いつか死ぬ子供を産むことは酷いこと?
このサイトに出会い、死のことを考える(死の恐怖を考える)のを少しずつですがやめることができた者です。
お坊さんのありがたいお言葉をいただき、今を全力で生きることに集中しています。
ただ、一つもやもやしたものがあります。
子供を産むことです。(男なので産むは適当ではないかもしれませんが便宜上)
近い将来、結婚する予定であり、これまでは漠然と子供も欲しいなあなんて思っていました。
ただ、改めて死のことなどを考えた時、自分の子供にその恐怖や苦しみを与えることになるのだと気づき、子供を産むことは酷いことではないかと思い始めました。
仮に子供が死というものを考えず、前向きに人生を過ごしてくれたとしても、最後は辛く悲しい死という結末を迎えます。
いつか死ぬ存在を自らが産み出すのは、恐ろしいことではないか、そう感じて仕方がありません。
極論、人類繁栄の放棄につながるので危険な考えだとは思うのですが、やはり個人という存在に目を向けた時、上記の考えが捨てられません。何かよい発想の転換はないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
問いを抱えていく勇気を
ご相談拝読しました。
死を考えるのは悪いことではないですよ。今を全力で生きるというのが本来見るべきものから目を塞いで見ないようにするというのものであるなら余り本質的な解決ではないでしょう。おっしゃる通りあなたも私も、もしも子どもができたらその子も必ず死ぬわけですからね。
さて、あなたはいつか死んでしまう子どもを生むことは酷い事のように今お感じなのですね。
では、あなた自身はどうなのでしょう。あなたは親に酷い事をされて今無理やり生かされているとお感じなのでしょうか。
つまり、あなたの問題を子どもに押し付けるのでなく、まずはあなた自身の問題として考えましょうということです。
死は確かに悲しく辛いものでありますが、本当にそれだけでしょうか。死んだら終わりであるならば終わりに向かってただやり過ごすような人生です。今を楽しむのが人生の目的ならば、それは老いと病とによってだんだん楽しみずらくなる私たちはどんどんダメなものになっていくという様な人生観と表裏一体です。
人類の繁栄のためなどではなく、あなた自身が「生まれてよかった」と言えるものに出会いませんか?
結婚や子育てもそうしたものを感じさせてくれる一つではありますが、言ってしまえば諸行無常の真実の前には移ろい変わり、やがて消え去るものであることには変わりありません。
こうしてhasunohaにご縁をいただいたのですから仏教に真の救いを学ぶのもよいでしょう。あるいはあなた自身がこれからの人生経験を通して深く問うていくのもいいでしょう。
大きな問題に目先の時間と知識で答えを出してしまおうとするのでなく、問題を抱えていける勇気を持ちましょう。
死についても、子どもについてもけして排除すべき考えなどではなく大事な問いです。その問いがあなたに何か大きな宿題を投げかけてくれているのではないでしょうか。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
かなり時間も経ちまして、色々と落ち着くことができました。