそうです。
両親には毎日夫婦のやり取りを見せられています。
ご飯の味が濃いか薄いか、私の息子が今日こんなことをした等、毎日小さなことをなんでもお互いに報告する姿を見せられています。
もう彼らにとっては日常で、芸能人の訃報がテレビで出れば、へー!死んじゃったんだ!と言われます。
お父さんとお母さんでベビーカー押してる人がいたよ!と言われます。
義理の家族には、百箇日の法要を勝手に私の誕生日に開催されました。
その時に、あなたの誕生日だから、よかったら来ない?家族のみでやろうと思ってるの!と言われました。
彼の家族は私と息子なはずなのにおまけです。
私の誕生日に彼は喪服を着て祈ってほしいと思っているようです。
また納得できないから、彼の健康診断の結果を見せてほしいと言われました。
妻の私の至らなさをあーだこーだ言われそうです。
それらを聞いても、私の両親は義理の家族に何も言いません。
むしろ返事をしない私が失礼をしたと、謝っています。
友達も最初は連絡してくるくせに、今はほとんど連絡してきません。
私に死なないでほしいと言います。
でも何も助けられなくてごめんと言われます。
彼を失っただけでも辛く悲しいのに、世界はさらに私を傷つけてきます。
味方は旦那さんだけだったと、つくづく思い知らされます。
もう生きるのが辛い。
息子を養護施設に置いてくる勇気さえあれば、すぐに死ねます。
息子の前では必死に笑っていますが、毎日何度も何度も死にたいと口にしてしまいそうです。
自殺する方の気持ちがよくわかります。
生きるのが辛いんです。
死んで、周りの人たちにどれだけ苦しいか思い知らせてやりたいんです。
この世界に味方はいない、誰も助けてくれない。
なぜ、私は生きなければならないのでしょうか。
彼を救えなかったのは私です。
謝っても許されない、その罰を受けるので、誰か私を殺してください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そばに居たらただ話を聞きたいところですが…
前回のご質問とあわせて拝読しました。
あなたの言葉の一つ一つからとてつもない悲しみや苦しみが漏れ出て私にも刺さってきます。あなたはそれをこの3ヵ月半ずっと一人で歯を食いしばって抱えてこられたのですね。
そしてそれがこの先も続くことを想像すると絶望してしまうのでしょう。そして死について思いが巡ってしまうのですよね。そのくらいあなたは苦しんでいるのです。その思いを否定することなどできません。
さて、「あの世にしか私の味方がいない」とのこと。様々なことから今そうお感じなのですね。
でもきっとそれは「味方がいない」のではなく「(あなたの思いに沿ってくれる)味方がいない」ということなのでしょう。そしてあなたには今そのような相手を味方と見出す余裕などないのだと思います。
けれどどうでしょう。あなたが今唯一の味方だと感じる旦那様はいつもあなたの思い通りだったでしょうか。そうではないでしょう。ケンカしたり、言い合ったり、妥協しあったりしながら、それでも誰よりの味方だという関係を築いてきたのでしょう。
今、あなたはその旦那様を救えなかったと自分を責めています。お医者様が「誰の生でもない(=あなたのせいではない)」と言っても。
そのあなたを救えるのはやはりきっと旦那様なのでしょう。前回の相談の返答で旦那様との会話を思い出すということが書かれていました。
死してなお、旦那様はあなたに力を与えるのだと思います。旦那様だったらどうするか、旦那様といた時の自分だったらどうするか、その視点を持ってみませんか。
その時、味方に思えなかった人を味方に思える余裕や、そうまで至らなくとも何らかの転換点がわずかにでも生じ得るかもしれません。
今あなたに頑張れとか耐えろなどと言えません。味方に思えない家族でも味方の様に利用したっていいのではないでしょうか。すなわち感情を思いっきりぶつけてもいいのではないかということです。
思いっきり怒って、思いっきり泣いて…あなたが我慢せずにすむあなたでいられますように。
なにか、ひとつだけ
前回の質問にも回答させていただきました。
私は、今回の質問内容をみたとき、ゆきなつ様の感じている「味方はいない。誰も助けてくれない。」ということと逆のことを感じてしまいました。つまり、「ゆきなつ様を含め、みなさんで戦っておられるんだな。」と感じたのです。
ご両親、今は苦しみの中におられるゆきなつ様と亡くなられた旦那様の代わりに、必死に息子様の保護者になっておられるように感じました。
義理のご家族、まだ若い息子を亡くしたという気が狂わんばかりの状況にありながら、「あなたの誕生日だから、よかったら来ない?」息子と仲良しの嫁の誕生日を共に過ごそうとされたのでしょうか。
お友達、「死なないでほしい。」大変エネルギーを必要とする言葉です。友人が直面している死苦を少なからず感じ取っておられるのでしょう。
ゆきなつ様を中心に、周囲の皆さまが、なんとか、なんとか糸が切れないように、山崩れがおきないように、踏ん張っておられるのではないでしょうか。ゆきなつ様の苦しみを否定しているのではありませんよ、事実私もなんだか指先を震わせながらキーボードを叩いております。
人間の死に際して人間はとても無力です。詳細は言えないのですが、先日、まだ30歳代とお若い故人のお葬儀に携わらせていただきました。私はまた、うなだれて、うちひしがれるばかりです。ただひとつ、私にはお経を唱えることが出来ます。故人への思いも、遺族の悲しみも苦しみも、読経に変えて必死に唱えます。私がプロの僧侶としてできることのひとつが、お経を唱えることです。
ゆきなつ様、ひとつだけ、何かひとつだけ『これだけは』をつくっていくことは可能でしょうか。息子様の前では笑顔でいるという今されていることでも構いません。それとは別の、ご自身に対することでも構いません。そのひとつだけをなんとか繋げて、ゆきなつ様自身が苦しみから少しでも楽になれるようになりませんでしょうか。
ゆきなつ様にとって、まだ苦しみの中にいても構わないもしくは苦しみの中でないといられないということが、今日を生きるためになっているのなら、それが良いのか悪いのか私には分かりません。でも、地獄から出たいという気持ち、最初の一歩に繋がるなにかが、どこかでくすぶっていることを切に願っております。